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第39回 ニーナの実力

 静かな廊下を駆け抜ける足音。

 燃え盛る炎により、天井は崩れ黒煙が視界を遮る。口と鼻を右手で覆い目を細めるニーナは、苦しそうに咳き込みエメラルド色のツインテールにした髪を揺らし、呼吸を整えていた。煙が目に沁み僅かに涙を流すニーナは、その目で隣に佇むフォンの姿を見据える。

 静かに呼吸を整え、僅かに茶色の髪を揺らす。落ち着いている様に見えるが、その目には怒りの様なモノが滲み出ていた。自分の感情を押し殺し、怒りを無理に押さえ込んでいる様に見え、ニーナは少しだけ恐怖を感じる。

 呼吸を整え、また走り出す。階段を上がり、突き当りを曲がり、廊下をひたすら走り続ける。やがて、炎の回っていない静かな場所へと辿り着く。

 ひんやりとした空気の漂う廊下。そこで足を止めた二人。茶色のロングコートの裾が揺れ、フォンの茶色の髪とニーナのエメラルド色の髪も僅かになびいた。冷たい風が奥の方からわずかに流れているのを感じる。

 だが、この時、ニーナは違和感を感じていた。この先に冷気を放つモノなど無く、ただの壁しかない事を知っているからだ。

 訝しげな表情を浮かべ、腰の剣へと手を伸ばす。その刹那、フォンがニーナの体を突き飛ばし、ニーナの体は壁へとぶつかった。


「イタッ! な、何――!」


 表情を歪め、すぐにフォンの方へと視線を向けたニーナの声が途切れる。目の前にいるはずのフォンの姿はそこには無く、一体の魔物がそこには佇んでいた。蒼い鱗で身を包み、大きく裂けた口から覗く鋭利なのこぎり型の牙。口から吐き出される冷たい吐息が空気を凍らせ白く染まる。その容姿は巨大なトカゲの様だった。強靭な尾で床を叩き割り、その赤い瞳が前方を真っ直ぐに見据える。

 息を呑むニーナの耳に遅れて届く遠くの方で壁が砕ける様な音が。そして、爆風が廊下を突き抜けた。

 音はすぐに消え、風も次第に弱まる。何が起こったのかニーナは理解出来ていなかった。瞳孔の開いた瞳が揺らぎ、困惑の色の隠せない。目の前の化物。その存在に畏怖に動く事が出来なかった。

 震えるその手で剣の柄を握る。この城の騎士として無意識に行った行動。彼女のプライドがそうさせたのだ。だが、剣を抜く事は出来なかった。それ程、目の前にいる化物の威圧感が強かった。

 呼吸を乱し冷静さを欠くニーナへと、化物の赤い瞳が向けられる。殺意に満ちたその眼差しと視線が交錯し、ニーナはその殺意に完全に呑まれた。

 だが、その瞬間、化物は何かに気付き、顔を左へと向ける。すると、廊下の奥からフォンが素早く間合いを詰め、化物の顎を右拳で突き上げる。大きく跳ね上がる顔。背筋が伸びきり、両足が僅かに地上から浮き上がった。その瞬間に、フォンは鞘を握った左手の親指で鍔を弾き、右手で柄を握ると素早く刃を抜き、化物の体を斬り付ける。

 激しい金属音が響き、火花が散った。衝撃がフォンの腕を襲い、表情が歪む。

 不適な笑みを浮かべる化物は、斬り付けられた腹を右手で擦り濁った声を響かせる。


「何か、したか?」


 その全身に纏った鱗が刃を完全に受け止めていた。硬く刃すら通さないその鱗。しかも、斬りつけたフォンの方がその衝撃に腕を震わせていた。

 呼吸が僅かに乱れフォンの右肩から薄らと血が滲む。それを見て化物は静かに肩を揺らし笑う。


「くくくっ……。その肩でよく剣を振れたな」

「くっ……」


 表情を引きつらせるフォン。最初に一撃を受けた時、その鋭利な牙で肩に噛み付かれたのだ。思い切り前進し肩を食い千切られるのだけは避けたが、その瞬間思い切り腹部を殴られ弾き飛ばされたのだ。

