第138回 空に飛ばせるな
崩れかけた高層の建物の最上階にウィルスは居た。
傷だらけで血にまみれた足で、どれだけの階段を上っただろう。
血はすでに止まりつつあるが、それでもまだ、床に血の足跡が残る。
そんなウィルスの手には、一本の細い鉄パイプが握られ、それを支えに最上階まで登ってきたのだ。
もう、殆ど体力は残っていない。膝も大分力が入らなくなってきていた。
それでも、ゆっくりと足を進めるウィルスは、壁沿いを進み、壁が崩れて外がうかがえる所まで移動する。
階数は三十階程だろう。地上にいるブライド達が小さく薄っすらと見えていた。
「位置的には……バッチリだな」
そう呟くウィルスは手に持った鉄パイプを床に突き刺し、背筋を伸ばし崩れて天井を見上げ、フッと、静かに息を吐いた。
「さて……やる事いっぱいだ……痛いの……嫌なんだよなぁ……」
一人ブツブツ呟いた後、ウィルスは辺りを見回し、床に散乱するガラス片を手に取る。
「まぁ……こうするしか、方法はないよな」
そう呟き、ウィルスは息を吐き出し、意を決し、ガラス片で手の平を切った。
血が溢れ出し、それが、足元に広がる。痛みに表情を歪めたが、すぐに首を振り、ウィルスは足元の血を両足で踏み締めた。
そして、上着を脱ぎ、それを破き崩れた壁を背に、右足を床に突き刺した鉄パイプに破いた上着できつく縛った。
「あとは……彼らが、気付くか……いや、気付く。それまで……」
ウィルスはそう言い、左手を肩口に、右手を腰の位置に構え、両手の平を平行に構え、風を集め始める。ゆっくりと静かに。
空鳥族であるバーストに音で気付かれないように。
「さぁ……準備は整った。あとは……待つだけ……」
ウィルスはそう呟き、目を伏せ、両手の間に集まる風へと意識を集中した。
右足を踏み込んだエルバが、右拳をバーストの左脇腹へと下からねじ込む。
「遅い!」
そう叫び、バーストはそれを右手で受け止め、そのまま拳を掴みエルバを空中へと放った。
「チッ!」
どちらかと言えば、大柄な体格のエルバ。筋肉の量から言っても、それなりに重量はある。それでも、軽々と宙へと投げられ、エルバは小さく舌打ちをした。
短い逆立った金髪を揺らし、グラッパはバーストの間合いへと入る。
当然、死角から。
だが、その足音に過敏に反応するバーストは、すぐにグラッパの方へと体を向け、
「貴様の動きも見えている」
と、振り向きざまに右拳を叩き込む。
「舐めんな!}
叫ぶグラッパは、両手でしっかりと握った蒼い刃の剣を右拳へと合わせる。切れ味の鋭い刃が、勢いよく振り抜かれたバーストの右拳を裂き、そのまま肘まで腕を裂く。
だが、バーストは表情一つ変えず、右足でグラッパに前蹴りを見舞った。
「うぐっ!」
腹を蹴られ、グラッパは派手に尻もちを着き、そのまま一回、二回と地面を転がる。
そんなグラッパにバーストは追い打ちを掛けようと、右足を踏み込む。切り裂かれた右腕は再生が始まっているが、まだ時間がかかりそうだった。故に、バーストは、左拳を振り上げる。
「させるか!」
刹那、叫ぶブライドが、バーストの背後から朱色の刃の剣を横一線に振り抜く。当然、足音は聞こえていた。その為、バーストは身をかがめ、火を噴く刃をかわし、左足の後ろ回し蹴りをブライドの左側頭部へと見舞った。
踵が的確にブライドのコメカミを捉え、その体は軽々と弾き飛ばされる。
「がはっ、ぐっ!」
二度、三度と地面にバウンドし、ブライドは倒れる。
それを見て、バーストは鼻で笑う。
「三人いて、この程度か」
「まだだ!」
空中で体勢を整えたエルバが、叫び地上のバーストへと急降下する。
刹那、バーストはその場を飛び退き、遅れてエルバが地面へと右拳から突っ込んだ。
衝撃が広がり、砕石が飛び散り、土煙が大量に舞った。
一歩、二歩と、バックで距離をとるバースト。エルバが起こした土煙で、視野が狭まる。それでも、バーストは彼らの位置を正確に把握していた。その優れた聴覚で。
視線が土煙のやや左へと向く。そこにいるのは――
「これで、どうだ!」
土煙に渦が生じ、次の瞬間、大気を貫く風の音が僅かに広がり、土煙の中から鋭い風の矢が飛び出す。
ブライドは蹴り飛ばされる際、朱色の刃の剣をグラッパの方へと放っていたのだ。
しかし、風の矢が形成される音でバーストはそれに気付き、頭に飛んでくる風の矢を防ぐ為、左手を顔の前へと出した。
速度が速く、かわす事が不可能だと判断したのだ。それに、音で気付かれまいと、タメが短かった為、手で簡単に防げる程度の威力だと分かっていた。
バーストの考え通り、威力は低く速度に特化した風の矢は、左手の真ん中に僅かに先端を減り込ませ消滅する――かに見えた。
当然、バーストもそう思っていた。
だが、次の瞬間、左手に衝撃が重なり、風の矢がその手を貫き、バーストの額を撃ち抜いた。
大きく頭は後方へと弾かれ、上半身は反り返る程仰け反る。
「一発でダメなら二発でも三発でもうちゃいいんだろ」
赤い刃の剣と蒼い刃の剣の柄頭を合わせ、弓となったそれを構えるグラッパは不敵に笑む。
バーストの考え通り、一発目は音で気付かれないようにタメが短かった。いや、正確には“バーストにそう思わせる”為、ワザとタメを短くし、更に確実に防がせる為、速度にのみ特化した一撃を放ったのだ。
