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第105回 西から

 部屋を出たフォンは広く長い廊下を駆ける。

 思考を張り巡らせながら、低い姿勢で。すれ違う兵達はそんなフォンに怪訝そうな目を向け、不愉快そうに眉間にシワを寄せた。

 彼らは知らない。

 この日――、この時――、この瞬間――、すでに襲撃が始まっている事を。

 角を曲がり、階段へと差し掛かる。そこで、フォンは急ブレーキを掛けた。


(なんだろう……何か、重大な事を――)


 不意に胸がざわめく。記憶の片隅――奥の奥に、何かが引っかかる。元々、勉強が好きだったわけじゃない。アカデミアに通っている時は剣術を学びたかっただけ。故に、歴史など殆ど覚えていない。

 だが、この時代の事はよく話に出ていたのを記憶している。その中で、重大な事を言っていたのを、フォンは思い出した。

 それが、なんだったか、それを思い出そうと、眉間にシワを寄せ考える。こんな事をしている場合では無い事は分かっているが、それ気になってしょうがなかった。


(なんだ? 何が引っかかってる? クッソッ! こんな事なら、ちゃんと授業聞いておくんだった!)


 後悔するが今となってはどうしようも無い。そんなフォンは下唇を噛み俯いた。

 そんな時だった。大きな爆音が塔を揺らし、窓ガラスが衝撃で砕けた。突然の揺れにバランスを崩したフォンは、片膝を床へと打ち付ける。


「ッ! な、なんだ!」


 思わず声を上げたフォンは顔をあげ、窓の外へと視線を向けた。そこから僅かに見える黒煙。それが、あがるのは、間違いなくこの城だった。

 目を見開くフォンは、すぐに立ち上がると割れた窓ガラスを踏み締め、乱暴に外開きの窓を開く。窓縁にはガラス片が残るが、フォンはそこに両手を着くと身を乗り出し、黒煙の方へと視線を向ける。

 そして、フォンは思い出す。手の平に感じる痛みなど忘れさせるほど鮮明に、記憶が蘇る。


「クソッ!」


 そう吐き捨て、フォンは来た道を引き返す。全速力で。

 黒煙が上がっていたのは――フォンが先程までいた部屋。そして、そこにはクリスがいる。


(授業で聞いたんじゃなかった……アレは――リオンが言ってた事だったんだ!)


 奥歯を噛み締め、拳を握り締める。その手からこぼれる赤い雫が、点々と廊下に続いていた。


“歴史には諸説ある”


 授業終わりにリオンが言った。その日の授業は丁度、この時――この時代の大戦についての授業だった。

 何冊もある歴史書の中で、この時代の歴史は様々な定説があるのに気付いたらしい。

 その中にあるのが、“敵は西から飛来した”だった。

 当時、フォンには意味が分からなかった。何故、襲撃ではなく、“飛来“と言う表現なのか、リオンとスバルと意見を述べ合い、きっと著者の誇張だな、と言う判断に至ったが、間違いない。

 敵は――西から飛来してきたのだ。そして、この塔は城の西側で、フォンの部屋にクリスが来ていたのは、敵がそこに来ると分かっていたから。

 そう考えれば全ての辻褄があった。

 クリスが剣を腰に差していた事も、軽装だった事も。

 その事に気付けなかった自分自身に苛立ちを覚え、フォンは下唇を強く噛んだ。



 壁が大きくえぐれ、黒煙の立ち込める一室。

 その部屋を月明かりが照らす。

 ガラス片と砕石の散らばる部屋に二つの影が揺らぐ。

 一つはこの城の主、時見の姫クリス。

 もう一つは二足歩行だが、人とは異なる形の生物。その肌は毛に覆われ、腕と足は強靭な筋肉で隆々としている。そして、口からは牙が剥き出しになり、丸くなった背からは突起が背骨に沿うように突き出ていた。

