第40回 ジェノスの真実
ニーナの手によって化物を倒し、フォンとニーナは崩れた壁から瓦礫を踏み締め部屋へと足を踏み入れる。
静けさ漂うその一室に吹き抜ける冷たい風が、二人の髪を撫でる。
茶色の髪とロングコートの裾を揺らすフォンは、うな垂れた右手の指先から点々と血を滴らせ、床には一定の間隔で血痕が残されていた。
一方、薄暗い部屋の中でも目立つエメラルド色のツインテールを揺らすニーナは、鼻と口を右手で覆いただ愕然としていた。
広々とした豪勢な部屋。だが、窓ガラスは全て割れ、床に散乱するガラス片と血痕。ここで何があったのか分からないが、明らかに誰かが戦った跡が残されていた。鋭利なモノで斬り付けられた様な跡が床や壁と言った至る場所に付けられ、壁にも床にも血がこびり付いていた。シルクのカーテンの掛かったベッド。唯一、コレだけが無傷でその場に神々しく輝く。丁度、その真上の天井に穴が空き、月明かりに照らされているからそう見えるのだろう。
息を呑むフォンは、鞘へと収めた剣へ右手を伸ばす。肩の傷が痛み、表情を一瞬歪めたが、すぐにそれを押し殺し柄を握り締める。
瓦礫を踏み締め歩みを進めるニーナは、必死にリーファの姿を捜す。だが、そんな必要は無いと分かっていた。この部屋に踏み入れた直後から感じていた。すでにリーファはここには居ないと。
ここで、何が起こり、リーファはどうなったのか、困惑しながらもゆっくりとその頭で考える。しかし、過ぎるのは嫌なイメージばかりだった。幾ら時見の巫女であるリーファが未来が予知出来たとしても、彼女は盲目。その見えない目でこの激しく争ったであろう場所から逃げる事が可能だろうか。
答えは否だ。逃げられるわけが無い。いや、そもそも、そう予知したなら、護衛である自分をワザワザ遠ざける様なマネはしないはずだと、ニーナは考えていた。
腕を組み俯き考え込む。一体、どんな予知をしたのか、何故自分を遠ざけたのか。考えれば考える程意味が分からなくなり、頭がこんがらがる。
そんなニーナを横目にフォンは警戒心を強めていた。先程の化物の件もある為、油断は出来ないと判断ていた。それに、ここで戦いがあったとして、戦った連中はどうしたのか。リーファを連れ去ってどうするつもりなのかを考えていた。そして、ゆっくりと部屋の中を歩き回る。
血はまだ乾いていない。それは、ここについさっきまで血を流していた奴が居たと言う事だった。敵なのか味方なのか分からないが、負傷した者が居たのは間違いない。
小さく吐息を漏らし、渋い表情を浮かべるフォンは、ゆっくりとニーナの方へと体を向ける。
「なぁ、リーファの護衛って、ニーナ以外にいないのか?」
「えっ? あぁ……」
フォンの突然の声に、驚き顔を上げたニーナは、腕を組んだまま渋い表情を見せたまま右手の人差し指で鼻頭を擦り答える。
「いや、実は……現在、リーファ様の護衛は私一人なんだ」
「はぁ? ちょっと待てよ! 時見の巫女だろ? 何で護衛が一人だけなんだよ?」
怪訝そうに問いただすフォンの口調が荒っぽくなり、その眼差しは厳しくなる。そんなフォンの口調に、表情をしかめるニーナは、一旦瞼を閉じ鼻筋へと僅かにシワを寄せると、ゆっくりと息を吐き小さく喉を鳴らすと、肩から力を抜きフォンの方へとその眼差しを向ける。
「お前も牢屋に連れて行かれた時にジェノス殿の事は聞いているだろ?」
「ジェノスの事? もしかして、時見の巫女を誘拐しようとしたって言う……」
左手で右肘を押さえ、右手を口元へと添え静かに呟くフォンに対し、ニーナは怒りにも似た感情を抱いた鋭い眼差しを向ける。
「ジェノス殿は誘拐しようとしたわけじゃない!