結果、バーストは左手でそれを受け、グラッパはその矢に二発目の威力の高い風の矢を射た。二発目の風の矢の形成にバーストが気付けなかったのは、一発目の風の矢の音もあったが、不意打ちの一発を防いだというバーストの慢心から生まれた僅かな油断が一番の理由だった。
そして、この状況を作った功労者はエルバだ。
エルバは、ブライドが蹴り飛ばされた際に、剣を放る瞬間を目撃していた。空中にいた為、地上にいるすべて者が視野に入っており、ブライドが投げた剣がグラッパの方へと向かっている事も、バーストが次に誰を狙おうとしているのかもすぐに理解できた。
故にそれを阻止するべく、エルバはバーストへと突っ込み、地面を砕き大量の土煙を舞い上げた。
結果、それが目くらましの役割と、グラッパの作戦へと繋がる。
額に大きな風穴の空いたバーストは仰向けに大の字に倒れていた。左手には額と同じく穴が開き、右手は再生途中のまま。
息を切らせるグラッパは、両肩を大きく上下させ、倒れるバーストを睨む。
土煙が晴れ、姿を見せるエルバ。ゆっくりと立ち上がり、震える膝に力を込める。
「終わり……じゃなさそうだな」
エルバが呟き、
「ああ。核は心臓らしいからな」
眉間にシワを寄せるグラッパ。
額の穴が次第に小さくなり、バーストの上半身がゆっくりと起き上がる。
「今のは……驚いた……」
上半身が起き上がるころには額の穴は完全になくなり、右手の傷が再生を再開する。
すぐに身構えるグラッパとエルバ。分かっていた。頭ではダメなのだと。心臓にある種を破壊しなければいけないと。
だが、咄嗟の状況になった時、グラッパの狙いは反射的に頭部へと向いてしまった。
「くっ……次はねぇか……」
「流石に二度も同じ手を食うとは思えないな」
グラッパの意見にエルバは賛同し、苦笑いを浮かべる。
その時、背後でブライド叫ぶ。
「“絶対”に、飛ばせるな!」
ブライドの声に、グラッパとエルバはチラリと視線を後ろへと向ける。
頭から血を流すブライドは、右手で右目を押さえ、眉間へとシワを寄せていた。
一方、グラッパとエルバの二人は困惑していた。
(何だ? 急に?)
荒い呼吸を繰り返すグラッパは眉間にシワを寄せる。
(何を考えているんだ?)
ブライドの意図を考えるエルバ。
だが、二人の思いとは裏腹にブライドは更に言葉を続ける。
「今、飛ばれたら、僕らは完全に終わる! 風の矢では種を破壊できないし、空中戦では分が悪すぎる各個撃破されるぞ」
この言葉にバーストは違和感を覚える。
ブライドのそのセリフが、バーストを空へと誘導しているように思えたからだ。
疑念を抱くバーストだが、それは、グラッパとエルバも同じだった。
ブライドの意図が分からない。分からないが、グラッパとエルバは動く。ブライドの言う通り、今、バーストに飛ばれれば、終わる。
だから、バーストを飛ばせるわけにはいかなかった。
「作戦、大声で言うとか、間抜けかよ!」
駆けるグラッパは青い刃の剣と朱色の刃の剣を分解し、低い姿勢で突っ込む。
「何か策があるんだろう」
グラッパと並び低空で滑空するエルバは、チラリとブライドを見た後、バーストへと視線を向ける。
二人の動き出しに、バーストは眉間にシワを寄せ、右腕へと視線を落とす。再生しているものの、その速度は明らかに遅くなっている。
先程、頭を射抜かれた事も影響し、更に再生速度は低下していた。
(何を考えているか分からんな。それに、向こうもすでに限界……さて、どうするべきか……)
バーストに迷いが生まれる。
正直、三人を相手にしても負ける要素は限りなく低い。ダメージの蓄積量的に見ても、圧倒的にブライド達三人の方が多く、その動きも鈍くなりつつあった。
瞬間、間合いに入るグラッパとエルバ。
グラッパは左足を踏み込み左手に持った朱色の刃の剣を下から振るう。刃は風を浴び、火を噴く。
一方、エルバは滑空する勢いのまま、右の膝蹴りをバーストの顔面へと放つ。
右足を僅かに引いたバーストは、再生途中の右腕でエルバの膝蹴りを受ける。その威力に右腕の傷口が弾け、鮮血が飛ぶ。
遅れてグラッパが振り抜いた炎を纏った朱色の剣の刃を身を仰け反らせかわす。
そんなバーストに、膝蹴りを受け止められたエルバが、滞空したまま体を捻り、上から叩き落すように右足を振り下ろす。
それに対し、バーストは左手で掌底を見舞い、同時にまだ再生の終えていない右手でエルバの脇腹を殴打した。
「ぐっ!」
噛み締めた歯から血を噴くエルバの表情は歪む。
「クソがっ!」
声を張るグラッパが、左腕を引き、同時に右手に持った蒼い刃の剣を振り抜く。
バーストはそれを左足で蹴り上げると、体を捻り左手で滞空するエルバの頭を掴み地面へと叩きつけ、そのままの体勢から右足の踵でグラッパの側頭部を蹴った。
「グッ!」
「ガッ!」
地面に叩きつけられたエルバと、よろめくグラッパを尻目に、バーストは宙へと舞った。不本意ではあったが、ブライドの言葉に誘導される形となった。
故に、バーストの表情は何処か険しく、ブライドを真っ直ぐに見据える。
 




