第43回 二手に別れて
王都を抜け、馬車はゆっくりと北へと進路と取っていた。
飛行艇が使えない今、他の大陸に移動する手段は船しかないと言う結論にいたり、この大陸の北にある大きな港へと向かっていた。馬車を飛ばせば一週間ほどで辿り着く距離をゆっくりと進む。その間、荷台には険悪な空気が漂っていた。その空気を出しているのはニーナだった。やはり、クレアの事を警戒している様で、終始睨みつけていた。
乗り物酔いでダウンするフォンは茶色のロングコートを頭から被り、荷台の隅で横たわり呻き声をあげる。だが、誰もそんなフォンへと声を掛ける事無く、静けさだけが漂っていた。
手綱を握るスバルは誰一人喋ろうとしない荷台の様子に目を細め僅かに身震いさせる。自分がもしあの中にいたらどうなっていただろうかと、考え寒気を感じ、それと同時に手綱を握る役を任された事を嬉しく思っていた。
オドオドとするクレアは隅に身を寄せチラチラと何度もニーナの方に視線を向ける。ニーナの視線が気になると言うのもあるが、それ以上にニーナが放つ威圧感が怖かった。その為、頭の後ろで留めた桜色の髪を右手の指先で弄り出す。何とか気を紛らわせようと努力していた。
片膝を立て沈黙を守るリオンは、右手に剣を確りと握り俯き瞼と閉じていた。寝ているわけではなく、意識を集中し、周りの音に耳を澄ませる。そして、自分はここに居ないと言う様に自らの存在を極力消していた。
そんな中で、一番苛立ちが募っていたのはアリアだった。フォンの呻き声、無言のリオン、ニーナの威圧感に、オドオドするクレア。こんな混沌とした光景を目の当たりにして、イライラしない方がおかしい。腕を組み、右手の指先が一定のリズムでその腕を叩く。瞼を閉じ何とか怒りを静めようとしている様だが、すでに限界だった。
額に青筋を浮かべるアリアは唐突に荷台の床を拳で殴りつける。轟々しい衝撃音が広がり、荷台が大きく揺らぐ。その動きに荷台を引く二頭の馬が前足を大きく跳ね上げ、悲鳴に近い声をあげる。手綱を握るスバルは慌てて手綱を引き、二頭の馬を落ち着かせる。
激しく揺れた荷台で、横になって寝ていたフォンと膝を抱えて座っていたクレアの二人が激しく転がり、二人の頭がぶつかり鈍い音を響かせた。
「うごぉぉっ……」
「い、痛いです……」
額を押さえ悶絶するフォンとクレア。
リオンとニーナの二人は荷台の手すりを確り握っていた為、それ程被害は無かったが、荷台に乗っていた荷物は大分散らかっていた。
床へと拳を突きたてたアリア。床と拳から僅かな湯気が上がり、木の板は亀裂が走り捲れ上がっていた。力を抜いた一撃だった為、荷台が大破するのは免れたが、それでも荷台は悲鳴を上げる様に軋んだ。
馬を落ち着かせたスバルは慌てて荷台へと乗り込む。
「な、何だよ! いきな――フォン!」
荷台に入るなり、スバルは足元に転がるフォンを発見する。驚き慌てるスバルは、続いて頭を押さえ蹲るクレアを見つける。
「うえっ! クレアも! な、何が……」
あまりの事態に呆然とするスバルへとアリアの鋭い眼差しが向けられ、スバルはビクッと肩を跳ね上げる。
漂う沈黙の中、アリアによって五人は馬車から降ろされた。顔色の悪いフォンは木陰で木の幹へと体を預け空を見上げ、リオンは不満そうに腕を組みアリアを見据える。重苦しい空気にスバルは俯き上目遣いでアリアへとチラチラと視線を送り、クレアは頭を押さえて俯く。そんな中でもニーナはクレアに対し鋭い眼差しを向けていた。
静かな中で腕を組み荷台に仁王立ちするアリアは五人の顔を順に見据え、小さく息を吐き肩を落とす。そして、スバルとニーナへと視線を向けると、アリアは小さく頷き口を開く。
「スバル。ニーナは馬車に乗りなさい」
「えっ?」
「早く乗りなさい」
厳しい口調のアリアの言葉にスバルは戸惑いながら馬車へと戻り、ニーナもクレアを睨みながらゆっくりと荷台に乗る。
