第140回 大炎上!
暴風と化した風の矢は、大量の蒸気を噴かせ、更に威力を上昇させていく。
その蒸気の中、弓を構え、風の矢を引くグラッパの腕は血に染まっていた。荒れ狂う風の矢は鋭く、グラッパの腕を切り付けていたのだ。
鮮血が霧状に舞い、傷口から溢れる血は腕を伝い肘先からポトリ、ポトリと足元へと落ちる。
歯を食い縛り、荒々しい呼吸を繰り返し、グラッパはただ痛みに耐え、風の矢を更に強化していく。
力を込めれば込めるだけ、弓となった二本の剣の刃に刻まれた彫りを伝い風が流れ、朱色の刃は火を噴かせ、蒼い刃は水飛沫を上げ、風の矢に収縮される。当然、二本の刃への負荷も大きく、切っ先を下に向ける蒼い刃には亀裂が生じ、不規則な風の流れで水飛沫が不安定に弾けた。
暴風と化した風の矢に、カタカタと弓が震え、その鏃は大きく右へ、左へ、上へ、下へと動く。
それでも、グラッパは表情一つ変えず、空にいるバーストを見据える。
視線の先にはエルバとバーストの二人。その奥に上層部が崩れかけた高層の建物が見ていた。
確認を終え、グラッパは高温の蒸気の中、スッと息を吸い、
「俺が――この俺様が、外すと思ってんのか!」
と、叫んだ。
叫んだ理由は二つ。一つは合図。準備が整ったと、ブライドとエルバに伝える為の。
二つ目は――……
グラッパの声に即座に反応したのはバースト。すぐさまその声――グラッパの方へと視線を向ける。
その光景を地上から見ていたブライドは、静かに息を吐き、
「エルバ、右にかわせ」
と、囁くように告げる。空鳥族であるバーストになら、この程度の囁きでも十分聞こえる。当然、バーストにも。
強い警戒心。先程見た連携が頭の何処かに残っていたのか、バーストの視線は自然とブライドへと向いた。
だが、ブライドの手元に武器はなく、空中にいるバーストを攻撃する手段など無かった。ただのブラフであり、グラッパの叫んだ意図を汲み取った次への布石。
それに合わせたようにエルバはバーストへと攻撃を仕掛け、挑発を繰り返す。二人の行動の意図を汲み、バーストの注意が自分へと向くように。
打ち合わせなどしていない。ただ、この状況で相手が何を考え、何を求めているのかを考えた結果だった。
激昂するバーストが叫ぶ。その声は、鋭い風の音が響く中にいるグラッパには聞こえない。だが、その様子から自分への警戒が解けた事を理解し、グラッパは口元へと笑みを浮かべる。
震える鏃の動きがやがてピタリと止まり、
「完璧だッ!」
と、叫び矢を射る。
破裂音が広がり、衝撃がグラッパの体を弾く。蒼い刃が砕け、グラッパの手から朱色の刃の剣が投げ出される。
一方、放たれた風の矢は初速から一気に加速。甲高い音を奏で、一瞬にしてバーストの頭を射抜いた。
頭蓋骨が砕ける破裂音の後、鮮血が弾ける。その破壊力は、バーストの胸元までを大きく抉り取っていた。
だが、終わりじゃない。すぐにバーストの体の再生が始まる。
二度、三度と地面を転げるグラッパ。
駆け出すブライド。
バーストから距離をとるように上昇するエルバ。
そして――
「来たっ!」
高層の建物の最上階にいるウィルスは、瞼を開き、腰に力を入れる。
衝撃が体の左側に平行に構えていた両腕を襲う。両手の間で逆巻いていた風が、グラッパの放った風の矢を補足した。
ウィルスがまず行った事。それは、ここまで到達するまでに風を吸い膨張した風の矢を収縮する事。風の矢を受けたその一瞬でそれをやってのけ、同時に風の矢を再度構築する。
床に突き立てたパイプに、右足をロープで結んでいた為、ウィルスの体はそれを軸に回転をし始める。床が滑りやすい材木で出来ていた事と、足元に広がる血で摩擦が無く、回転速度は徐々に上がっていく。
その間にウィルスは下にいるバーストへと狙いをつけ、風の矢を放つタイミングを計りつつ、風の矢を制御する。
暴れ狂うようにウィルスの両手を切り付け、油断をすると左脇腹を抉られそうになる。衣服が切り裂かれ、鍛え上げられた腹筋があらわとなり、左脇腹からは血が弾ける。
「グッ……」
奥歯を噛み締め、表情を歪めながらも、ウィルスは回転する中でバーストの姿をしっかりととらえる。
ここまで、僅か三回転の出来事。時間に換算して数秒も立たないほんの一瞬の出来事だった。
足元には赤い円が描かれ、遠心力で床に突き立てたパイプがギシギシと揺らぐ。
限界が近いと判断するウィルスは、四回転目にして両手で制御する風の矢を放つ。
矢を放つ際、両手に集めた風を破裂させた為、脆くなった床が崩れパイプが弾かれる。そして、遠心力によりウィルスの体を空へと投げ出された。
すでに体力の限界で風を集める事もままならないウィルスを、上昇してきたエルバが受け止め、「大丈夫か?」と静かに声を掛けた。
