第3回 アカデミア
静かな教室にフォンとリオンの二人。他にも数人の生徒が居るその教室。
ここはアカデミアと呼ばれるこの街に唯一ある学校。生徒数は数百を超え、この国の子供達いや、この世界の子供達は皆、ここアカデミアへの入門を目指す程有名な学校であった。
理由は数多あるが、一番の要因はここにあの戦いで英傑と呼ばれる様になった一人、ワノール・アリーガが講師として存在するからだ。あの戦いから三十数年。すでに六十前のワノールだが、その剣術に衰えは無く今でもこのアカデミアの上級クラスの指導をしている。
フォンもリオンもそんなワノールの指導を受けたくて、このアカデミアへと入学したのだ。入学して八年。下級クラスで五年、中級クラスを三年。十五歳にして上級クラスへ進級出来た。下級クラスから中級クラスに上がるのは簡単だ。アカデミアに入って五年経てば、進級テストを受ける事が出来る。その試験も実技、いわゆる基本的な戦闘シミュレーションを行い合格すれば中級へと上がれのだ。
一方で、中級クラスから上級クラスに進級するには、十五歳を超えなければならない。それが最低ラインで、十五歳を超えて初めて上級クラスの進級テストを受ける事ができる。もちろん、簡単な試験ではないが、その試験を二人は一発で合格した優秀な生徒なのだ。他にも二人、フォンとリオン同様、一発で試験を突破した生徒が居る。それはもう珍しい事で、アカデミアでも騒ぎになった。リオンにいたって言えば、その試験でトップの成績を修め、上級クラスでも騒ぎになる程だ。それに比べフォンは、合格ラインギリギリでの合格。これでも、中級クラスでは上位の成績を修めていたが、それでもギリギリ。それ程、試験は難しかった。
現在、上級クラスの生徒は約四十名。その内十名が専門医学、更に十名が専門開発と、専門クラスへと進んでいる為、実質二十名程の生徒しか居ない。専門医学では医術を教わり、彼らはそこを卒業すると、世界各地の病院へと派遣される。専門開発は技術開発を学び、卒業と同時に各地にある研究所に派遣される事になる。
一般クラスでは戦闘術を学ぶ。その講師がワノールなのだ。卒業すれば、各国へと戻り兵士となったり、冒険者になったり様々な職種に就く事が出来る。この上級クラスの何人かは国によって強制的にこのアカデミアに入れられ戦いを学ばされている者も居た。それ程、ここの指導力は高いのだ。
ボンヤリと席に座るフォンは、頬杖をつき教室を見回す。見知った顔も居れば、見知らぬ顔の者も居る。皆、何も言わず、自分の席に着き動かず、その体から周囲を威圧する様な空気を溢れさせていた。
殺気立った空気の中、突如として扉が開かれ一人の生徒が慌ただしく教室へと入った。
「大変だ! 大変だ! 大変だ!」
首にゴーグルを掛けた濃く深い蒼の髪を揺らす少年。彼は声を上げながら一目散にフォンの元へと駆けて来る。その行動に、席に座っていたリオンも席を立ち、ゆっくりとフォンの元に歩き出す。もちろん、他の皆の視線もその少年へと向けられていた。それ程、彼は目立っていた。
フォンの席の前までやってくると、少年は激しくその机を叩き、灰色の瞳でジッとフォンを見据え、
「大変だ! 大変だ! 大変だ!」
と、叫んだ。右耳を右手で塞ぎ顔をしかめたフォンは、眉間にシワを寄せジト目を向ける。二人の合間に僅かに流れる沈黙。その沈黙を破ったのは、丁度その場に辿り着いたリオンだった。
「それで、何が大変なんだ?」
静かに落ち着いた様子でそう尋ねるリオンに、少年は顔を上げると興奮気味にリオンに顔を向け、拳を胸の前に握り締める。
「それが、大変なんだよ!」
「いや、大変なのは分かった。一体、何が大変なんだ?」
小さくため息を漏らし再度尋ねるリオンに、ムフーッと鼻息を上げた少年は僅かに唇を震わせる。
「じ、実は――」