あの人は、リーファ様を連れ出そうとしたんだ」
「それを誘拐って言うんじゃないのか?」
フォンがジト目を向けると、そんなフォンの目をニーナは睨む。どうやらこの城の兵士達の間で囁かれている事と、ニーナの知っている事実では大きな食い違いがある様だった。
眉間にシワを寄せるフォンは、睨むニーナへと小さく頷き「分かった」と呟き、真剣な眼差しで聞く。
「なら、ちゃんと教えてくれないか? ジェノスは何で、リーファを?」
静寂が周囲を包み、冷たい風だけが吹き抜ける。静かに息を吐くニーナは、フォンの目を真っ直ぐに見据える。コイツは信頼出来るだろうかと、見定めていた。数秒、数十秒の時が流れ、ニーナは静かに息を吐き出し、小さく頷く。
「分かった。まず最初に言っておく。この国は狂ってる」
その言葉にフォンは思わず「その城に仕えている奴が言う言葉じゃないな」と言いそうになったが、それをグッと堪え、「そうなのか?」と静かに相槌を打つ。だが、フォンの顔へとニーナはジト目を向ける。
「お前、今、変な事考えただろ?」
「えっ? い、いや、そんな事無いぞ?」
いきなりそんな事を言われ慌てるフォンは、ニーナは勘が鋭いと言う事に苦笑する。そんなフォンにジト目を向けたまま静かに息を吐くと、「まぁいい」と呟き話を進める。
「お前は知ってるか? 現在、一番希少価値の高い種族が何か知ってるか?」
「希少価値って……人に物みたいに値段をつけるのか?」
「あぁーっ! 面倒臭い奴だな! 誰も、私が値段をつけてるわけじゃない!」
フォンの疑問に、ニーナは苛立ち怒鳴る。その声に表情を歪めるフォンは、また地雷を踏んでしまったと目を細めニーナの顔を見ていた。
呼吸を荒げ肩を激しく上下に揺らすニーナに、フォンは右手を差し出し、
「と、とりあえず、話を進めてください。お願いします」
と、丁寧に言う。その言葉にニーナは腕を組み鼻から息を吐くと、不満そうに眉間にシワを寄せ話を進める。
静かな口調でニーナはフォンへと説明する。
時見族。未来を見通す力を持つ種族。今、この世界で一番の希少価値があるのはこの種族だ。その理由は簡単だ。未来を視る事が出来るその能力。それは、どの国にとっても欲しい力だった。
だが、現在時見族はこのニルフラント大陸にしかおらず、その力を保有しているのはこのニルフラント王国しかないのだ。時見族の中で最もその力が優れている時見の巫女であるリーファは他国から狙われる存在だった。
その為、国王はリーファをこの城に閉じ込めたのだ。しかも、彼女は元々、次期女王となる方の娘。だが、その方が王権を放棄し後継者となる事を拒んだ事により、今の国王が玉座についた。その時、国王は彼女から娘であるリーファを取り上げた。自らの王権を守る為に。
この部屋にリーファが閉じ込められていたのは、彼女の手が絶対に届かない様にする為でもあった。
そんなリーファの願いは外に出て、自分の本当の家族に会う事。その願いを叶える為に、当時この城でリーファの護衛を務めていたジェノスが、国王に外出許可を貰おうとしたが、国王はそんなジェノスを反逆者として、この城から追い出したのだ。時見の巫女を連れ去ろうとしたと言う偽りの罪をかぶせて。
全てを話し終え、ニーナは静かに息を吐く。フォンも事情を知り強く拳を握る。傷付いた右肩が力を込めると痛んだが、それでも強く拳を握り奥歯を噛み締めた。
「許せねぇな! そんな奴がこの大陸の国王だったなんて!」
「そもそも、王位継承しなかった彼女の母。これが、一番の問題だ。彼女さえ、王位を継いでいれば……」
悔しげに唇を噛み締め、拳を強く握り締めるニーナに、フォンは小さく首を振る。
「その人を責めるのはお門違いだろ?」
「どうしてだ?」
ニーナが鋭い眼差しを向けると、フォンは先程までの殺気に満ちた眼差しは消え、落ち着いた面持ちで答える。
「女のお前の方がその気持ちは分かるはずだろ?
こんな場所に縛られて生きていくなんて絶対嫌だろ?」
フォンの言葉にニーナは「うっ」と声を漏らす。確かに、言われてみればそうだ。自分がもし継げと言われたら絶対に逃げ出すだろうと。
眉間にシワを寄せ渋い表情を浮かべるニーナは、小さく息を吐くと肩の力を抜く。そして、一つの結論を導き出す。
「もしかすると、ジェノス殿が来たのかもしれない」
「ジェノスが?」
「ああ。リーファ様が私を遠ざけたと言う事は、それ以上に信頼出来る人が来ると知っていたと言う事だと思う」
「そうか……。なら、リーファは安全だな」
フォンが静かに告げると、ニーナも小さく頷く。そして、二人は部屋を出て、崩壊が始まった城から脱出を試みる。
静けさ漂う森を駆け抜ける一つの影。
その腕には空色の長い髪を揺らす一人の少女を抱えて。冷たい風が頬を撫で、体に残った痛々しい切り傷に風が沁みる。激しく黒髪を揺らす彼は、抱きかかえた少女に対し、穏やかな眼差しを落とすと、静かに尋ねる。
「よかったのですか? ニーナに本当の事を言わなくて?」
「えぇ。彼女はとても勘が鋭いので、きっと私の伝えたい事は汲んでくれます」
笑顔で答える少女のその顔に、彼も静かに口元へと笑みを浮かべる。
「でも、彼に会わなくてよかったんですか?」
「はい。すでに、一度会いましたし……それに、またすぐ会えますから」
穏やかにそれでいて嬉しそうに彼女は笑みを浮かべると、彼は静かに「そうですね」と答え、静かに鼻から息を吐き、全力で森を駆け抜けた。
守るべき、時見の巫女を抱えたまま。