残されたリオンは蹲るフォンとクレアへと目を向け、呆れた様に深くため息を吐くと、アリアの方へとジト目を向ける。何を考えているのか分からないが、何処と無く嫌な予感しかしない。その為、何も言わずアリアの顔を真っ直ぐに見ていた。
暫しの沈黙の後、静かな風がアリアの真紅の長い髪を揺らし、それと同時にアリアは口を開く。
「お前ら三人は歩いて来い」
「…………」
アリアの言葉に何も言わず小さく頷くリオンだが、慌てた様子でスバルが二人の間へと割ってはいる。
「ちょ、ちょっと、アリアさん! な、な、何言ってるんですか! ここから、港までどれ位距離あるか――」
「うるさい! 私の決定は絶対だ」
スバルの猛抗議に対し、アリアは静かにそう述べた。鋭い眼差しを向けられ言葉を飲み込んだスバルは、唇を噛み締め後退る。
渋い表情を浮かべるリオンは腕を組み小さく息を吐くと、アリアは大きく両肩を落とし眉間にシワを寄せリオンを見据える。
「これ以上、クレアとニーナを一緒に居させられないからな。それに、その乗り物に弱い役立たず。ソイツも鬱陶しい」
フォンへとジト目を向けるアリアに、リオンは深く吐息を漏らしフォンへと視線を向けた。フォンが鬱陶しいと言うのはリオンも同感だった。
しかし、リオンには一つ疑問があり、すぐにアリアへと視線を向け静かに問い掛ける。
「フォンは分かるが、どうしてニーナじゃなくてクレアが歩き何だ?」
渋い表情のリオンに対し、アリアは小さく息を吐くと蹲るクレアへと視線を向け、困った表情を浮かべた。その表情を訝しげに見据えるリオンは首を傾げ、クレアの方へと視線を向ける。
「クレアの体力の無さはこれから問題になるだろう。今のうちに少しでも体力はつけてもらわないとな」
静かにそう述べたアリアに、リオンも思い出す。クレアが体が弱く体力の無い少女だと言う事を。その事を思い出し、アリアの考えを理解する。全力で戦って数日も寝られてはこの先困ると言う事だろう。
腕を組み大きくため息を吐いたリオンは、アリアの考えに賛同し小さく頷くと面倒臭そうな表情を浮かべる。
「分かった。それじゃあ、俺はこの二人のお守りをすればいいのか?」
「そうね。まぁ、それもあるけど……」
アリアが言葉を濁すと、リオンは眉間にシワを寄せた。
「何だ? 他に理由があるのか?」
「まぁ、あんたも息抜きが必要だと思ったのよ。この所、負けが込んでるみたいだし」
鼻から息を吐くと静かに笑う。アリアの言葉にリオンは小さく眉を動かし、不快そうに小さく舌打ちした。確かに、この所、負け続けていた。シータに謎の魔物と。だから、その息抜きの為にアリアはリオンを徒歩組へと組み入れたのだ。
不快そうな表情を見せるリオンに対し、アリアは優しい笑みを浮かべると、静かに口を開く。
「まぁ、そう眉間にシワを寄せるな。息抜きも大切だぞ。それに、クレアからは学ぶ事も沢山あると思うぞ」
アリアの言葉にリオンはもう一度クレアの方に目を向けた。リオンはクレアの力を知らない。だが、スバルから聞いた話では、リオンが敗れたシータを倒したのはクレアだ。その事を考えるとクレアが自分よりも強いと言うのは分かるが、それでも自分の目で見ていない為それを納得出来ずにいた。
不服そうなリオン。頭を押さえ蹲っているこんな少女が本当に自分より強いのだろうかと疑問が僅かながら生まれていた。
「不満そうだが、これは私が決定した事だ。さっきも言ったが、私の決定した事は絶対だ。いいな」
「ああ。分かった」
アリアの言葉に静かにそう返答すると、「よし」とアリアは馬車に乗るスバルとニーナの方に体を向けた。ニーナは相変わらずクレアを睨み、スバルは不満そうな表情を浮かべながらも俯く。
静かに馬車は走り出す。スバルが手綱を握りゆっくりと。
走り出した馬車を見据えるリオンは小さく吐息を漏らし、蹲る二人へと視線を移す。フォンの乗り物酔いの影響が抜けるまではその場を動く事は出来そうに無いだろうと、前途多難な状況にもう一度深くため息を吐いた。




