第119回 予言書
現在、フォン達は飛行艇にて、フォースト王国王都へと向かっていた。
円卓会議で決まった通り、飛行艇には必要最低限のメンバーのみが乗船。
各々、決戦へ向け時を待つ。
操舵室にて操縦桿を握るブライド。
甲板ではグラッパが目を光らせ、エルバが耳を澄ませる。
何が起こるか分からない。突然の襲撃があるかもしれないと、視力の良い地護族のグラッパと、聴力の優れた風鳥族のエルバが配置された。
何か異変、違和感があればすぐに行動に移せるようにと言う事だった。
緊迫した空気は船内に広がり、誰もが妙な緊張感に包まれていた。
トレーニングルームにて一人汗を流すフォン。彼もまた得も知れない圧迫感を感じていた。
通常なら乗り物酔いでダウンしていてもおかしくないのに、それすらなく、体を動かしていないと落ち着かない。故にフォンはひたすら体を動かし続ける。
体の調子は良いのか、悪いのか。体のキレは戻ったのか。怪我の後遺症は? 体調は万全か? 尽きる事のない不安に苛まれ、それを振り払うようにフォンは動き続ける。
拳を振り抜き、足を動かし、ただ汗を流す。
そんな静かなトレーニングルームの扉が音もなく開かれ、リオンが落ち着いた面持ちで部屋へと入ってきた。
「どうしたんだ? いつになくナーバスだな」
静かな口調で尋ねるリオンに、フォンは両膝に手を付き頭を垂らしながら答える。
「そりゃ……な……。ハッキリ言って、不安しかねぇからな」
肩を揺らし、弱々しく笑う。
「まぁ、まさか、歴史的な大戦に参加する事になるとは思ってなかったし……正直、俺じゃあ足を引っ張るだけなんじゃないか、って思うよ。前回、大ポカしちゃってるからな」
「そうだな」
「そこは、否定してくれないのな」
「なんだ? 慰めてほしいのか?」
失笑するリオンに、フォンはジト目を向ける。
「別にそう言うんじゃないけど……もう少し気を使って……」
「そう言う間柄じゃないだろ」
「そりゃ、そうだけど……」
不服そうなフォンに、リオンは小さく肩を竦める。
「お前でも、そんなにナーバスになる事があるとは思わなかったよ」
「当たり前だろ。てか、お前が落ち着きすぎるんだよ」
「今更ジタバタしても始まらないだろ。それに、落ち着いているんじゃなくて、実感が湧いていないだけだ。あの歴史的な大戦に参加する一員なんて……」
小さく息を吐き、俯くリオン。どことなく影のある表情を浮かべるリオンに、フォンは小さく笑う。
「お互い、いつも通りってわけにはいかないな」
「そうだな」
静かにリオンもそう言い、目を伏せた。
静まり返るトレーニングルーム。ゆっくりと椅子に腰掛けるリオンは、深く息を吐く。
「どう思う?」
「どうって?」
リオンの言葉にフォンは汗をタオルで拭い聞き返す。
「今回の戦い。歴史通りに進むと思うか?」
真剣なリオンの言葉に、フォンは小さく肩を竦め、頭を左右に振った。
「さぁ? 俺には分からねぇよ。そもそも、歴史の勉強なんて真面目にしてなかったから……結局、知ってるのはこの大戦の結末くらいだよ。それに、歴史書に書いてある事が正しいと言うわけじゃないよ」
フォンはそう言い引きつった笑みを浮かべる。これでも、自信たっぷりの作り笑顔だった。
呆れた様子のリオンは、もう一度深く吐息を漏らす。
「そう……だな……。歴史書にも様々が説があった。何が正しいのかは、自分の目で見て、体験するしかないな」
「そうそう。まぁ、俺らは俺らの出来る事、すべき事を全力でする。それだけだよ」
「さっきまでナーバスになっていた奴のセリフとは思えないな」
小さく鼻で笑うリオンに、フォンは唇を尖らせ目を細めた。
「うるさいなぁ……いいだろ別にー」
「そうだな。とりあえず、少しは気持ちも落ち着いただろ」
膝に手を乗せゆっくりと椅子から腰を上げたリオンは、お尻を二度叩き、背筋を伸ばした。
「とにかく……もうすぐだ……」
「分かってる。もうすぐ……」
呟くフォンは小さく息を吐き出す。
そして、両手で頬を強く叩き、
「気合い入れてくか!」
と、声を張り上げた。
飛行艇――書庫。
そこには、クリスとメリーナの二人がいた。
多くの書がしまわれた本棚が並ぶその部屋の片隅で白紙の本を並べるクリスは、そこにペンを走らせる。スラスラと美しい字を書き込むクリスへと紅茶を差し出すメリーナは、小さく首を傾げる。
「クリス様。何をなさっているんですか?」
メリーナはクリスのペンを走らせる本を覗き込む。
開かれた複数の白紙の本に次々と文章を書き込むクリスは、気にしたようすはなく、手を止めるとピッとペンの先をメリーナへと向け、不満そうな表情を向ける。
「様はよせ」
「えっ? でも――」
「今は、私と君の二人だけだ。文句を言う人もいないだろ?」