返答はなかったが、大丈夫だ、と言うようにウィルスは小さく右手を振って見せる。
「そうか……。こっちも、決着がつきそうだ。ゆっくり休むといい」
エルバはそう言い、上空から事の成り行きを見守る。
笑い声がこだまする。
バーストの顔は下半分の再生が終わり、鼻筋と両眼の再生が始まっていた。
利き目である右眼の再生が左眼よりも早く終わり、その眼が地上にいるグラッパへと向く。
「学習能力が無いのか! 貴様は!」
両腕を広げ、勝ち誇るバースト。
地面に倒れ腕から血を流すグラッパはその声に反応しない。言うだけ無駄だと分かっているから。
天を仰ぎ胸を上下に揺らすグラッパは、何も言わず血に染まった右手を上げる。
「後は、テメェの仕事だ」
掠れた声でそう言い、右手を力なく落とす。
その声にブライドは「ああ」と答え、地面に突き刺さった剣の柄を握った。
柄頭にはブライドのボックス武器が棒状になり装着され、ブライドはその部分を力いっぱいに引く。鈍い金属音を奏でながら、その棒状のボックス武器は伸びる。
三〇センチ程の長さだったボックス武器は、その質量を何処に隠していたのか、すでに一メートルを超え、刀と言うよりも槍に近い柄の長さへと変わっていた。
奇妙な行動をとるブライドに、バーストの視線が向く。何をしているのか、と疑念を抱くが、今更何をしようと状況が変わる事はないと、それを鼻で笑う。
頭の再生がほどなく終わり、最後に両耳がゆっくりと再生されていく。ようやく、バーストの耳に音が戻り、それと同時にブライドの声が届く。
「決着をつけよう!」
土が崩れる音が鮮明に聞こえ、ブライドが槍――いや、どちらかと言えば薙刀と化した朱色の剣を地面から抜く。
土が舞い、刃が風を切り火花を散らす。
それを目にし、バーストは首を振る。
「今更……それで、どうする――」
そこで、バーストは気付く。修復された耳、戻りつつある聴覚に届く奇妙な風切り音に。
「なんだ!」
叫び、振り返る。直後、鳩尾を衝撃が襲い、バーストの口から血が弾ける。
「ガハッ!」
思わず、バーストは両手でそれを押さえる。そして、そこで理解する。自らが受け止めたものが、先程自分の頭を射抜いたグラッパが放った風の矢だと。
バーストは困惑しつつも、両腕に力を込め、鳩尾に減り込みつつある風の矢を押し戻そうとする。だが、それは叶わない。
風を取り込み膨らみ、さらに、ウィルスによって圧縮され洗練された風の矢は、もはやバーストの腕力でどうこう出来る代物ではなかった。
奥歯を噛み、必死に耐えようとするバーストの視線に、上空にいるエルバの姿が入る。そして、その腕に抱えられる小柄な少年――ウィルスの姿を目視し、理解する。
「あのガキがッ!」
思わず叫ぶバーストの鳩尾を風の矢は貫く。そして、その肉体を暴風が切り裂く。
血肉が弾け、バーストの体が裂ける。だが、バーストは勝ち誇ったように笑みを浮かべた。
風の矢は、バーストの心臓を貫いた。しかし、核である種は無傷で血肉と共に舞う。受け止める事も、受け流す事も出来ないと判断したバーストは僅かにその軌道をずらしたのだ。
(――勝った。これで、奴らは――)
確信しほくそ笑む。そんなバーストの視線が地上へと向く。
そして、気付く。
(地面が、近――)
地面が近い事に。
風の矢を受け止める事に必死になり、風の矢に押されている事を忘れていた。
そんなバーストの視線は、風の矢の進行方向――その先に佇むブライドを捉える。朱色の刃の薙刀を頭上に構え、深く息を吐き脱力するブライドは、向かってくる風の矢を見据え、
「これで、最後だ!」
声高らかに叫び、薙刀を頭上で一回、二回と回転させる。朱色の刃が風を受け、火花を二度三度と散らせた後、発火する。
それを目にし、バーストの眼が見開かれる。
「やめ――」
理解した。ブライドが何をしようとしているのか。だが、声はそれ以上出ない。
それよりも先に――
「燃え尽きろ――」
薙刀の回転の勢いをそのままに、ブライドは風の矢に向かって薙刀を振り下ろした。
長い柄がしなり、火を噴く朱色の刃が火の粉を舞わせ、風の矢と衝突する。
衝突した衝撃で炎が弾け、更に圧縮された風で形成される風の矢を受け――
「大――炎上!」
ブライドの叫び声と同時に、朱色の刃が風の矢を両断。そして、熱風と共に炎の渦が空へと噴き上がる。
炎は呑み込む。空気と風を。そして、引き裂かれたバーストの体を。
熱風と熱気に表情を歪めるエルバは、空へと昇る炎の見据え、
「凄い火力だ……」
と、呟き、
「熱い……」
と、エルバに抱えられるウィルスは目を細める。
そして、地面に横たわるグラッパは、空に昇る炎を見上げ、
「技名……ダセッ」
と、苦笑した。




