第32回 大きな賭けの代償
激しく火花が散り、鉄と鉄とが擦れる嫌な音が響く。
ジェノスの顔の横を通り過ぎる鋭い刃。タキシードの男の放つ突きを、後退しながら剣で弾き軌道をずらしかわしていた。完全に防戦一方のジェノスだが、それでも全ての突きを防ぐ。その激しい攻防。互いにもてる全ての技術を駆使していた。
タキシードの男の放つ突き一つ一つとってもそうだった。角度、放つスピード、どれも高度な技術を用いて放たれていたが、それをジェノスも高度な技術で全て防いでいた。お互い、それだけの力を駆使しなければならない相手なのだと、十分理解していたのだ。
激しい攻防が続く中で、タキシードの男が突如としてその場を飛び退き距離を取る。その動きにジェノスは小さく息を吐くと、烏を構えなおし鋭い眼差しを向けた。
「一体、何が目的だ」
ジェノスの問いに対し、タキシードの男はステッキ型の剣を回し口元に薄らと笑みを浮かべる。
「目的ぃ? そんなもんねぇーよっ!」
素早く右足を踏み込み助走をつけ突きを見舞うが、その突きをジェノスは剣で切り上げる。澄んだ金属音が響き、タキシードの男の右腕ごと剣が大きく後方へと弾かれ、それと同時にジェノスの刃がタキシードの男の体を切りつける。
左肩から入った刃が右脇腹から抜け、鮮血だけが迸る。タキシードの男の黒のシルクハットが宙を舞い、その下に隠れていた黒髪がふわりと揺れた。ゆっくりと崩れ行く男の姿を見据えるジェノスは、奥歯を噛み締めその場を素早く飛び退く。
「くっ!」
遅れて、男の手から放たれる鋭い突き。その刃が僅かにジェノスの左肩をかすめ、少量の血が宙へと舞う。
距離を取り表情を歪めるジェノス。恐怖していた。斬られて尚反撃してくるその男の姿に。重くその手に感じた感触から十分な手応えは感じていた。それでも、反撃し尚も悠然と自分の姿を見据えるその男が異様な存在なのだと感じる。
深く体を斬られた男は、不適な笑みを浮かべてジェノスを見据えていた。出血は酷く、裂けたタキシードの下に来ていたシャツを真っ赤に染める。普通なら倒れてもおかしくない状態だが、男は変わらずただそこに佇みステッキ型の剣をまわしてた。
「化け物か……」
呟くジェノスの声が男に届いたのか、静かに口を開く。
「俺は化け物じゃない。シルバだ」
「シルバ。それが、お前の名か」
「ああ。そうだよ。ジェノス。テメェを殺す者の名前だ。確り覚えてろよぉ」
大声をあげジェノスへと直進する。大量の血を傷口から撒き散らせながら、何度も突きを放つ。今まで以上に突きの速度が上がり、ジェノスは表情を歪めそれを防ぐ。
明らかに体を斬られた事で、シルバのキレが良くなっていた。斬られた事で、シルバの中でリミッターが外れたのだ。その為、突きの速度は放たれる度に加速し、徐々にジェノスの体を斬りつけていく。
「ぐっ!」
「どうしたぁ? どうしたぁ? まだまだぁ、行くぞぉ!」
更に加速するその突きが遂にジェノスの体を捉える。右肩、左脇腹と続けて貫き、鮮血が飛び散った。表情を歪めるジェノスは溜まらずその場から飛び退くが、シルバがそれを逃さず追撃する。負傷した事により動きが鈍るジェノスに、シルバから逃れるすべはなく、徐々に追い詰められていく。
それでも、ジェノスは致命傷だけは避ける様に剣でその突きの軌道をそらしていた。圧倒的手数で攻め立てるシルバの姿を見据えるジェノスの額に汗が滲む。だが、シルバにも異変は起きていた。
深手を負いこれ程までの速度で突きを放っていれば当然だが、出血により視点が定まっていない。それゆえに、その突きは時折ジェノスから大きく外れて放たれる。
やがて、動きを止め二人の距離が開く。呼吸を乱すジェノスに対し、僅かに肩を上下させるだけのシルバ。二人の視線が交錯し、暫しの時が過ぎる。静寂の中に吹き抜ける風が草木を揺らし、二人の間に土煙が舞う。
