第35回 空色の髪
薄暗くかび臭いその牢屋の前でこの城の女騎士であるニーナの赤い袴に白の羽織を羽織ったリーファへの説教が続く。
長い説教の中でフォンは大きな欠伸を一つし、右目から涙を一粒零す。ニーナの説教は長く、彼是一時間は経とうとしていた。リオンは腕を組み呆れた様な表情を見せ、落ち着きを取り戻したスバルもフォンの横に並び鉄格子の向こうに居る二人の女性を見据えていた。
「あのさ……」
唐突にスバルがフォンの方へと顔を向け小声で呟く。その声に、眠そうな眼を擦るフォンは眠気眼をスバルへと向ける。
「どうした?」
「いや、彼女達、何しに来たのかな?」
当然のスバルの疑問にフォンは腕を組み首を傾げると唸り声を上げる。数秒考えた後、フォンは鼻から静かに息を吐きジト目をスバルへと向ける。
「知らん! 直接聞いてみたらどうだ?」
「あはは……そう出来れば、とっくにしてるんだけど」
失笑しそう呟くスバルに、フォンははっはっはっと、大げさに笑う。その笑い声に俯いていたリーファは顔をあげ、微笑み牢屋の方へと顔を向ける。妙に嬉しそうな笑みを浮かべるリーファに対し、ニーナは右手で額を押さえ呆れた様にため息を零す。もうすでに、自分が叱られていたと言う事をスッカリ忘れていた。
その視線にフォンが気付き、リーファへと目を向ける。開く事の無いリーファの瞼を真っ直ぐに見据えるフォンは訝しげな表情を浮かべ、目を細めた。
腕を組むリオンはそんなリーファの綺麗な空色の髪に注目する。思い出していた。その美しい空色の髪を持つ女性の事を。もちろん、その女性とはフォンの母だ。何度も顔をあわせた事があるが、あれ程綺麗な空色の髪は見た事が無い。だが、リーファのその髪の色、質はそのフォンの母に見劣りしない程美しかった。
思わず見入るリオン。その脳裏にふとした疑問が生まれ、静かに口を開く。
「なぁ、あんた。時見族か?」
「あ、あんた! 貴様! リーファ様に――」
怒鳴るニーナの声をリーファは左腕で制する。自らの前へと出されたリーファの左腕にニーナは口を噤むとその綺麗な顔の眉間にシワを寄せ、困った表情でリーファの横顔を見つめる。ニコリと微笑むリーファは小さく首を左右に振り、最後に自分の唇へと右手の人差し指を当てる。その行動にニーナは口から息を吐くと肩を落とす。
眉間にシワを寄せリーファとニーナの二人を見据えるリオンは、険しい表情を向ける。そんな事とは知らず、リーファは優しく微笑みリオンに答える。
「はい。私は、あなたの言う通り、時見族です。でも、それがどうかなさいましたか?」
「いや。時見族って言うのは皆そんな髪の色をしているのか?」
「髪の……色?」
困った様に眉を八の字に曲げると、首を傾げる。そこで、リオンも表情をしかめ、フォンがジト目を向けた。
「お前、酷い事言うな?」
「うるさい! 忘れてたんだ!」
「えっ? な、何? 何の事?」
フォンとリオンの会話にスバルがわけが分からないと言わんばかりにそう声をあげ、二人の顔を交互に見据える。スバルは気付いていないのだ。リーファの目が見えないと言う事を。その為、状況が分からず、フォンとリオンが何故そんな会話をしているのか理解出来ていなかった。
そんなスバルを無視するフォンとリオンの二人。リオンは不満そうな表情を浮かべ、フォンはくくくっと口元を押さえ笑う。完全に蚊帳の外状態のスバルは目を細め一歩退き二人の様子を窺う。
