第126回 何処へ?
直進するエルバ。
その視線の先には左手をこちらへとかざし、拳を握り込むバーストの姿があった。
冷静さを欠いているように思えるエルバの行動。
しかし、エルバは思いの外冷静だった。
(あの構えは……距離を測っているのか……)
バーストをジッと見据え、エルバはそう考える。
エルバの方へと伸ばした左腕。それで、自分とエルバの距離、そして、エルバの移動速度を計算し、カウンターで右拳を打ち込む。そう言う算段だ。
バーストの狙いを理解しつつも、エルバは速度を緩めない。
むしろ、一定の速度を保ち、バーストへと接近する。
だが、直後、エルバは加速した。バーストがタイミングを測り、カウンターを狙うなら、そのタイミングを外せばいいだけ。
故に、エルバは一定の速度を保った後、急加速し、一気にバーストとの間合いを詰める策を取った。
二人の距離がみるみる縮まる。しかし、バーストの間合いに入る直前、エルバは急ブレーキを掛け、動きを止めた。
「ほぉ……よく、止まったな」
静かなバーストの声に、エルバは眉間にシワを寄せる。
それは、エルバが意して行った行動ではなかった。本能が強引に体を硬直させ、エルバの動きを止めたのだ。
「今の速度で我が領域に入っていれば、間違いなく頭が吹き飛んでいたぞ」
静かにそう言うバーストは、構えを解く。
対峙するエルバとバースト。二人の眼差しは交錯する。
そんな二人の横を風の矢が次々と通過し、狙撃兵を射抜いていく。
それを横目に見ながら、バーストはゆっくりと口を開いた。
「流石、地護族。あの距離から正確に狙撃兵の頭を射抜くとは……スコープもなしによくやるな……」
バーストの視線はエルバ越しにスカイボードで滑空するブライド達へと向く。
やがて、バーストの視線はエルバへと戻る。だが、その眼は非常に残念そうにエルバを見据えていた。
ギリッと奥歯を噛みしめるエルバは、拳を握り締めバーストを睨む。
「どうした? 睨むだけか?」
挑発的なバーストの言葉に、エルバは僅かに表情を険しくする。
その言動がエルバには不愉快だった。父の姿、父の声、父のような口ぶり。それが、エルバの心を、気持ちを揺らす。
平静を保とうと深呼吸を一回、二回と繰り返した。
だが、それを無に帰すように、バーストは言葉を続ける。
「さぁ、そこを退け。お前は賢い。私に勝てるかどうか、分かっているだろ?」
バーストの言葉に、エルバは右の眉をピクリと動かす。
「いつも言っているだろ。相手の力量を見誤るな、と」
叱りつけるようなバーストの口調が引き金となる。平静を保とうとするエルバの怒りを呼び覚ます引き金と――。
「貴様が――」
握った拳を震わせ、唇を噛み締める。
怒りを宿した眼は真っ直ぐにバーストを見据え、
「父の姿で――、父の声で――、父の言葉を語るな!」
と、激昂するエルバは怒鳴り声をあげ、一瞬にしてトップスピードに乗りバーストへと殴り掛かる。
――刹那。閃光が瞬く。
それに遅れ、鈍い打撃音。衝撃が広がる。
鮮血が両方の鼻の穴から噴き出し、大きく仰け反るエルバ。その眼は視点があっておらず、意識は混濁していた。
「バカ者め。力量を見誤るなと言っただろうが」
吐き捨てるようにそう言ったバーストは振り抜いた右拳を降ろし、ゆっくりと崩れ落ち、力なく落下していくエルバの姿を儚げな眼差しで見据える。
「残念だ。我が息子よ」
静かにそう告げ、バーストは瞼を閉じた。
鼻から出血するエルバは、頭から落下する。
意識は混濁しているものの、失ってはおらず、思考だけは働いていた。
ゆっくりと映る視界の中、エルバは考える。何が起こったのか、と。
間違いなく、エルバの振り抜いた右拳はバーストの顔を捉えるはずだった。血を吹き、弾かれるのはバーストの方だった。
なのに、どうして、自分が落下しているのか。
どうして、体が動かないのか。
そんな事が頭を巡る。
スローモーションに映る光景を見ながら、エルバは瞼はゆっくりと閉じていった。
落下するエルバの姿をウィルスは目視する。
そして、険しい表情を浮かべた。
「エルバが落ちた」
静かにウィルスがそう口にすると、グラッパが小さく舌打ちをする。
「何やってんだ! クソの役にもたたねぇじゃねぇか!」
悪態を吐くグラッパに、ウィルスは不快感を見せるが、何も言わない。
ここで、グラッパと争うのは好ましくないと、判断したのだ。
そんな二人に挟まれながら作業を続けるブライドは、額の汗を右手の甲で拭う。
「仕方ないだろ。アイツはエルバの父親だ。全盛期は過ぎ、肉体的な衰えはあっても、普通にやり合っても一対一では分が悪い」