わざわざ椅子を座り直し、メリーナの方へと体を正面に向け、クリスは力強くそう言う。
その言葉に些か困ったようにメリーナは微笑し、頭の後ろで留めた長い金色の髪を揺らす。
「そうかもしれないですけど……癖になると困りますし……」
「私は普段から様付けはよせと言ってるんだが?」
「クリス様は気にしないでしょうけど、周りの人が気にしますから……」
もう一度困ったように微笑するメリーナにクリスは小さく鼻から息を吐く。
「まぁ……そこは、私が折れるとしよう。君に強要するのは良くないからな」
「どちらかと言うと、クリス様はもう少し、言葉遣いが安定すると助かります」
「……と、言うと?」
メリーナの指摘に、クリスは小首を傾げる。
「色々と未来視している所為で、クリス様の口調が日々変わってますよ。以前は、もっと女の子らしい口調でしたし……」
「……ふむっ。そうかもしれないな。しかし、何の問題もないだろ」
「えぇー……女の子として、そのー……大いに困りませんか?」
困ったように微笑するメリーナに、クリスは眉をひそめ、首を傾げた。
「まぁ、そんな事はどうでもいい。私が、今、何をしているのか、と言う事だったな」
「え、えぇー……そんな事って……」
ガックリと肩を落とすメリーナは目を細め、「んんーっ」と唸った。クリスは少々人とは変わっていると、分かっていたが、ここまでとは思っておらず、メリーナもう一度大きな息と吐いた。
そんなメリーナに不思議そうな目を向け、「どうかしたか?」とクリスは尋ねる。「いえ、なんでも」と沈んだ声で答えたメリーナは、「話を進めてください」と促した。
「そうか。では、話を進めよう」
クリスはそう言い、体を机の方へと向けた。
「これは、予言書だ」
「予言書? ……? えっと……どうして、そんな複数も書いているんですか?」
疑念を抱くメリーナの言葉に、クリスは小さく唸り、
「一冊一冊予言の正確性が異なる書を作っている。一冊は一割の真実。二冊目は三割の真実。三冊目は五割の真実。と、言う風にな。よって、予言者の名も偽名で別々にしてある」
「……? 何の為にそんな事を?」
些か不思議そうなメリーナに、クリスは自慢げに鼻から息を吐く。
「一冊の真実のみの予言書よりも、複数の予言書があった方が面白いだろ?」
「お、面白いって……。人の未来をゲーム感覚で描くのはどうかと……」
無邪気な笑みを見せるクリスに、メリーナは困り顔を見せる。
だが、すぐにクリスは真剣な表情に戻り、
「それに……未来を託す意味でも、これは、重要な事だ」
「重要な事ですか? でも、混乱を招くだけじゃないですか? そんなに予言書を作ってしまっては?」
「そうだ。例えば、二つの予言書が手元にあるとしよう。一冊はほぼ一〇〇%当たる予言書。もう一冊は一割から二割程度の予言書。この二冊の予言書にある大きな戦いの予言があり、対照的な結果が予言されたとして、君はどちらの予言書の結末を信じる?」
クリスの問いにメリーナは悩むことなく、
「それは、一〇〇%当たる予言書じゃないですか?」
と、答えた。
その答えに「そうだろうね」と頷くクリス。
「一般的に考えて、誰もがその予言書を信じるだろう。では、大きな戦いで負けるとされる側が、この予言書の内容を知ったら、どうすると思う?」
「それは……諦めるんじゃないですか?」
しばし考えた後にメリーナがそう答えると、クリスは小さく頭を振った。
「それは、違う。確かに、諦めるかも知れない。いや、諦める者もいるかも知れない。でも、その予言書は必ず当たるわけじゃない。そして、もう一冊の予言書は自分達の勝利を予言していると知れば、どちらを信じる?」
「それは、自分達の勝利を予言している方を信じるのでは? 一割、二割でもその予言は当たると証明されているんですから」
少々、悩んだ末にそう答えるメリーナに、クリスは小さく頷く。
「そうだな。人とは都合のいい生き物だ。自分に優位なモノほど信じたがるものだ」
「……えっと……それで、どうして複数も予言書を?」
「絶望的な未来を知っても、諦めぬ者が出るようにだな」
「それじゃあ、予言書なんて書かなきゃいいんじゃ……」
「事前にそれを知ることで危機感を持つことが出来、同時に対策を講じる事もできる」
クリスの説明にメリーナは「そうですか……」と答えた。だが、実際、言っている事はわかるが、それが正しい事なのか、と少々疑問を抱いていた。
「それより、そろそろです。準備をしてください」
「えっ? 準備?」
突然、開いていた白紙の本を閉じ始め、クリスは席を立つ。
そして、キョトンとするメリーナへと顔を向け、
「戦いが始まります。急ぎましょう」
と、ゆっくりと歩き出した。




