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第142回 フォン対黒髪の少年

 時は少々遡り――……

 大きく振り被った黒髪の少年の右拳が、鋭い風切り音を響かせ振り抜かれる。

 しかし、その拳は空を切り、それと同時に顔面へと蹴りが見舞われた。

 鈍い衝撃音が広がり、黒髪の少年の体が後方へと弾かれる。大きくのけ反る黒髪の少年は、鼻から血を流し、グラリと上体が揺らぐ。

 彼に蹴りを見舞ったのは前後に上半身を揺らし、虚ろな眼差しをしたフォンだった。黒髪の少年に頭から地面に叩きつけられた後から、フォンの様子はおかしい。

 意識があるのか分からないが、一言も言葉を発せず、上半身も安定しない。それでも、黒髪の少年の攻撃をゆらり、ゆらりとかわし、カウンターで一撃一撃見舞っていた。

 その豹変っぷりにカインは聊か驚いていた。だが、同時に恐れていた。このままだと、フォンが危ないと。

 だからこそ、ダメージで震える両足に強引に力を込め、立ち上がる。


「僕が……フォンを――」


 右足を一歩踏み出す。

 その瞬間、黒髪の少年が地を蹴り、同時にフォンは右拳を振り被る。

 カインは目の当たりにした。

 突っ込む黒髪の少年に、それがまるで確定事項のように右拳を振り抜くフォン。

 異様な光景だった。フォンが直感的にそうした――と、言うにはあまりにも動き出すタイミングが速過ぎ、そして、その拳の軌道に迷いがなかった。

 フェイントを入れるように上体を揺らしていた黒髪の少年。その顔面をいとも容易くストレートで撃ち抜いていた。

 鈍い打撃音が広がり、黒髪の少年の上半身が仰け反る。鮮血が宙へと舞い、同時にフォンはその場を飛び退く。

 瞬間、黒髪だった少年の髪が、発火したように一瞬で真っ赤に染まり、宙へと舞った血が燃え上がり炎が降り注ぐ。

 すでにその範囲外へとフォンは離れ、虚ろな眼差しを赤髪の少年へ向ける。殴られた赤髪の少年もよろめき、フォンへと視線を向ける。

 あまりの攻防にカインは息を呑む。

 そんな中、フォンが再び動く。降り注ぐ無数の炎の雫をさけ、赤髪の少年との間合いを詰める。

 体勢を整える赤髪の少年の赤い瞳がギョロリとフォンを見据え、両腕を胸の前で交差する。顎を守るように。

 間合いへ左足を踏み込んだフォンは、左肩を引き、腰を回転させ、右肩を内へ入れるようにしながら腰の位置に握り締めた右拳を突き上げる。

 拳は鋭く風を切り、遅れて鈍い打撃音を広げ、赤髪の少年の体が後方へと弾かれた。

 だが、ここでフォンの攻撃は終わらない。更に右足を踏み込み同時に左回りに体を回転させ、左足で後ろ蹴りを見舞う。

 ガードの上からでも容赦なく叩き込まれた後ろ蹴りで、赤髪の少年は更に後方へと吹き飛ぶ。

 背を丸くし、一転、二転と転げる赤髪の少年は、すぐに体勢を整えフォンを見据える。

 その口角から血がツーッと流れ、ポツリポツリと地面に落ちた。

 二人の動きが止まり、赤く染まっていた髪は黒髪へと戻る。僅かに乱した呼吸から、彼が疲弊しているのは容易に理解出来た。

 一方、フォンは息一つ乱さず、ふらふらと上半身を揺らしながら虚ろな眼を黒髪の少年へと向けていた。

 二人の攻防に息を呑む事しか出来ないカインは眼を見開く。

 刹那、黒髪の少年は肩幅に両足を開き、胸の前で交差した腕を引き、口を窄め息を吸う。

 首から頬にかけ鱗模様が浮かび、胸――ちょうど肺の部分が赤く光る。


(咆哮か!)


 すぐにカインが気付き、続けてフォンの方へと目を向ける。だが、すでにそこにフォンの姿はなかった。

 驚愕するカインの視線は、自然と黒髪の少年の方へと向く。

 そして、そこにフォンの姿もあった。すでに咆哮を撃つ寸前の黒髪の少年の間合いに、左足を踏み込み、引かれた右肩、肘は畳まれ、その手は開いたまま肩口に構えられる。


「ウガ――ッ」


 咆哮を放とうと大口を開けた黒髪の少年の顎を、肩口に構えられた右手の掌底が撃ち抜く。

 と、同時にフォンは右足で黒髪の少年の右足を狩る。それにより、黒髪の少年の重心が後方へと傾き、フォンは右手で黒髪の少年の顎を押さえたまま、地面へと後頭部から叩きつけた。

 地面が砕ける乾いた音のすぐあとに、衝撃音が凄まじい衝撃と共に広がる。

 大量の土煙と砕石が舞う。

 流石のフォンも、近距離で広がった衝撃で吹き飛ばされたが、何事もなかったように着地すると二歩、三歩と後退り、よろりとよろける。

 広がった衝撃は、黒髪の少年の咆哮が口を塞がれ行き場を失った結果、それが口の中で爆発したのだ。当然、黒髪の少年の頭部には辺りに広がった衝撃以上の衝撃があっただろう。意識を失う――いや、絶命してもおかしくないだけの衝撃――。

