第127回 エルバvs.バースト
ブライド達は急速落下していた。
クリスの未来視で見た未来。その時間よりも襲撃時間が早いとブライドは予測する。
不測の事態は常に起きうる。故に、ブライドは焦っていた。
本来ならば、冷静に柔軟に判断をしなければいけない立場だったはずなのに、すでにブライドの頭の中はパニックになっていた。
思考をフル回転させ、ブライドはこの状況を打破する方法を探す。
「随分と急いでどうしたんだ」
不敵に笑みながら、バーストは三人を負う。
風鳥族である彼にとって、空を滑空するのも、急降下するのも容易い事で、スカイボードで落下する三人にすぐさま追いつく。
「チッ! テメェの相手をしてる場合じゃねぇんだよ!」
グラッパが矢を射る。
だが、この急降下状態では、狙いが定まらず、放った矢はバーストを捉える事は出来なかった。
「クソっ!」
「どうした? 私はここだぞ」
挑発するバーストは両腕を広げる。
刹那、スカイボードの操作に集中していたウィルスは静かに息を吐き、
「悪いが、邪魔だ!」
呟くと右腕を払うように振り抜いた。
それにより、風が逆巻き、バーストの体を疾風の刃が斬りつける。
「ッ!」
表情を僅かに歪めるバーストだが、その刃から顔を守るように両腕を顔の前でクロスしていた。
疾風の刃は皮膚を裂き鮮血が飛び散る。だが、それだけ。皮膚を裂く程度の威力しかなかった。
それは、あくまでも時間稼ぎの一撃。この状況でバーストと対等に戦える者など、ここにはいない。
「ハハハッ! 中々やるじゃないか!」
野太い笑い声が空から降り注ぐ。
「おい! もっとスピードあがらねぇのか!」
「無茶言わないでくれ。これが、最速だよ!」
グラッパの声に、ウィルスは額から大量の汗を流しながら答える。
「空気抵抗からこの状況を保つだけでも精一杯だし、これ以上落下スピードを上げたら、着地が出来ない」
「クソっ! 打つ手なしかよ!」
グラッパはそう言いながら、上空へと顔を向け、矢を放った。
螺旋を描く風の矢が一直線にバーストへと向かう。だが、バーストはそれを右手で掴むと、そのまま握り潰した。
風の矢は消滅し、そよ風がバーストの頬を撫でた。
「いい狙いだ! だが、威力が足りんな!」
明らかにこの戦闘を楽しんでいる様子のバーストに、グラッパは小さく舌打ちをした。
意識を失い頭から落下するエルバ。
そんなエルバは夢を見ていた。
それは、父との記憶の数々。色々な事を教わり、些細な事で揉めた。
走馬灯のように次々と思い返される記憶の数々。
母は言った。
「あの人があなたに厳しくするのは、あなたに期待しているからよ」
と。だから、エルバは期待に答える為に努力し、父の教えをその身に刻んできた。
それが、どうだろう。この有様。この姿を父バーストが見てどう思うだろう。
無様だ、と蔑まれるだろうか。
よくやった、と褒めてくれるだろうか。
…………。
どちらも違うだろう。
彼の父、バーストは厳しくもあり、優しい人物だった。
故に、狩りなどを一緒にした際、成功しても失敗しても、同じ言葉を口にした。
「お前は、やるべき事をしたのか?」
と。
失敗した時は励ましの意味で、成功した時は戒めの意味で。
当然、その言葉で言い争いになった事も多々あるが、それでも、後々に考えれば、ああすればよかった、こうすればよかった、と思える事もあった。
そんな事を思い出すエルバに父の声が尋ねる。
「お前は、やるべき事をしたのか?」
いつものように落ち着いた口調での問いかけ。
その問いかけに、エルバは答える。
「ああ……やるだけやった。私は――」
「お前は、やるべき事をしたのか?」
エルバの答えを待たず、もう一度いつもの口調で尋ねる。
「…………」
エルバは何も答えられなかった。
本当は、自分自身が一番よく分かっている。
だから、何も言えない。言う資格はなかった。
黙るエルバに、更に強い口調で父の声は尋ねる。
「お前は、やるべき事をしたのか?」
その声にエルバは唇を噛む。
「分かってる! 分かってるよ! そんな事、自分が一番分かっている! でも、あんたが勝てなかった相手だぞ! 私にどうしろって言うんだ! あんたと同じ言葉を、あんたと同じ顔で、あんたの声で言うんだぞ! そんなのを相手に、どうしろって言うんだ!」
胸の奥に溜め込んでいたものをすべて吐き出す。
もちろん、分かっている。それが、本当の父ではなく、自分自身の中に作り出した幻影に過ぎない事は。
それでも、全てを吐き出した。それほど、エルバは気持ちに余裕がなかった。