ゆっくりと背筋を伸ばすシルバは、ステッキ型の剣を地面へと突き立てると、静かに深呼吸する。息を吸うたびに深く刻まれた傷口から血が溢れ出し、地面を赤く染めた。だが、シルバは全く気にする様子はなく何度も深呼吸を繰り返す。
シルバの行動を怪訝そうに見据えるジェノスは、呼吸を整えつつも自分の今の状況を確認する。何度か直撃したが幸いシルバの剣の刃は細く、それ程出血はしておらず、すでに血は止まっていた。その為、ジェノスはいつでも切りかかれる様に剣を構え、踏み込んだ足へと体重を乗せる。
静かに息を吐ききったシルバは、ゆっくりと顔をあげジェノスへと目を向けた。数秒、二人の視線が交錯し、やがてシルバは笑みを浮かべる。
「流石だよぉー。想定外の強さだよぉー」
相変わらずの人を小ばかにした様な口調に、ジェノスは奥歯を噛み締める。だが、何も言わない。いや、言えなかった。それ程シルバとの力を差があると感じていたのだ。
押し黙るジェノスの姿に、シルバは薄らと笑みを浮かべたまま更に告げる。
「もう少し遊んでいたい所だけど、俺もこの状態だしねぇ」
呟くシルバにジェノスは真剣な眼差しを向けると、シルバはゆっくりとステッキ型の剣を地面から抜き、その切っ先をジェノスへと向ける。その行動にジェノスも柄を握る手に力を込めた。
「じゃあ、そろそろ決着着けようか?」
「くっ!」
表情を歪めるジェノス。突然としてシルバの体から放たれる異様な殺気。今までは手を抜いていたと言わんばかりのその迫力に呑み込まれていた。冷や汗を掻きながらも、感覚を研ぎ澄ませ静かに息を吐き出す。
緊迫した空気が漂い、シルバが地を蹴る。一瞬で間合いを詰め放たれる突き。その突きに対し、ジェノスもすぐさま踏み込んだ足に力を込め、腰を回転させ突きを返す。両者の刃が交錯し、擦れ合い火花が散り、互いの肩を掠める。
「くっ!」
「チッ!」
鮮血が迸り、両者がほぼ同時にその場を飛び退き、すぐに突っ込む。お互い分かっていたのだ。ここが攻め時だと。だから、二人は距離を縮め打ち合う。突きの応酬。刃同士が擦れ合い幾度となく火花が散り、遅れて鮮血が地面へと散らばる。それでも二人は打ち合うのを止めず、激しさだけが増していく。
激しい打ち合いは数秒、数十秒と続き、やがてその動きが止まる。漆黒の刃は深々と左肩へと突き刺さり、その細い刃は喉元へと深く突き刺さる。
「――ゴフッ」
ジェノスの口から吐き出される血。黒刀・烏の柄を握る右手から力が抜け、腕が落ちる。それと同時に喉元に刺さった刃が抜かれ、ゆっくりと静かに両膝が地面へと落ちた。
それでも尚、体を地面に倒す事無く薄らと開かれたその眼でシルバを見据える。
ジェノスは賭けに負けたのだ。打ち合うその最中、ジェノスは一つの賭けに出た。シルバの心臓を狙い澄ました一撃。だが、それが失敗だった。シルバはそれを読んでおり、体を捻りその狙いを左肩へとずらし、カウンターでその刃を喉元へと突き立てたのだ。
息を切らせ両肩を大きく揺らすシルバは、その肩に刺さる黒刀・烏を抜くと、それを地面へと突き立てゆっくりと唇を動かす。
「想定外の強さだったけど、予定通りの結果だったなぁ」
「の割りに苦戦してた様に見えたけどね」
シルバの声に対し、その背後から幼い声が響く。その声に振り返ったシルバは嫌なモノを見るそんな眼差しを向け静かに呟く。
「何でお前がここにいるんだぁ?」
シルバの視線の先に佇む一人の少年。細身で小柄な少年はニコヤカな笑みを浮かべ、その綺麗な黒髪をなびかせる。少年の笑みに不快そうな表情を浮かべるシルバの足元にジェノスの体が倒れこむ。
「案外楽勝だねぇ。この調子で行けば――ッ!」
少年が言葉を呑みその場を飛び退く。それと同時に、シルバも表情を歪める。二人の視線の先に、黒衣に身を包んだ二人組みの姿が飛び込む。一人は片手に白いボックスを持ち、もう一人は鱗模様の刻まれた大剣を背中に背負っていた。




