第144回 メリーナの戦い
炎を纏ったカインの拳が、フォンの顔面を打ち抜いた。
鈍く重々しい骨と骨がぶつかる嫌な音が聞こえ、フォンの体は軽々と吹き飛ぶ。
一回、二回、と地面を転げ、やがて仰向けに倒れる。
大の字に倒れ動かないフォンを見据えるカインの髪は完全に金髪へと戻り、拳を包んでいた炎は消えた。
呼吸を乱し、大きく肩を上下させるカインは、崩れ落ちるように膝を地面に落とす。流石に体は限界だった。
小柄なカインは、元々打たれ強い方ではない。それに、炎血族として炎を使う為に、血を流し過ぎた。
ふらふらになりながら右手を地に着き、俯くカインは奥歯を食い縛りゆっくりと視線をフォンの方へと向ける。
仰向けに倒れ動かないフォン。鼻先は黒焦げ、鼻血は頬を伝う。
意識を断つには十分の渾身の一撃。カインはそう自負する。ただ、カインにも相当のダメージがあった為、それがどうマイナスに働いているのかは不明だ。
呼吸を乱し、小さく頭を振るカインはゆっくりと地面へと腰を下ろす。
「これで……ハァ、ハァ……どうだ……」
両手を体を支えるように地面に着き、カインは背を仰け反らせ空を見上げる。
そんなカインの横を右脇腹を左手で押さえながら、ユーガがゆっくりと通過し、仰向けに倒れるフォンの傍に膝を着く。
「はぁ……はぁ……ま、まだだ……」
ユーガは苦悶の表情を浮かべながら、フォンの額に右手を置く。
「いるんだろ!」
唐突に叫ぶユーガに、カインは怪訝そうな目を向ける。
だが、ユーガはそんな視線など気にした様子はなく、更に続ける。
「手伝って欲しい!」
「お、おい……どうしたんだ? 急に」
叫ぶユーガに、カインは思わずそう声を掛ける。
流石にダメージを受けすぎて妙な幻覚でも見ているんじゃないか、そう考えたのだ。
そんなカインの心配を余所に、ユーガは辺りを見回し更に声を上げる。
「近くで見ているんだろ!」
「お、おい、大丈夫か」
ゆっくりと立ち上がり、カインはユーガの方へと足を進める。
そんな折、
「はわわ! な、何するんですか!」
「いいから、出なさい」
クリスに押され、燃える飛行船の影からメリーナがトコトコと姿を見せた。
金色の髪を揺らすメリーナは不安げに胸の前で手を組み、その背を空色の髪を頭の後ろでまとめたクリスが右手で押す。
「ちょ、ちょっと、く、クリス様! お、押さないで――」
「急ぎなさい」
「で、でも、あの人――」
「大丈夫よ。今は」
「い、今はって……」
クリスの発言に慌てるメリーナ。だが、クリスは表情一つ変えず、メリーナの背を押す。
二人の姿を目視し、安堵するユーガはフッと静かに息を吐き、脱力する。
「……よかった。とりあえず、フォンの治療の方をお願いしたいんだけど……」
落ち着いた面持ちのユーガは、僅かに乱れた呼吸を整えながら、優しい口調でメリーナへとそう告げた。
一層、メリーナは困惑する。ユーガのその優しい眼差しに。
とても、フォン達と敵対し、戦っていた人とは思えなかった。
そんなメリーナの気持ちを、考えを、悟り、クリスは小さく鼻から息を吐き、
「言ったでしょ。今は大丈夫だと。だから、あなたの力を貸してあげて。フォンの状態は極めて危険よ」
と、その背を力強く押した。
それにより、前のめりになりながら一歩、二歩と足を進め、メリーナは金色の髪を揺らし、横たわるフォンの傍へと立ち止まる。
傷つきボロボロの体。それは、カインもユーガも同じ。なのに、フォンの呼吸だけが一段と弱々しい。
いや、その呼吸は今も徐々に弱くなっていた。
一目見て、それに気付き、メリーナはその場に膝を着き、フォンの胸へと両手を当てる。
「なんですか! この状態は!」
「言ったでしょ。彼の状態は――」
「クリスは黙っててください!」
厳しい口調でクリスの言葉を遮り、メリーナは両手に力を込める。メリーナの両手が淡い光に包まれ、その光はじんわりとフォンの体へと浸透していく。
と、同時にメリーナの表情は険しくなり、体中に痛みが走る。
癒天族の力は癒し。そして、癒した者のダメージの一割をその身に受ける。当然、そのダメージが大きければ大きい程、その身に受けるダメージも大きくなる。
それほど、フォンの状態は悪く、「ゲホッ!」とメリーナは咳き込み少量の血を吐いた。
「メリーナ!」
声を上げ、駆け寄ろうとしたカインだったが、脚がもつれその場に倒れ込んだ。
「カイン。キミも重傷者なんだ。まだ、動かない方がいい」
フォンの頭に手を当てるユーガは静かにそう言う。
「でも、メリーナが――」
心配するカインだが、メリーナ本人はそんな事を気にした様子はなく、呼吸を乱しながらも治療を続ける。
そして、クリスもそれを止めようとはせず、ジッとメリーナを見守っていた。
反応として、対応としてカインは正しい。フォンのダメージがどれだけのものか分からない。そのダメージをか細く華奢なメリーナが引き受けるなど、下手をすれば命に係わる事だった。
何も言わない。止めようともしない。そんなクリスに、カインは複雑そうに目を伏せる。すると、クリスは静かに口を開く。
「カイン。あなたの気持ちは理解出来ます。ですが、最優先すべきは、彼を――フォンを――」
「メリーナ。頭は僕がやる。だから、君は体の治療にだけ集中してくれ」
クリスの声を遮るようにユーガが指示をする。その声にメリーナは口から血を滴らせながら小さく頷く。