 牙は深く食い込み酷い出血だった。肩から流れる血は腕を伝い剣を握る手まで真っ赤に染める。

 息を切らせ険しい表情を見せるフォンは、手に力を込めるとゆっくりと剣を構えた。その動きに化物は尻尾を揺らし、鋭い爪を両手の指先から伸ばすと、舌なめずりをし前傾姿勢をとる。左手の爪を床へと突き立て、右足の爪を床へと食い込ませた。強靭な脚力と腕力によって生まれる爆発的な瞬発力。それが、この化物の武器だった。

 最初の一撃も、この体勢から飛び出し放った一撃。その速度は最高で二百キロ近くは出る。スピードもだがそれよりも、あの巨体で二百キロで突っ込んでくるのだ。その衝撃は凄まじいモノだった。その衝撃とあの鋭利な牙による攻撃を受けたフォンは相当のダメージを追っていた。

 それでも、それを気取られない様にフォンは平静を装う。痛み、感覚が無くなりつつあった。静かに息を吐くフォンは、呼吸を整え腰を落とす。両手で確りと剣を握り、腰の位置で構える。

 静寂。そして、空気が張り詰める。無音の中、唐突に起こる爆発。化物が床を蹴り出した。強靭な足で、腕で、力強く発射された大きく口を開き、牙をむき出しにしてフォンへと突っ込む。だが、それに負け時と瞬時にフォンも剣を振り抜く。

 衝撃音が轟き、壁が――天井が砕け散る。砕石が周囲へと飛び散り、表情を歪めフォンの体は後方へと大きく弾かれた。剣を伝いその両肩を襲う重々しい衝撃に、右肩から鮮血が迸る。


「ぐっ!」


 だが、その衝撃を受けたのはフォンだけではなく、化物も同じだった。顔を大きく跳ね上げ体はしなる様に仰け反る。足の爪を床へと突き立てていたが、それでも後方へと数メートル押され、地面にくっきりと爪跡が残されていた。

 血を床へと飛び散らせるフォンは、右肩を襲う痛みに表情をしかめる。腕はうな垂れ、剣を握る手は震えていた。その光景に、不適に笑う化物は、牙から唾液を滴らせると、もう一度、右手の爪を床へと突き立てる。


「これで、終わりだ!」


 爆音が轟き、化物がフォンへと突っ込む。だが、その刹那、直進する化物の横っ腹を衝撃が襲い、その体を右へと弾き飛ばす。壁を貫き、向こう側の部屋へと激しく転げる。驚くフォンは、肩で息をし薄らと口元に笑みを浮かべる。


「恐怖は乗り越えたのか?」

「恐怖? そんなモノ、私には無い。あるのは、主であるリーファ様への忠誠心だけだ」


 静かな口調でそう述べたニーナは、落ち着いた眼差しで目の前の壁に空いた穴を見据えていた。傷付きながらも戦うフォンの姿に、ニーナは自分のすべき事を思い出したのだ。今、自分がするべき事は主であるリーファの安否の確認。こんな所で足止めを食っている暇は無いと。この国の騎士として、時見の巫女であるリーファの護衛として、ここでこの化物を倒さなければならないと。覚悟を決めたのだ。

 エメラルド色の髪を揺らし静かに息を吐くニーナは、鞘を握る手に力を込め、右手で柄を確りと握り締めた。右足を踏み出し、息を呑むニーナ。


「くっ……くくっ……やって、くれるな……」


 激しく崩れた壁の向こうに薄らとあの化物のシルエットが浮かぶ。肩が小刻みに震え怒りを滲ませる。赤い瞳が薄暗い室内で輝き、大きく裂けた口から静かに吐き出される白い息。そして、ゆっくりと右手が床へと下ろされ、その爪を床へと突き立てる。

 真っ直ぐにその光景を見据えるニーナも、それに対応する為に右足を踏み込み前傾姿勢をとると、体を捻り右肩を化物の方へと向けた。鞘を左手で確りと握り締め、右手を柄へと添える。ニーナが最も得意とする攻撃態勢。息を静かに吐き、意識を集中する。

 先程まで殺気に呑まれていた人物とは思えない程、闘気に満ちていた。それを目の当たりにし、フォンは息を呑む。これが、城に仕える騎士の本気。そして、アカデミアの学生だったフォンとの差。改めてそれを実感させられる。

