第26回 スバルvs長身の男
西口から屋敷内に侵入したリオンは、二階の広間で一人の少年と対峙していた。
背丈はフォンと同じ位でリオンよりやや低め。空色の外はねした髪を揺らし、右手に持っていた本を脇に置かれた小さな棚の上へと置く。
静かに流れる重々しい空気。その中で、彼は腰にぶら下げた二本の剣を抜く。鞘と刃が擦れ合う音が聞こえ、あらわとなる美しい二本の刃。
細長い糸目でリオンを見据える少年は、右手に持った剣を手首を回転させながら回す。不気味に煌く刃にリオンは眉間にシワを寄せると静かに剣を抜く。
少年の顔を見据えるリオンは思う。同じ歳位なのにその風貌が恐ろしく見えた。息を呑み、僅かに左足を踏み出すと、そのリオンに静かな声で少年が尋ねる。
「キミ、名前は? 僕はシータ」
「俺はリオンだ」
「リオン? ふーん。て、事はキミが……」
納得した様に頷くシータと名乗った少年は、薄い笑みを浮かべると左手に持った剣の切っ先をリオンの方へと向け重心を前へと倒す。その動きに、リオンは“来る”と判断するが、そう思った時にはすでにシータの姿がリオンの目の前へと迫っていた。
「――ッ!」
「遅いよ」
飛び退くリオンの耳元でシータが囁き、その右手に持った剣がリオンへと襲い掛かった。鈍い音が聞こえ、鮮血が舞い床へと散らばった。
東口から屋敷内に侵入したスバル。彼もまた二階にいた。リオンとは正反対の細い廊下で、一人の男と出会っていた。
ヒョロ長で長身の男。長く伸ばした黒髪を頭の後ろで束ね、薄らとした白顔でスバルの事を見据えていた。眉毛はなく、表情すら読み取れない薄気味悪い顔。その顔に見据えられ、スバルは背筋をゾッとさせ、咄嗟に槍を構えていた。
その動きに長身の男はゆっくりと背負っていた三日月形の大きな刃をした剣を右手で抜き、薄気味悪い表情に薄らと笑みを浮かべる。その笑みに背筋が凍る様なおぞましさを感じ、スバルは思わず飛び退く。
「あれぇ? 逃げんの?」
「はぁ……はぁ……な、何だ、一体……」
スバルは妙な感覚を感じていた。あの男が剣を抜いたその瞬間、そこに居たら危ない。そう直感した。その男の間合いからはまだ距離があるはずなのに。
リーチでは槍を使うスバルの方が有利はずだが、スバルはそれ以上近付こうとはしなかった。スバルにはその男が妙に大きく見え、そのリーチが自分よりも長く感じていた。その最大の理由は男の長い腕だ。その腕によりスバルは自分よりも相手にリーチに分があると錯覚していた。
「くっ……」
息を漏らしまた後退るスバルに、長身の男は長い腕を揺さぶりながらゆっくりと間合いを詰める。その動きにあわせる様にスバルは後退し、やがて壁へと追い込まれる。
(壁! くっ、もうこんな所まで!)
焦るスバルに対し、不適な笑みを浮かべる長身の男は大きく身をよじり大剣を振りかぶる。刹那に“来る”と、直感するスバルは柄で刃を受けようと槍を体の前へと出す。だが、長身の男の手から放たれた刃は壁へと突き刺さり動きを止める。
「あ、あれぇ? 何でぇ?」
刃が壁に深く食い込み長身の男は奇怪な声をあげ、剣を壁から抜こうとスバルへと背を向ける。その瞬間をスバルも見逃さない。
(今だ!)