この中で一番正しい考えを持っているのはカインだった。とてもじゃないが、今の状態のフォンをメリーナに治療させるなど、正気の沙汰ではない。
それでも、止めようとしないクリスとユーガに、蔑むような眼を向けるカイン。
だが、カインも何も言えない。とてもじゃないが、苦しみながらも、血を吐きながらも、治療を続けるメリーナに、それをやめろとは言えなかった。
救える命を救おうと必死のメリーナの顔が、それを言わせなかった。
「カイン。これが、メリーナの戦いなのです」
クリスはそう告げ、小さく息を吐く。
その手が僅かに震えているのは、彼女自身もメリーナの事を心配しているからだった。
フォンの頭に乗せたユーガの右手が淡く光りを放つ。刹那、ユーガの鼻から血が流れだし、ガクンと上体が折れる。
意識が一瞬飛びかけた。それほど、フォンの脳へのダメージが大きかったのだ。
「ぐっ……」
思わず声を漏らし、歯を食い縛るユーガは静かにゆっくりと息を吐き、意識を集中する。
ユーガが想っている以上に、フォンの状態は深刻だった。
それだけ、無理な力を使い続けたと、言う事なのだろう。
治療を続けるメリーナとユーガ。
それを見守るカインとクリス。
静かな時だけが刻々と過ぎる。
どれ位の時間が過ぎただろう。
フォンを包む光が消え、メリーナは崩れ落ちるようにフォンの体に倒れ込み、ユーガは弱々しい呼吸で俯いた。
消耗と引き受けたダメージで二人とも動けない。メリーナに至っては、完全に意識を失っていた。
「治療は――……終わったのか?」
カインが静かに尋ねると、ユーガは右手を自分の頭に当てながら小さく頷く。
「ああ……。終わったよ。出来るだけの事はやった」
「……そう」
クリスは小声でそう言うと、メリーナの傍へと歩み寄り、その体を抱き起す。
「よく頑張ったわね。メリーナ」
抱き起したメリーナの口元の血を拭い、クリスは安堵したように息を吐いた。
ゆっくりと立ち上がるカイン。フォンの治療をしている間に、呼吸も整い、体力も少なからず回復していた。
「それで、君は何なんだ?」
カインは静かに尋ねる。
平然としているが、痛みを感じないと言うだけで、蓄積されたダメージは抜けず、体は異様に重く立っているだけでも辛かった。
そんなカインへと目を向けるユーガは、薄っすらと口元に笑みを浮かべ、
「少し……休ませてくれないか?」
と、疲れ切った様子で口にするが、カインはそれを拒否するように首を振った。
「疲れているのは分かるけど……ダメだ。僕らはただでさえ出遅れてるんだ。こんな所で悠長にしている時間はない」
「それなら、これを使うといいよ」
ユーガはそう言うと、懐から筒状に丸めた紙を取り出し、それをゆっくりと地面に広げた。
「これって……」
「転送装置だよ。君たちが目指す都市の地下施設に繋がっている」
「何でそんなもの――」
「当然よ。彼は、その地下施設で生まれ育ったんですもの」
カインの声を遮り、クリスがそう口を挟んだ。
その言葉にカインの表情は険しくなり、警戒心を強める。
苦笑いを浮かべるユーガは、困ったように眉を曲げ、クリスへと目を向けた。
「ちょ、人聞きが悪い……て、言うより、話が拗れるから……その言い方だと」
と、少々お道化て見せた。
しかし、カインもクリスも真剣な眼差しでユーガを見据える。
その眼差しに流石に申し訳ないと思ったのか、ユーガは小さく息を吐くと、座り直し地面に敷いた転送装置に触れる。
「これは、いざと言う時――いや、この時の為に準備していたモノ。君達を一気に敵の本陣に送る為に」
少し悲し気な眼で転送装置を見据え呟くユーガに、カインは怪訝そうに眉を顰める。
「その言い方だと、こうなる事が分かっていたみたいに聞こえるんだけど……」
「実際、こうなる事が分かっていたのよ。彼はすべての種族の血を引く、“銀狼”と呼ばれる存在なんだから」
クリスがそう言うと、カインは「銀狼?」と小首を傾げクリスの方へと目を向けた。
小さく肩を竦めるクリスは、
「詳しい事は、私も分からない。ただ、そう呼ばれていると言う事だけ知っているわ」
と、答える。
その答えを聞き、カインはユーガの方へと視線を向けた。
少しだけ嫌な顔を見せたユーガは、右手で頭を抱え深く息を吐く。
「“銀狼”は実験名で、実際にやっている事は人体実験だよ。人を人とも思わない。非人道的な実験さ」
「何の為に――」
「自分の知識を――、自分の能力を誇示したいだけ。目的なんてあるわけない」
カインの問いに食い気味にそう言い、ユーガは不快そうな表情を浮かべていた。
それだけ、この実験を行った人物、シュナイデルの事を嫌っている。そんな反応だった。
申し訳なく思ったカインは謝ろうと思ったが、それよりも先にユーガが話を進める。
「その実験で生み出されたのが、僕だよ」
胸へ手を当て、そう答えたユーガは瞼と閉じ、もう一度深く息を吐き、ゆっくりと瞼を開く。
「僕には、この世界の全ての種族の血が流れている。だから、時見族のように未来が見えるし、癒天族のように治癒の力も使える。そして、炎血族のように、血を燃やす事も」
少しだけ儚げにそう告げるユーガは、薄っすらと笑みを浮かべる。
その表情が、カインには何処か切なく見え、思わず目を伏せた。とても、他人事のようには思えなかったのだ。




