第14回 不穏な空気
フォン達が旅に出て一週間ほどが過ぎた。
その頃、クラストにあるアカデミアでも問題が生じていた。
理事長室。そこに居たのはアリアと、もう一人黒髪の若者。怒りをあらわにするアリアに対し、黒髪の若者は落ち着いた面持ちで理事長である中年男性を見据える。
このアカデミアは元々金持ちの娯楽で作られた育成機関。その為、理事長には全くと言って武功は無い。それでも、このアカデミアが有名になったのは、ワノールと言う指導者が居たからで、この理事長はこのアカデミアを金儲けの道具にしか考えていないのだ。
そんな男に、アリアは机を激しく叩き怒鳴り声を上げる。
「どう言う事ですか! 上級クラスの生徒達が全員アカデミアをやめたと言うのは!」
「ワノール殿が死に、この学園で教わる事など無い。そう言う事じゃないのかね」
興味が無いと言わんばかりの態度の男に、アリアは拳を握る。その右斜め後ろに佇む若者は、瞼を閉じ黙っていた。
一方で、怒りの収まらないアリアは握った拳を振り上げる。
「な、何だね! 君は、私に暴力を振るう気かね!」
アリアの突然の行動に怯えた様な顔を向ける男に、流石の若者も瞼を静かに開きアリアの方へと歩み寄る。
「アリアさん」
「分かってる。分かっている! だが!」
そう叫びアリアの拳が机へと叩きつけられる。大きな衝撃音が轟き、机は真っ二つに割れる。広がった衝撃は、中年の男の体を後方へと押しのけ、その後ろに広がっていた窓ガラスは一斉に割れ、外へとガラス片と飛び散らせた。
「彼らはまだ未熟な学生。その彼らを指導するのがこの学園のすべき事じゃないのですか! 今、世界がどうなっているのかご存知なのですか? こんな世界に、まだ未熟な彼らが出て行けば、間違いなく死にます!」
「だ、だから、何だと言うんだね! 奴らは勝手に出て行ったんだ。私の知った事か!」
「なっ! あなたは、この学園の理事――」
「アリアさん!」
理事長である中年男に掴みかかろうとしたアリアの肩を、若者は強引に押さえつけ、静かに首を左右に振る。何を言っても無駄だと、言う様な悲しい眼差しを向けながら。このアカデミアの卒業生である彼は知っているのだ。この男の性根が腐りきっている事を。
そんな彼の表情を見て、アリアは目を伏せ小さく舌打ちし、彼の腕を振り切り理事長室を後にする。若者も、理事長に対し軽く会釈をしアリアの後を追う様に理事長室を出て行った。
静けさ漂う廊下に響く二つの足音。前方を歩くアリアの苛立った様な足音に、後方から続く若者の静かな足音が重なる。
「これから、どうするつもりですか?」
若者はアリアの背中に尋ねる。すると、アリアは静かに足を止めた。拳が震えているのが分かり、若者は真剣な表情をアリアの背中へと向け、静かに口を開く。
「行くんですね。アリアさんも」
「ああ。悪いな。ジェノス。呼び出しておいて……」
「いえ。僕の方こそ、すみません。役に立てなくて……」
俯く彼の目に涙が浮かぶ。森で横たわるワノールの姿を思い出したのだ。あの時、もっと早くあの場に駆けつけていれば。ワノールを助けられたかもしれない。そう思うと、悔しくて仕方なかった。
拳を握り締めるジェノスに対し、アリアの瞳も陰る。アリアもワノールを助けられなかった事を悔やんでいた。もっと早くその事に気付いていればと。
沈黙する二人に、静かな足音が近付き、静かな声が二人へと告げる。
「あの……上級クラスはどうなるんですか?」
大人しげな声で、丁寧に尋ねるその声の主に、アリアは振り向く。そこに居たのは、一人の少女。小柄でとても十五歳とは思えない程幼さの残る顔立ちの少女は、長い桜色の髪を頭の後ろで束ね不安そうな表情で二人を見据える。
フォンやリオン、スバルと同じ十五歳にして一発で上級クラスへの進級試験を通過した彼女にとって、上級クラスに入る事は夢だった。だが、その矢先に上級クラスの生徒が皆アカデミアを去ってしまうと言うこの事件。不安にならない方がおかしかった。
そんな彼女に対し、アリアは申し訳なさそうに告げる。
「ごめんなさい。私の力ではどうにも出来ないわ。ただ、私は連れ戻すつもりよ。彼らにはまだ学ばなければならない事が沢山あるから」
「それじゃあ、アリアさんもこれから旅に出るんですか?」
少女が静かな口調で淡々と尋ねると、アリアは小さく頷く。
