第44回 人を惹き付ける者
馬車は一定の速度を保ち軽快に歩を進める。
荷台は静まり返り、手綱を握るスバルは胸からぶら下げたゴーグルを揺らし、小さく吐息を漏らす。残した三人の事が心配で不安が募る。渋い表情を浮かべもう一度ため息を吐くと、荷台にいるアリアへと視線を向けた。
静かな面持ちで荷台に腰を据えるアリアは、真紅の髪を右手で掻き揚げ、不服そうな表情を浮かべるニーナへと目を向ける。クレアとの事がまだ納得出来ていない様だった。エメラルド色のツインテールを揺らし、荷台の後ろから外を見据え、綺麗な顔の眉間にシワを寄せる。
「不満そうね」
静寂の中、口を開いたのはアリアだった。大人びた綺麗な声に、ニーナは何も答えずただ外を見据える。その背を見つめるアリアは小さくため息を吐くと、手綱を握るスバルの方へと顔を向けた。その視線に気付き、すぐに目を逸らすスバルは目を細める。別に逸らす必要は無かったのだが、思わずそんな行動を取ってしまった。
眉間にシワを寄せ右手で頭を抱える。そんなアリアへと恐る恐る視線を戻すスバルは、困り顔で尋ねた。
「アリアさん。あの三人、大丈夫だと思いますか?」
「とりあえず、フォンが居れば場は何とかなるだろう」
「えっ? フォンが? リオンじゃなくてですか?」
アリアの言葉に驚くスバル。人をまとめるのはフォンよりもリオンの方が優れているとスバルは思っていたからだ。
静かに笑みを浮かべるアリアは、スバルの方へと顔を向けると小さく首を振る。そして、物静かな眼差しでスバルの背中を見据え、静かに告げる。
「ずっと一緒に居るから、そう思ってるだけだ。実際、統率力――いや、人を惹き付ける力があるのはフォンの方だ」
「そう……なのかな?」
不思議そうに首を傾げる。やはり、スバルにはアリアの言葉を理解する事は出来なかった。不満そうなスバルへとアリアは笑い「今は分からないだろうが、何れ分かる」と穏やかに告げた。
穏やかに笑うアリアへとニーナは不貞腐れた表情を向け、口を開く。
「どうして、私と彼女を離したの?」
突然の質問にアリアはニコッと笑みを浮かべ「当然でしょ?」と即答する。手綱を握るスバルはそのやり取りに苦笑し、「そりゃそうだ」と誰にも聞こえない声で呟いた。
ムスッとした表情でアリアを睨むニーナに、笑っていたアリアは突如真剣な顔を見せる。穏やかだった空気が一変に緊張感が漂う。張り詰めた空気にニーナは一瞬表情を強張らせたが、すぐに真剣な顔を見せジッとアリアを見据える。二人の視線が交錯し、手綱を握るスバルはその空気に緊張し手の平に汗を滲ませていた。
数秒の沈黙の後、アリアは腹の前で手を組むと、一度瞼を閉じ静かに開く。
「お前達には知っておいて欲しい、クレアの出生を――」
アリアは語る。クレアのその出生の秘密を――。静かに淡々と。
静かな森の中。
ゆっくりと足を進めるフォン・リオン・クレアの三人。最低限の食料と資金が入ったカバンを肩に背負うフォンは、小さく息を吐き背筋を伸ばす。かれこれ、一時間程黙って歩き続けていた。
リオンは不機嫌そうな顔で足を進め、クレアは未だに頭を押さえている。その為、フォンは居心地が悪そうに目を細め、静かにただ歩み続けた。
小さくため息を吐き肩を落とすフォンはこの場の空気をどうにかしようと、わざとらしく「んんーっ」と背筋を伸ばし振り返る。その動きに訝しげな表情を浮かべるリオンと、きょとんとした表情を浮かべるクレア。二人の視線に表情を引きつらせるフォンは無理やり笑みを作る。
「ちょっと休もうか?」
「休む? まだ、一時間位しか歩いてないぞ?」
怪訝そうな表情でリオンが尋ねると、フォンは笑顔をクレアの方に向ける。すると、その笑顔にクレアは「えっ? えっ?」と慌てた様子の声をあげ、リオンとフォンの顔を交互に見た。オドオドと慌てるクレアにフォンは「落ち着いて落ち着いて!」と声をあげ、一緒に慌てる。慌てふためく二人の姿に、リオンは深くため息を吐くと、右手で頭を抱えた。
「分かった。少し休もう」
静かにリオンはそう告げると、両肩を少しだけ落としもう一度ため息を吐いた。
木の陰に腰を据えるクレア。頭の後ろで結っていた桜色の綺麗な髪を下ろし、手グシで整える。そんな女の子らしい行動をするクレアの姿にフォンは思う。本当に、彼女が元・暗殺部隊でしかも隊長をしていたのかと。とてもじゃないが、そうは見えない。
大きな岩の上にあぐらを掻くフォンは小さく息を吐き、眉間にシワを寄せ渋い表情を浮かべ空を見上げる。そよ風が頬を伝い、その茶色の髪を揺らす。
「おい。フォン」
唐突に届くリオンの声にフォンは静かに視線を落とし、岩の下から自分を見上げるリオンを見つける。眉間にシワを寄せ、明らかに不機嫌そうな表情のリオンに、フォンは苦笑し岩から飛び降りた。着地の衝撃で土煙が足元に舞い、ゆっくりと体を起こすとジト目を向けるリオンと目が合う。その目を見た瞬間にフォンはうろたえ身を退く。なんとも威圧的だった。
「な、何だよ? そんな怖い顔して?」
おどけて見せるフォンだが、リオンは怖い表情を変えずジッとフォンを見据える。
「お前、何考えてる?」
「な、何って?」
「ここから、港までどれ位距離があるのか知ってるのかって言ってるんだ!