と、そこでニーナの咳払いが聞こえ、フォンとリオンは思い出した様にリーファとニーナの方へと視線を向ける。口元に右手を当て不快そうな表情を見せるニーナの隣で、リーファは口元を右手で隠しながらクスクスと笑っていた。
不満そうな表情を浮かべるニーナはジト目をフォンとリオンへ向け静かに口を開く。
「リーファ様の髪の色は母親譲りで、時見族だからと言うわけじゃない」
「だ、そうです」
ニコニコとそう付け加えリーファが笑顔をリオンへと向ける。その答えにリオンは仏頂面で「そうか」と呟き腕を組む。眉間にシワを寄せるリオンは、ジッとリーファの顔を見据える。そんなリオンに対し、怪訝そうな目を向けるニーナ。そんな事とは知らず笑みを浮かべたままのリーファは、嬉しそうにたずねる。
「それで、ジェノスさんは?」
「ジェノスはいないよ」
腕を組み渋い表情を浮かべるリオンの代わりにフォンが明るく答えると、リーファは「そうですか……」と残念そうな表情で俯く。と、そこで、スバルが声を上げる。
「そうだよ! ジェノスさん! 一体、あの人、ここで何やったのさ!」
スバルの大声が牢獄内に響き渡り、フォンを始め、リオン、ニーナ、リーファまでも耳を押さえる。迷惑そうな表情を浮かべるフォンとリオンがジト目を向けると、スバルも空気を読んだのか、俯き申し訳なさそうに何度も頭を下げる。
静まり返ったその一帯にそんな大きな声が響けば、もちろん兵士達も気付くわけで、無数の足音が廊下に響く。呆れた様に吐息を漏らしたニーナは、渋々とリーファの肩へと右手を置き、残念そうに口を開く。
「リーファ様。お部屋に戻りますよ」
「で、ですが――」
「何を騒いでいる!」
足音に混ざり、そんな男の声が響く。その声にニーナは目を細めると、「申し訳ありません」と小さく呟き、リーファを抱き上げ走り出す。呆然と立ち尽くすフォンとリオン。そして、唖然とするスバルへと冷ややかな視線が向けられた。
遅れる事数十秒。そこに数人の兵士が現れ、牢屋の中へと目を向ける。フォンは床に倒れ寝たふりをし、リオンは壁際に座った状態で寝たふりをしていた。一方で、スバルは半べそを掻き隅っこで膝を抱えて座り込んでいた。
何があったのか分からず兵士達は首をかしげるが、結局何もする事無く戻って行く。遠ざかる足音を聞き、フォンはゆっくりと体を起こし、リオンも静かに瞼を開く。
「全く……何考えてるんだ」
小声でぼやくリオンが、鋭い眼差しを隅っこで膝を抱えるスバルへと向けると、スバルは申し訳なさそうに「すみません」と小声で呟く。鼻から息を吐き肩を落としたフォンは、スバルへと目を向ける。だが、落ち込むスバルが不憫に思い怒るリオンへと顔を向ける。
「リオン。そこまでにしておけよ。スバルだって悪気があるわけじゃないんだからさぁ」
「悪気があったら、今ここで切り捨てる」
「そ、そこまで言うか……」
あまりのストレートな物の言い方に、呆れるフォンは右肩を落とし笑う。まさか、そこまで言うとは思ってもいなかった。
その声が聞こえたのかスバルは更に縮こまり「ごめんなさい。ごめんなさい」と何度も呟いていた。殺伐としたこの光景にフォンは目を細め静かに天井を見上げる。
「どうしたらいいかなぁ……」
と、呟き深く吐息を漏らした。
そして、夜も深まる頃。ようやく眠りに就こうとしていたリオンは目を覚ます。一つの小さな足音に。床で仰向けで寝息をたてていたフォンも、静かに瞼を開く。靴の踵が床を叩く音が響き渡る中、フォンとリオンの視線が交錯する。
警戒し聞き耳をたてる二人は息を呑み意識を集中する。ここに向かってくる足音に対して。