「そうね。まだ、この大陸に残っていると思うから。今から出ればまだ間に合うわ」
「あ、あの……わ、私も……いっしょに……」
後半は小声だった為聞き取れなかったが、何となく何が言いたいのか分かり、アリアは複雑そうな表情を浮かべ、彼女の目を真っ直ぐに見据える。
「あなたを危険な目に合わせるわけには――」
「いいじゃないですか? 僕も一緒に行きますし、ね?」
断ろうとしたアリアの声を遮り、ジェノスが満面の笑みを浮かべそう言い放つ。その言葉に彼女の表情に僅かながら笑みが浮かび、その淡いオレンジの瞳が輝く。呆れた様な表情を浮かべたアリアは、横目でジェノスを睨んだが、ジェノスは全く気にせず、彼女の方へと歩み寄る。
「僕はジェノス・ジュラース。キミは?」
「わ、私は、クレア・フィリアンです」
愛らしく笑みを浮かべるクレアの頭を、ジェノスは優しく撫で、アリアは呆れながらもその光景に静かに笑みを浮かべた。
場所は変わり、クラストから東に数百キロ程離れた集落の入り口にフォン達三人はいた。のどかで静かなその集落に三人は呆然としていた。クラストは小さい町だと思っていたが、それよりも更に小さな町が存在しているなんて思っても居なかったのだ。
「おう! 遅かったな。後輩共!」
入り口で立ち尽くす三人に不意に声が掛けられる。集落の方から。そこには二人組みの男女が居た。その二人の顔にフォンもリオンも見覚えが無く顔を見合わせ首を傾げる。だが、スバルはその二人に見覚えがあったらしく、フォンとリオンを押しのけ前へと出ると、声を上げる。
「オーガス先輩に、ユーノ先輩じゃないですか!」
「えっ? 知り合いなのか?」
フォンが腕を組み不思議そうにスバルに問いかけると、スバルは慌てた様に腕を振りながら怒鳴る。
「アカデミアの上級クラスの先輩だよ! 俺らの二つ先輩の!」
「え、えっとー……」
目を細めオーガスとユーノの二人を見据えるフォンに、二人は苦笑する。
「い、いいって。別に。そんな、無理して思い出さなくて」
「そうそう。先輩って言っても殆ど面識は無いだろうしな」
困り顔で優しく笑うユーノに、オーガスが豪快に笑う。上級クラスでも指折りの二人だが、フォンとリオンは全く覚えていない。それもそのはずだった。二人は上級クラスからの入学組で、元々は北の大陸グラスターのとある機関で諜報員として鍛えられていたが、二年前にその機関が何者かに壊滅させられ、アカデミアに入学する事になったのだ。
その為、フォンとリオンはこの二人と殆ど面識が無い。だが、スバルは何度か上級クラスに足を運んだ事もあり、オーガスとユーノの二人とは面識があったのだ。
「それで、先輩方はここで何を?」
笑顔を見せる二人に対し、怪訝そうな表情を浮かべたままリオンがそう尋ねると、オーガスが僅かに驚いた表情を見せた。その表情にリオンは眉間にシワを寄せる。
「ああ。悪い悪い。そうか。キミらは知らないのか」
睨みを利かせるリオンに、苦笑しそう告げたオーガスに、フォンもスバルも不思議そうな表情を浮かべる。
「実は、君たちが旅立った日。上級クラスの皆もあの町を出たんだ」
「えっ! み、皆?」
「えぇ。皆、ワノールさんの指導を受けたがってたから……その死が大きかったんでしょうね」
ユーノが悲しげな瞳でそう告げる。彼女もその一人だったのだろう。その悲しげな瞳に、フォンもリオンもスバルも掛ける言葉が見つからなかった。そんな三人の様子にオーガスが豪快に笑う。
「そんな気を落とすな」
「あんたが言うな」
オーガスの言葉にユーノが素早くツッコミを入れる。そのツッコミで空気が一変に、唐突に笑いが生まれた。
「まぁ、そう言う事だ。じゃあ、俺らはここで」
「それじゃあ、また何処かであった時に」
「えぇ。三人共、気をつけてね」
オーガスとユーノは荷物を持ち集落を後にする。その背中を見送り、三人は集落へと足を踏み入れた。
その日の夜――
「ううっ……」
「な、何だ、お前ら……」
オーガスとユーノは襲われていた。森の中で。
張り巡らされた刃物の様な鋭い糸。その中でうごめく黒い影。その口が大きく裂け不気味な笑い声が響く。
“クケケケケケッ!”
と。その笑い声に、二人の毛と言う毛が逆立つ。圧倒的な強さに、血にまみれた二人の姿。勝てない、殺される。二人の脳裏にそんな言葉が過ぎる。
そして――悲鳴がこだまする。二人の断末魔の叫びが、夜の闇の中に――