 張り詰めた空気の中で、爆音が轟く。化物が地を蹴った音だった。砕石を巻き上げ、壁に空いた穴から飛び出す。だが、刹那、ニーナの目が見開かれ左手の親指が鍔を弾き、捻られた上半身が腰を回転させ、前方へと向けられた右肩が後方へと退かれ、一気に刃が振り抜かれる。

 大きく開かれた口。むき出しになった牙。それを無視し、ニーナの放った刃は、その右頬を力強く叩く。衝撃が広がり火花が散る。化物の顔は左へと大きく弾かれ、


「ぐがっ!」


 と、血を吐き顔を大きく歪めて廊下を転がった。

 刃が直撃したが、それでもその頑丈な鱗に守られた体に傷は付ける事が出来ず、ニーナは眉間へとシワを寄せ、小さく舌打ちをする。


「チッ……何て硬さ……」

「ぐっ……ぐがあぁ……」


 体をゆっくりと起こす化物。その大きく裂けた口から血が零れ落ち、奥の牙が折れ床へと転がる。

 一方、フォンは驚いていた。ニーナの放った神速の居合いに。見ただけでその居合いの高度な技術と破壊力が分かった。

 それでも、傷一つ付かない化物の肉体に、これは長期戦になりそうだと、フォンは深く息を吐き、剣を握りなおす。

 だが、ニーナはゆっくりと化物の方へと体を向けると、その体を見据え目を細めると、静かに長く息を吐きフォンへと告げる。


「あんたは休んでていいわよ。次で終わるから」


 ニーナの一言にフォンは目を丸くする。まさか、そんな事を言われると思っていなかった。驚き、言葉を失っていると、その言葉に化物は激昂する。


「ふざけるな! 人間如きが、調子に乗るなよ!」


 大きく口を開きそのまま化物はニーナへと突っ込む。その行動にニーナは左足を踏み出し、左肩を化物の方へと向け、左手を体の前へと出す。左腕の手甲が輝き、ニーナはそのままの体勢で化物へと突っ込む。


「バカか! その腕貰った!」


 前へと出されたニーナの左腕へと化物は鋭利な牙を突き立てる。鈍い金属音が響き、鮮血が舞う。


「ぐあああっ!」


 だが、悲鳴を上げたのは化物の方だった。牙が折れ、口から血を流す化物の体が大きく仰け反り、ニーナは左腕を下ろす。

 ニーナの左腕の手甲。龍鱗族が契約する龍の鱗から作られた手甲で、どんな刃をも防ぐ最上級の防具だった。


「私はまだまだだ。こんな奴の殺気に呑まれるとは……」


 静かに呟くニーナに、化物は口から血を流しながらその鼻筋へとシワを寄せニーナを睨む。


「ふ、ふざけるな! き、貴様の刃は俺様の体には――ぐふっ!」


 突如、化物は吐血する。その背中から飛び出す鋭利な刃。鮮血が刃を伝い、切っ先から地面へと落ちる。

 驚愕する化物。瞳孔が開き、やがてその瞳から光が消える。絶命していた。完全に絶命したのを確認したニーナはその体から剣を抜く。

 胸の中心。傷付き捲れた一枚の鱗の下からニーナの突き刺した剣が抜かれ、血があふれ出す。崩れ落ちる化物の体を見据え、ニーナは冷めた目を向けると、刃に付いた血を払い鞘へとしまう。息を吐いたニーナが振り返ると、呆然としたフォンが口をあんぐり空けてその光景を見据えていた。

 まさか、一撃であの頑丈な肉体を貫くとは思っていなかったのだ。驚くフォンに対し、ニーナは左手を腰に当てると、眉間にシワを寄せる。


「何驚いてるんだい?」

「いや、驚くだろ? 一撃だぞ?」

「はぁ? あんたがアイツの鱗を傷つけたからだろ? 何言ってんの?」


 怪訝そうな表情を浮かべるニーナに、フォンは目を細める。最初に放ったフォンの一撃。それが、あの化物の鱗の一枚を傷付け、捲れ上がっていたのだ。ニーナが発見したのはその捲れ上がった鱗。そして、そこへと刃を突き刺したのだ。その僅かな隙間を貫く繊細な技術の高さにフォンはただただ感心していた。

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