そんなエルバに、父バーストの幻影は静かに口を開く。
「それが、どうした?」
「ど、どうしたって――」
「本当に、勝つ必要があるのか?」
エルバの声を遮り、バーストの幻影はそう尋ねる。
質問の意図がわからず、エルバは眉をひそめた。
すると、バーストの幻影は更に言葉を続ける。
「本当に、お前がやるべき事は、私に勝つ事なのか?」
静かな問いかけにエルバは奥歯を噛み締める。
分かっている。頭の中ではちゃんと理解している。
エルバがすべき事はアイツに勝つ事じゃない。今、エルバがすべき事はアイツを引きつけ、ブライド達を安全に着陸させる事。
それを分かっていながら、アイツを眼前にした時、エルバは冷静ではいられなかった。
「分かっているはずだ。アレは、もう――」
「分かってる!」
声を遮るようにエルバが声を荒らげる。
闇に浮かぶ人影。それは、ゆっくりと口を開く。
「なら、やるべき事は分かっているだろ」
その声は、いつしか――
「私達はここで、敗れるわけにはいかない」
バーストから、エルバ自身の声へと変わっていた。
そして、深い闇を払うように眩い光が、人影の背後から広がり、
「さぁ、目を覚ませ! 寝ている場合じゃないぞ!」
と、逆光に照らされる手を差し伸ばす自分自身の姿が――。
いや、実際には逆光の為、顔までは確認出来ない。だが、エルバは確信して、差し出された手をしっかりと握りしめた。
生まれてから今まで幾度となく聞いてきた――発してきた自らの声を聴き間違えるわけがなかった。
落下するエルバの眼が唐突に見開かれる。
それは、エルバの頭蓋が地面へと触れる寸前の事だった。
意識を取り戻した事により、落下するエルバの体はピタリと止まり、落下の衝撃だけが地面へと伝わり、大量の土煙を波紋状に広げた。
空色の髪が揺れ、僅かな時が流れる。
眼を見開いたまま停止するエルバは、ゆっくりと体を起こすと、視線を静かに上げた。
上空に見えるのはスカイボードで急降下するブライドと、それを追撃するバーストの姿。
深呼吸を一度、二度と繰り返したエルバは、気合を入れるように自らの頬を両手で叩き、小さく頷く。
「私のやるべき事は一つ」
自らに言い聞かせるようにそう呟いたエルバは、その視線をバーストの方へと向けると、力強く空気を蹴り出し、上空へと一気に飛び上がった。
空を裂き、風を切るエルバと、急降下するブライド達三人がすれ違う。
その際、エルバの存在に気付いたのは、先頭のウィルス。すれ違うその寸前で、二人の視線が交錯する。
それは、ほんの一瞬の出来事だったが、ウィルスはエルバの言わんとしている事を理解し、小さく頭を下げた。
遅れて、矢を射ていたグラッパが急上昇するエルバの姿を確認し、口元に笑みを浮かべる。
当然、その頃にはブライド達を追撃していたバーストもエルバの存在に気付き、右拳を大きく振りかぶった。
「生きていたとは驚きだ!」
バーストが叫ぶ。
「私は、私のすべき事をする!」
エルバが答える。
「コイツは、餞別だ! 受け取れ!」
轟々しい風の音と共に高らかに発せられたグラッパの声。
それに遅れ、疾風がエルバの左耳のすぐ傍を通過し、それは、バーストの額に直撃した。
それは、速さにのみ特化した威力など殆ど無い一撃。だが、その一撃でバーストの額からは血が滲み、顔は跳ね上げられる。
「ッ!」
声を漏らすバースト。
その視界からエルバの姿がほんの一瞬消える。
その一瞬で十分だった。
急降下するバーストの速度と急上昇するエルバの速度。二人の間合いが詰まるのは一瞬。
そして、視線を戻したバーストの顔を、エルバの右手が鷲掴みにし、強引にその体を引き上げる。
「グッ!」
声を漏らすバーストは、右手でエルバの右腕を払い、左手でエルバの体を押しのけ、距離をとった。
空中で二人の動きが完全に停止し、呼吸を整える。
額から血を滲ませるバーストは、不愉快そうにエルバを見据え、ゆっくりと息を吐く。
一方、エルバは落ち着いた面持ちでバーストを見据え、拳を握り締めた。
「あの一撃を受けて、よく戻ってこられたな」
苦虫を噛んだような表情を浮かべ、バーストは鼻で笑う。
静かな面持ちを向け、沈黙を守るエルバ。
二人の間に緩やかな風が流れる。
「まだ、私と戦う気でいるようだが、どう足掻いてもお前では私には勝てん」
バーストの皮肉めいたその言葉に、エルバは真剣な表情でゆっくりと口を開く。
「あなたに勝つ必要はない。私は、私のすべき事をするだけ。それだけだ」
強い信念を持ったエルバの言葉に、バーストは一層不愉快そうに表情を歪めた。