「だからなんだ。分が悪かったら負けていいのか? 違うだろ」
グラッパの言い分にブライドはムッとするが、何も文句は言わない。
それは、グラッパの言い分が尤もだったからだ。
この戦いでブライド達に負けは許されない。彼らが負けるイコール世界の破滅に直結するからだ。
それを一番理解しているブライドは、表情を険しくし唇を噛み締める。
「分かってるだろ。俺達の役割を」
「分かってる! 分かってるさ!」
「揉めている場合じゃないよ! この状況で、彼と戦闘するなんて無謀だよ!」
揉める二人へ、ウィルスが怒鳴る。
動きの制限されるこの状況で、空を自由に動き回れる風鳥族と戦うのは自殺行為だった。
静かにこちらの様子を窺うバーストを見据え、ブライドは考える。思考をフル回転させる。すでに、転移装置を展開する準備は出来ているが、空中にいる状態ではそれも無意味だった。
ひたすら考えるブライド。だが、エルバがいないこの状況では、出来る事は限られていた。
故に、ブライドが出した答えは――
「急降下だ!」
とても、シンプルなものだった。
しかし、グラッパがそれに反論する。
「急降下だと! お前は、バカか! 下はまだ森だぞ! 目標は街の中だろ!」
「そうも言ってられないだろ! このまま滑空しても、奴の餌食になるだけだ!」
「あんな奴、俺様が射抜いてやるぜ!」
声を荒らげ、グラッパは手にした弓を構える。
「よせ! あんな化物相手に――」
そこまで口にして、ブライドは言葉を呑む。
不意に過る現状の違和感にブライドは右へ左へと頭を動かし、その視野を広げる。
急激に思考が動き出し、ブライドはクリスの「襲撃される」と言うその言葉を思い出す。
そこで生まれる疑問。
“一体、誰に?”
目の前にはバーストがおり、シュナイデルとレバルドが高層の建物にいる。
では、誰が――。
その答えは簡単だ。今、ここに存在しない者。
その存在しない者とは――
「あいつは何処だ!」
「あいつ? 何だ、急に?」
突然、声を荒らげたブライドに、グラッパは訝しげに眉をひそめる。
急に黙ったかと思えば、慌てた様子で声を荒らげるブライド。その行動は些かおかしな事で、ウィルスはすぐに緊急事態なのだと理解する。
「何か、あった?」
静かにウィルスが尋ねると、ブライドは悔しげに俯き下唇を噛む。
「考えてみろ。こうなるきっかけになったのはなんだ?」
「まどろっこしい事してねぇで、答えを言えよ」
グラッパが不服そうにそう口にすると、ブライドは険しい表情で答える。
「あの化物は何処へ行った?」
「…………化物?」
ウィルスはそう答えた後、周囲を見回す。そして、目を見開き、瞳孔を広げる。
「ま、まさか! いや! でも……」
「なんだよ? 一体、何の話をしてんだ?」
未だ、状況を理解出来ていないグラッパは一層不満げに眉を寄せる。
「お前は見ているはずだ。あの時、飛行艇から。この街に佇む化物を」
「そりゃ、あれだけでか――!」
そこでグラッパも状況を理解する。
そして、頭を右へ左へと動かし、周囲を見回す。
「おい! 冗談だろ! あの化物がいねぇじゃねぇか! どうなってんだ!」
声を荒らげるグラッパに、ブライドは左手で頭を抱える。
「空中にはずっとエルバがいた。あれだけの巨体だ。動いたとなれば、エルバが気付くはず……」
「じゃあ、あのバカが見逃しただけだろ!」
「ありえない。あんな大きなモノの動きを見逃すなんて……」
「ああ。そうだ。それに、もし、エルバが見逃したとしても、俺達が気付くはずだ」
ウィルスの言葉に、ブライドはそう言葉を続けた。
奥歯を噛むグラッパは、乱暴に舌打ちをする。
「じゃあ、何か、俺らはこれだけの人数がいながら、あの巨体の化物を見逃したって言うのか! それこそありえねぇだろ!」
「…………アレが、元々の姿でないとすればどうだ?」
静かにブライドが告げる。
その言葉に、ウィルスは目を細めた。
「まさか、アレが人だと?」
「ああ。それに、俺達を空へと打ち上げた突風。それこそ、そいつが巻き上げた風なんじゃないのか?」
「もしそうだとして、ヤツは何処へ消えたって言うんだ」
冷静なブライドに、少しばかり落ち着きを取り戻したグラッパは、バーストの動きを警戒しながらそう口にする。
「俺達が迫っているのは分かっていたはず。なのに、何故、見逃した」
「それは、分からない。ただ、空中に打ち上げた時点で、もう俺達が助からないと判断したのかもしれない」
「…………それじゃあ、アレが向かったのは…………」
ようやく、ウィルスも理解する。あの化物の行き先を。