槍を引き左足を踏み込む。腰を回転させ踏み込んだ左足へと全体重を乗せた、その時だった。長身の男の口元に笑みが浮かび、その長い腕が間合いを詰めようと近付くスバルの顔へと飛ぶ。衝撃が右頬を襲い、スバルの顔が左へと弾かれる。右拳の甲がスバルの頬を打ち抜いていた。
首が伸び壁へと体を打ち付けたスバルの意識が僅かに揺らぐ。カウンター気味に入った長身の男の放った裏拳。全く予期していなかった。と、言うよりもあの位置から届くなんて思っていなかった。一瞬だがその腕が伸びた様に感じた。
膝が震えそのまま崩れ落ちそうになるのを堪え、スバルはすぐに距離をとる。石突(槍の刃が無い方の先)を床へと突き苦しそうに表情を歪め、深く息を吐く。口角が切れ血が流れ、スバルは長身の男を睨んだ。
「ふひゃひゃひゃ! 騙されたぁ騙されたぁ」
「ぐっ……」
甲高い声で笑う長身の男にスバルは表情を歪める。こんな簡単に相手の誘導に引っかかるなんてと、自分のミスに奥歯を噛み締める。
甲高く笑う長身の男はゆっくりと壁に減り込んだ剣を抜くと、それを肩に担ぎ薄らと笑みを浮かべスバルを見据える。
モウロウとする意識の中、スバルは考えていた。今、自分が出来る事。この男に勝つ為の方法。それを必死に導き出そうと頭を働かせる。
現状、スバルの状態は最悪だった。膝が震え力が入らない為、一番リーチが活かせる突きを放つ為の膝の溜めが利かない。この状況でどう戦えばいいのかを考えるスバルは、不意に男の長い腕へと視線が向く。そして、意を決し息を深く吐くと、震える膝を必死に押さえ込み左足を踏み出す。一か八かの賭けだった。
静かに呼吸を整えるスバルに対し、不適な笑みを浮かべる長身の男。完全に油断していた。スバルにはその隙を突く方法しか残されておらず、モウロウとする意識を集中し力を込める。だが、それと同時に長身の男が右手に持った剣をスバルへと振り下ろす。
全く予期していなかった一撃だったが、この瞬間スバルは見逃さない。大振りになり無防備になる男の右脇腹を。そこに向かって左足を踏み込んだスバルは、全体重を乗せ力いっぱいに槍を突き出す。だが、その刃は空を切る。長身の男が振り下ろしていた腕を止め、上体を大きくひねった事により。
前のめりになるスバルの踏み込んだ左膝から力が抜ける。渾身の一撃だった。故にそれをかわされたと言うショックは大きく、スバルの体がゆっくりと沈む。そんなスバルへと笑みを浮かべる長身の男だったが、刹那に驚愕する。
倒れるかと思われたスバルが右足を踏み込みその手に握っていた槍を手放し拳を握り締めたのだ。だが、男が驚いたのはそこではなく、スバルの手が離れたにも係わらずその場に留まっている槍に驚いたのだ。
驚き動きが鈍ったその男の懐へと入り込んだスバルは大きく振りかぶっていた左拳を、ひねった事により完全に伸びきった右脇腹へ目掛け横から抉る様に拳を振り抜いた。鈍い打撃音が響き、長身の男の体が横にくの字に折れ曲がる。だが、そこでスバルの攻撃が終わるわけではなかった。更に腰を回転させ続けざまに右拳を伸びきった左脇腹へと突き刺す。
先ほどよりも一層大きく鈍い打撃音が響き、男が白目を剥く。大きく開かれた口からは涎が迸り、その長い体はよろめき二・三歩後退しゆっくりと前のめりに崩れ落ちた。
「はぁ…はぁ……」
突き出した拳を握り締めたまま呼吸を荒げるスバルは、男が崩れ落ちたのを確認し、肩から力を抜き深く息を吐き出す。まだ頭はモウロウとしていたが、それでも倒れる男を見据え口元に僅かに笑みを浮かべ槍の柄を握る。
「最初にあんたがやった事を真似ただけなのに、そんなに驚くとは思わなかったな……」
と、スバルは切っ先を壁から抜いた。そう、槍は浮いているわけではなく、この男の斜め後ろの壁に切っ先を突き立てていたのだ。初め、スバルは確かに男の無防備な右脇腹を狙った。だが、体を捻りかわされたその直後、スバルの目に飛び込んだのは男が剣を食い込ませた壁だった。その切れ込みの入った壁を見て、咄嗟にこの作戦を思いつき体制を前方へと崩すフリをして強引に壁まで切っ先を届かせたのだ。
ここが狭い廊下である事と、この男が警戒心が強く尚且つビビリだった事がスバルの勝因だった。