と、その時、扉が乱暴に開かれ、大きな物音が室内に響く。その音に、フォンとリオンの視線は出入り口に向けられ、少年も静かにそこに体を向ける。皆の視線を集めるその最中、部屋へと一人の女性が静かな足取りで入って来る。大人びた綺麗な顔立ちで、腰まで届く真紅の髪を揺らし、堂々としたいでたちで教卓の前まで歩みを進めると、静かに体を正面へ向け、教卓へ両手を下ろす。
静寂が室内を包み込み、皆が息を呑む。そんな中で、その女性の目がフォン達三人へと向けられる。澄んだ瞳が真っ直ぐに三人を見据え、静かに唇が開かれる。
「リオン! スバル! 自分の席に戻れ」
静かだが圧倒的な威圧感のある声に、リオンは怪訝そうな表情を浮かべ、スバルと呼ばれた少年はカタカタと体を震わせる。その一方で、フォンは興味なさそうに頬杖をついたままその女性を見据えていた。この学校では見た事の無いその女性。新しく来た講師なのだろうが、フォンにとって興味があるのはワノールただ一人だけだった。
リオンとスバルの二人が席に戻ると、その女性は皆の顔を見回し、小さく頷く。そして、静かに口を開く。
「私は、アリア・フラウリーだ。今日から、キミ等上級クラスの実技担当講師だ」
その言葉に席に着いていた生徒の数人が唐突に席を立つ。驚愕し、瞳孔を広げて。その中の一人にフォンは居た。怒りにも似た感情をその胸のうちから沸かせながら、人一倍鋭い眼差しを向ける。その眼差しに、アリアも鋭い視線を返す。室内に広がる不穏で緊迫した空気。その中で静かに動き出したアリアは、教卓の横に立つと、口元に笑みを浮かべる。
「フォン。不満そうだな」
「俺は、あの英傑と呼ばれるワノールさんに指導してもらう為にここまで来たんだ! いきなりやってきた奴に教わるつもりは無い!」
フォンが怒声を響かせる。その声に、生徒達は沈黙した。この中の何人かは、フォンと同じ様にワノールに指導してもらう為にここまで頑張ってきた連中だ。故に納得していなかった。そんな空気の中で、静かに笑うアリアは、静かに頷く。
「いいだろう。それじゃあ、表に出な。私の実力を見せてあげるから」
挑発的なアリアの言葉に、すぐにフォンが動く。それに釣られる様に席を立っていた生徒達が教室を出る。リオンもスバルも静かに席を立つと、教室を出た。アリアと言う女がどれだけの実力を持っているのかを見定める為に。
時は遡り――
まだ、皆が寝静まる早朝。
クラストから程よく離れた位置にある森林。そこに、一人の男の姿があった。老いぼれたその男は右目に眼帯をつけ、腰に剣をぶら下げ、静かに森林の中央に立っていた。緩やかに抜ける風が、木々をざわめかせ、白髪交じりの彼の黒髪を優しく揺らす。
穏やかな表情を浮かべるその老人は、僅かに聞こえた足音にゆっくりと体を向ける。
「…………老いたな」
その足音の主が静かにそう告げる。金色の髪を揺らし、青い瞳で真っ直ぐに老人を見据える。その静かな口調に、老人は大らかに笑う。
「そりゃ、アレから何十年……歳を取るさ」
「そうか……。なら、もう十分生きたろ? ここらで、消えてくれないか?」
感情のこもっていない冷ややかな声でそう述べると、その手に剣を抜く。蒼く澄んだ綺麗な刃が、木々の合間から覗く朝日を浴び煌く。やがて、彼の金色の髪は白煙を噴かせ、赤く変化を遂げる。それに伴い、蒼い刃も朱色に変わり、その刃からは湯気が噴く。
鋭い視線を向けられ、老人は剣を抜く。漆黒の美しい刃が姿を見せ、老人は静かに息を吐く。全神経を研ぎ澄ませて。
老人が力強く息を吐くと、鼓動が広がる。その体から、周囲の大気を震わせ、一定のリズムを刻みながら。やがて、老人の顔からシワが消え、その肉体も活性化された様に筋力が増幅される。白髪交じりだった髪も真っ黒に変わり、老人だったその容姿は、若々しい姿へと変わる。
「全盛期の姿に戻ったか……ワノール・アリーガ!」
「全力で行く!」
活性化の力により、あの当時の姿に戻ったワノールが、地を蹴り叫んだ。