たった一時間歩いただけで休憩なんてしてたら、いつまで経っても辿り着かないぞ!」
苛立ち怒鳴るリオンにフォンは慌ててクレアの方へとチラチラと視線を向ける。リオンの言葉が聞こえていなかったのかクレアは物静かに髪を梳いていた。その様子にホッと胸を撫で下ろすフォンは、リオンへと鋭い眼差しを向ける。
「何考えてんだよ? クレアに聞こえたらどうするんだ?」
「そんなの関係あるか」
静かにそう述べるリオンが険しい表情でフォンを睨む。こう言う時、リオンは強情で言う事を聞かないと分かっている為、フォンは呆れた様に小さく吐息を漏らし頭を抱えた。フォンの態度に一層不快そうな表情を見せるリオンは腕を組む。
フォンとリオンの妙なやり取りに、この時ようやく気付いたクレアは立ち上がり二人の方へと顔を向ける。長い桜色の髪をなびかせて。何を話しているのかまでは聞き取れないが、その表情と唇の動きから揉めている様に見えていた。不安そうな表情を浮かべるクレアは下ろしていた髪を留め直し、胸の前で手を組みながら静かに二人のもとへと足を運ぶ。
「だから、もう少し相手の事を――」
「お前はもう少し周りの事を――」
二人の声が聞こえ、クレアはビクッと肩を跳ね上げる。何を揉めているのか分からないが、二人はいつに無く険悪な雰囲気だった。どうにかしようとクレアは二人に向かって大声をあげる。
「け、け、喧嘩はダメです!」
と。可愛らしい声を。
突然の声に驚くフォンに対し、リオンは訝しげな表情をクレアの方へと向けた。二人の視線に慌てふためき、両腕を激しく振りクレアは「えっと、えっと……」と困った様に呟き、やがて力強く胸の前で両拳を握り、「け、喧嘩は良くないと思います!」と力説した。
クレアの思わぬ行動に驚いていたフォンは「ぷっ」と笑いを噴出し、リオンは深く息を吐き呆れた様に目を細める。二人の表情に「ふぇっ?」と奇怪な声をあげクレアは何度も二人の顔を交互に見た。対照的だが、先程まで揉めていたとは思えない穏やかな雰囲気だった。
暫く後、三人はまた歩き出す。
フォンを先頭にし、リオン、クレアと続く。フォンが先頭で道を踏み締め、続くリオンが飛び出した枝を折り、後から続くクレアが怪我をしない様にしていた。
二人の背中を見据えるクレアは少しだけ呼吸を乱しながら尋ねる。
「お二人はどれ位の付き合いなんですか?」
突然のクレアの質問に、フォンは一旦足を止め腕を組んで考え込む。
「うーん……」
「足を止めるな!」
リオンはそう言い立ち止まるフォンのケツを蹴った。
「イタッ! 言えば分かるから、蹴るなよ!」
ケツを蹴られ再び歩き出すフォンが、不満そうにそう告げると、リオンはそれを鼻で笑いクレアの質問に答える。
「俺とフォンの付き合いは十年以上になる」
「十年以上ですか……」
驚き声を上げるクレアは、その言葉に納得する。だから、あんな風に言いたい事を言い合える仲なのだと。関心するクレアに対し、今度はリオンから質問が飛ぶ。
「お前はどうして暗殺部隊にいたんだ?」
「…………」
リオンのストレートな質問にクレアは険しい表情を見せ口ごもる。その声が聞こえたのか、フォンは立ち止まりリオンの方へと振り返った。その目は何処か怒気が篭っており、フォンの目にリオンも鋭い眼差しを向ける。何が悪いんだと、言いたげなその眼差しに、フォンは眉間にシワを寄せた。
僅かに漂い始めた険悪な空気を感じ、クレアは静かに口を開く。
「私は……あそこしかいる場所が……なかったから……」
もの悲しげな潤んだ瞳。その瞳がその当時のクレアの心境を物語っている様に見えた。フォンは止めようとしたが、フォンが声を発するより先にクレアは語り出す。自分の過去について、静かにゆっくりと。




