第2回 フォンと言う名の少年
崩壊する天井。
その場にたたずむ二人。
傷だらけの二人は拳を握る。ひび割れた床から噴出す眩い光。そして、二人は駆け、互いに拳を振り抜いた。
――窓から射し込む陽の光。
机と本棚、ベッドしかない殺風景な部屋。ベッドの上で寝息を立てる少年。布団の合間からわずかに出た無造作な茶色の髪。それがわずかに揺れ、「んんっ」と小さな声が部屋へと広がり、布団が乱暴に捲られる。
目を開き、体を起こす。見慣れた夢を見て、体を震わせる少年は口元に笑みを浮かべると、小さく拳を握り、
「よっしっ! 今日も見たぞ!」
と、ガッツポーズを決めた。幼い頃からよく見ていた夢。それは、過去にあったと言う大戦の夢。鮮明にその光景を夢見る彼は、憧れていた。あの時の戦いで英傑と呼ばれる様になった者達に。だからこそ、この夢を見ると決まってこうしてガッツポーズを決めるのだ。
ベッドから起き上がった少年は「んんーっ」と背筋を伸ばすと、机に立てかけてあった一本の剣を手に取り部屋を出た。
「母さん! 母さん! 母さん!」
大声を上げながら慌ただしく階段を駆け下りる少年に、朝食の準備をしていた彼の母は空色の長い髪を揺らし、階段を下りる少年の方へと顔を向ける。
「フォン。朝はおはようでしょ?」
優しく微笑みそう告げる母親に、少年は慌てた様に足を止め、
「えっ、あっ、お、おはよう」
と、頭を下げ、静かに階段を下りた。落ち着きを取り戻したのか、静かに椅子に座ると、テーブルに並べられた朝食に目を向ける。焼きたてのパンが湯気を上げ、丸皿に盛られたトマトサラダに、ハムエッグが香ばしい匂いを漂わせていた。
持っていた剣をテーブルの足に立てかけ、手を合わせたフォン。
「いただきます」
「はい。どうぞ」
カゴに入ったパンを一つ手に取りかぶり付く。
「んぐんぐ。そうだ! 母さん! 聞いてよ」
「はいはい。分かったから落ち着いて」
パンくずを頬に付けるフォンに、ミルクを出すと、彼女は椅子に腰を下ろし嬉しそうに微笑む。出されたミルクを一気に飲み干したフォンは、唇の上に白いヒゲを作りながら更に言葉を続ける。
「今日で一週間。あの夢を見てるんだ! 英傑と呼ばれる人達、父さん、それに、あの戦いで行方不明になったって言う父さんの親友。俺が、その人になってて、みんなと一緒に戦ってるんだ!」
「へぇーっ。そうなんだ。それじゃあ、母さんもそこにいたのかしら?」
「えっ? 母さん? …………」
急に黙り込み腕を組む。夢の内容を思い出す。だが、もうすでにぼんやりとしか思い出せない。その為、明るく笑みを浮かべ、
「ごめん。思い出せないや」
と、笑ってごまかす。そんなフォンに苦笑した母は、頬杖をつき、その顔を見据える。思い出していた。昔見た一人の少年の顔を。母の視線を感じ、フォンは首を傾げ、怪訝そうな表情を向ける。
「あのさぁ、また、思い出してたの?」
「そうね。あなたの顔を見てるとね。なんだか思い出しちゃうのよ」
「ふーん。そんなに似てる?」
「うーん。見た目は似てきたかな? ふふっ。やっぱり、アイツの名前を付けたのは間違いだったかしら?」
嬉しそうに微笑む母の姿にフォンは恥ずかしそうに頭を掻く。フォンと言う名前は、彼の父の友人の名前だった。彼の様に育ってほしいと願いを込めてフォンと名づけられたのだ。フォン自身、この名前を気にいっていた。あの英傑と一緒に戦った男の名前と同名だと言う事を誇りにしていた。
照れくさそうに頭を掻くフォンは、不意に立ち上がる。
「んっ? どうしたの? フォン?」
「ごめん。そろそろ行くよ」
「えっ? でも、まだ――」