 にも関わらず、黒髪の少年はそこに佇んでいた。土煙の中、頭から流れ出した血で顔を赤く染めて。

 そんな黒髪の少年は、口の中を舌で掻きまわし、プツッと血を吐く。


「奥歯が……二、三本……持ってかれた……前歯は――大丈夫なのは、幸いか……」


 静かな幼さの残る声で呟き、黒髪の少年はゆっくりと瞳を動かす。状況を確認するように右へ、左へと小さく頭を動かし、カイン、フォンの順に目を向ける。

 そんな黒髪の少年と、一瞬目が合い、カインは眉間にシワを寄せた。雰囲気が変わり、殺気も消えた。

 何が起こっているのか理解できず、カインは困惑していた。

 一方で、黒髪の少年は状況を把握し、右手を腰に当て深く息を吐き出す。


「状況は……最悪……一歩手前かな」


 ボソリと呟き黒髪の少年はもう一度深く息を吐いた。

 それから、左手で頭を掻き、ゆっくりとフォンの方へと体を向ける。


「さて……時間もないし……」


 黒髪の少年は拳を握り、左足をすり足で前へと出す。

 その眼が見据えるのはゆらりゆらりと揺らめくフォン。二人の視線が交わり、数秒の時が流れ――地面が砕ける音と衝撃が弾け、フォンが黒髪の少年の視界から消える。


「風牙族の風の力に、烈鬼族の肉体強化……それと、空鳥族の浮遊」


 黒髪の少年が視線を上げると同時に、フォンが右足から急降下する。いわゆる飛び蹴りだが、落下速度も相まって、その威力はすさまじく、両手を重ね合わせ右足を受け止めた黒髪の少年の小柄な体は、容易に後方へと弾き飛ばされた。

 そして、飛び蹴りを放ったフォンはそのままの勢いで地面を砕き着地し、大量の砕石と土煙を巻き上げた。

 倒れる事なくその一撃に耐えた黒髪の少年。その両足には鱗模様が浮き上がり、髪はいつの間にか白煙を上げ赤く染まる。


「まさか……ここまで、力が覚醒しているなんて……」


 呼吸を僅かに乱す黒髪の少年は、目を細める。


「流石に、僕も本気でいかなきゃ、君を止められそうにない」


 奥歯を噛み、薄っすらと開いた唇から熱気を帯びた息を吐き出す。

 そして、カインへと目を向け、


「僕はユーガ! 悪いけど、フォンを止めるのを手伝って欲しい!」


と、叫ぶ。

 それと同時にフォンの左足の蹴りが、ユーガと名乗った黒髪の少年を襲う。

 頭を狙った一撃。それを、ユーガは左腕で防ぐ。その腕には鱗模様が浮かび、同時に筋肉が一瞬膨らむ。

 風を切る僅かな音が耳に届き、ユーガは左手を顔の前へと出す。直後、重々しい打撃音が広がり、その手の中にフォンの右拳が受け止められる。

 フォンの拳を止めた左手は額の前で僅かに震える。腕力は拮抗し、そこから両者の手は動かない。

 すでに下ろされたフォンの左足。それを目視したユーガが瞬きを一つし、「イッ!」と声を上げる。

 直後、フォンは口を開く。首筋に浮かぶ鱗模様。喉の奥の赤い光。それらが指し示すものは――


「咆哮は撃たせない!」


 左手で受け止めていたフォンの拳を払うと同時に、右の掌底をフォンの腹へと打ち込んだ。

 フォンの腹に打ち込まれた掌底。その衝撃は体内を突き抜け、その体を僅かに浮き上がらせた。

 それにより、息は強引に吐き出され、咆哮は不発に終わる。

 だが、両足が地に着くと同時に、フォンは両手で掌底を打ち込んだユーガの右腕を掴み、右足へと重心を移動させ、そのままユーガを投げ飛ばす。


「ッ!」


 奥歯を噛むユーガの体は軽々と投げ飛ばされ、燃え上がる飛空艇へと激突し、その壁を破壊し、そのまま飛空艇の中へと姿を消した。

 よろめき、呼吸を整えるフォンは、その体をユーガを投げた方へと向けた。

 事の成り行きを見ていたカインは茫然としていた。

 あまりの出来事に思考は完全に停止し、ただその場に立ち尽くす。

 意味が分からない。

 普通の人間であるはずのフォンに浮き上がった鱗模様。そして、放とうとした咆哮。

 それは、どれも龍臨族の特徴だった。

 何が起こっているのか、何故、そんな事が可能なのか。

 思考が少しずつ動き出し、疑問が頭の中を渦巻く中、カインは瞬きを一つした後気付く。

 先程まで佇んでいたフォンの姿が消えた事に。

 直後、カインを襲う凄まじい衝撃。

 気付いた時にはフォンが間合いに踏み込み、腹に左拳を突き立てられた。


「ガハッ!」


 カインの口から血が唾液と共に吐き出され、上半身が前のめりに崩れる。

 フォンの左拳はすぐに引かれ、降りてきたカインの顔面を左膝でかち上げた。


「ぐっがっ!」


 顔面が大きく跳ね上がり、上体は伸びる。

 それにより、無防備になった腹部へとフォンは右足を踏み込み、そのまま右拳をカインの右脇腹に振り抜こうとして、動きを止め、その場を飛び退く。

 その瞬間、カインの金色の髪が赤く発火し、吐き出された血が一瞬で燃え上がる。

 だが、それも一瞬で沈下し、カインの赤く変わった髪も毛先だけを赤く染め、あとは元の色へと戻っていた。

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