テーブルに残された朝食を見てフォンの母は驚く。いつもなら急いでいても残さず食べるフォンが、パン一つとミルクを飲んだだけで出掛けるなんて信じられなかったのだ。
「大丈夫? 体調悪いの?」
慌てて立ち上がったフォンの母は駆け寄ると、額に手を当てる。その行動に顔を真っ赤にするフォンは、その手を払って大声で怒鳴る。
「ね、熱なんてないよ!」
恥ずかしさに耳まで真っ赤にしたフォンは、カゴの中からパンを二つ取り、玄関の脇に掛けてあった茶色のロングコートを羽織、慌ただしく家を飛び出した。そんなフォンの姿を見送る母親は、頬に手を当てて小さく吐息を漏らす。
「反抗期かしら……」
空色の瞳を薄らと潤ませながら小さく呟いた。
家を飛び出したフォンはパンを銜えて走っていた。剣を背負い、道を駆けるフォン。
ここは南の大陸ニルフラントの西にあるクラストと呼ばれる中型の街。世界はあの大戦から発展を重ね、ここニルフラント大陸も大きな発展を遂げた。子供達は誰でも学校へと通える様になり、移動手段として中型の飛行艇が空を行き交う。
だが、十五年前のフォースト王国で起こった国王暗殺事件を境に、北のグラスター王国国王暗殺事件と、二人の偉大な王を失い世界の均衡は崩れた。王を失ったフォーストとグラスターは分裂し、今や大陸は数国に分断され小さな戦争が数年続いていた。
それにより、ここニルフラントが四大陸で一番大きな力と権力を持つ事となり、現在一番安全な国となっていた。
クラストは、そんなニルフラントの首都から離れた所にある街で、商業が盛んな街だ。街には大きな学校が一つ。現代学・戦闘術・歴史などを教え、優秀な兵士を育成する場でもあった。
フォンはその学校の上級クラスに所属しているのだ。ようやく足を緩めたフォンは、額から滲む汗を拭うと、小さく息を吐くと、ゆっくりとした足取りでこの街の外れにある大木へと歩き出す。そこにたたずむ一人の少年。その少年はフォンの姿に気づくと、緩やかな黒髪をなびかせ、腕を組み怒鳴る。
「おい! 遅刻だぞ」
「わりぃ! ホント」
両手を合わせたフォンが、軽く頭を下げると、少年はジト目を向け腰に手を当て深く吐息を漏らした。長い付き合いで分かっていたのだ。フォンが遅刻した理由を。だから、呆れた様な眼差しを向け、苦笑した。
「また、あの夢か?」
「あはは……うん。そうなんだよ。ついつい見入っちゃって……」
「見入ったって夢だろ。しかも、何度も見てるだろ?」
呆れた様な表情を向ける少年に対し、フォンは引きつった笑みを浮かべる。沈黙が二人の間に妙な空気を作った。その妙な空気の中、少年が深々と息を吐き、肩を落とした。
「まぁいい。行くぞ。俺まで遅刻したくないからな」
「お、おう」
歩き出す少年の隣に並び、フォンも歩みを進める。古びた茶色のコートを揺らすフォンを横目で見据える少年は、腕を組む。
「なぁ、そのコート……」
「えへへ。親父の形見なんだよ。どうだ? 似合うか?」
「あーぁ……裾、引きずってるぞ」
「ぬあっ!」
驚くフォンが足元を見ると、コートの裾が地面に引きずられ、汚れていた。
「り、リオン! 何でもっと早く教えてくれなかったんだよ!」
「いや、気付くだろ? 普通」
「あぁーっ! 親父の形見が……」
コートを脱ぎ、半泣きしながらフォンは歩む。そんなフォンの姿を見据え、リオンはクスッと笑うと、その肩をポンと叩く。
「ほら、洗えばいいだろ? それに、ちゃんと裾直さないからそうなるんだ」
「分かってるけど……」
父の形見と言うだけあって、フォンのへこみ様は半端ではなかった。ガックリと肩を落とし、あからさまに落ち込んでる感をその背中に感じ、リオンは小さく吐息を漏らすと、フォンの肩に腕を回し、「落ち込むなよ」と、元気付ける様に声を掛け続けた。