 大きく避けた口がゆっくりと開かれ、熱気を帯びた息が吐き出される。


「ッ!」


 左手で鼻と口を覆うクリスは、表情を歪めた。彼の吐き出した息は耐え難いほどの異臭を放っていた。

 右手に剣を握るクリスの額からは血が流れ、その美しい空色の髪の所々が赤く染まっていた。来ると分かっていても、それに対応するだけの力がクリスにはなかったのだ。

 僅かに呼吸を乱すクリスの剣を持つ手は震えていた。だが、それを押し殺すように左手をゆっくりと柄へと伸ばした。

 戦うなど初めての事だ。当然、剣を握るのも。故に、反応が遅れる。床を蹴った化物の動きに。

 クリスが気付いた時、ソイツはすでに目の前で強靭は右拳を振り上げていた。そんな化物の目を真っ直ぐに見据えるクリスは、ギリッと奥歯を噛む。

 何度も何度も視てきた未来。ずっと右にかわすと決めていた。だが、いざ直面して分かる。頭で理解していても体が動かない事を。


「うがあああああっ!」


 化物が声を上げ、右拳を振り下ろす。その直後、部屋の扉が乱暴に開かれ、


「クリス!」


と、フォンは化物へと右肩からぶつかった。

 鈍い音が響き、化物の体が傾く。それにより、振り下ろされた拳の軌道がそれ、壁を砕いた。

 化物のバランスを崩させたものの、体当たりをしたフォンも大きく弾かれていた。あまりにも硬く大きな化物の体に。

 両足で踏ん張るフォンは、すぐさま体勢を整える。そして、その両眼でシッカリと目の前に対峙する敵の姿を目視した。

 異様な容姿のその化物に、一瞬、顔をしかめた。


(なんだ……コイツ!)


 思わずそう思うフォンは、拳を握り重心を落とす。

 バランスを崩した化物はゆっくりと右腕を引くと、その体をフォンの方へと向ける。おぞましい程の殺気を放ち、獣のような眼がフォンを睨みつけた。

 人――と言う体面は保っているものの、それはもう獣に近い存在。この存在にフォンは唇を噛むと、眉間にシワを寄せる。


(これが……獣人……。人体実験の失敗作……)


 歴史の授業で聞いてはいた。その時はそんな事があったのか程度の気持ちだったが、実際に目の当たりにして思う。


(こんな……こんな酷い事をよく平然と……)


 姿を変えられ、自我を奪われたその生物。こんな風に人を簡単に実験道具のように扱うその人物への怒り。

 これを許すわけにはいかない。是が非でも止めなければいけないと、フォンは強く思う。

 そんなフォンに、


「何故、戻ってきた!」


と、クリスが怒鳴った。この状況で怒鳴られる理由など無いはずなのに。

 そんなクリスへと、フォンは無理に笑みを浮かべる。


「理由なんて必要ないだろ。人を助ける事に理由が必要だって言うなら……これが、俺のすべき事だからだ!」


 そう答えたフォンは床を蹴り跳躍。体を捻るフォンは、腰を回し右足をしならせるように振り抜く。

 鈍い打撃音。フォンの右足が的確に化物の側頭部に決まった。だが、小柄なフォンの一撃は、その大きな体にはあまりにも小さく弱い。

 故に、化物はノーモーションでフォンの左脇腹に右拳を打ち込んだ。


「うぐっ! がっ!」


 フォンの表情が歪み、口から血の混じった唾液が飛ぶ。そして、その小さな体は軽々と吹き飛び、壁を貫いた。

 壁が砕ける乾いた音が広がり、土埃が大量に舞う。瓦礫が廊下に散乱に、その音に兵達もようやく気付く。


「敵襲だ!」


 だが、それは、この部屋の事ではない。


「西門が突破され、西地区に大量の化物が――」

「行ける者は皆、応援に迎え――」


 すでに、襲撃は始まっていた。故に、慌ただしく兵達も動き、塔の上階であるこの部屋に余分な兵を派遣する事は出来なかった。

 そもそも、ここは客室。客人も大切だが、それよりもなによりも、街の防衛を優先して兵も動いているのだ。当然だが、ここにクリスがいる事など知らず。


「フォン!」


 クリスが叫び、駆け出す。そんなクリスの背後に佇む化物は、大きく裂けた口を開いた。その牙をクリスへと突き立てようとしていた。そんな化物の額に拳大の石つぶてが直撃し、動きを止める。


「うがああっ!」


 声を上げ、両手で顔を覆う化物に、


「流石に……これは痛かったか」


と、瓦礫を崩し立ち上がるフォンが静かに呟き、頭から顔へと流れる血を左手で拭う。

 脇腹が痛み、表情は強張っているが、それでもフォンは白い歯を見せ笑い、


「テメェの相手は俺だ」


と、強い口調で言い放つ。


「なっ! 無理をするな。今の君に奴を倒す術は無いはずだ!」


 フォンへと駆け寄ったクリスがそう言う。クリスの言う通り、今のフォンには彼を倒す事は難しい。それだけの体格差があり、身体能力の差があった。

 それでも、フォンは拳を握り締め、強い眼差しを化物へと向ける。


「誰かがやらなきゃ行けない事だろ! ここにいるのはクリスと俺だけ。君には皆を導く役目があるんだ。なら、俺がやんなきゃダメだろ!」


 フォンは強い口調で叫ぶ。ここで、クリスが死ぬ事は許されない。クリスにはこの大戦においての役割がある。皆を勝利へと導くと言う役割が。

 故に、フォンはクリスへと視線を向けると、強く厳しい口調で怒鳴る。


「俺は俺の役割を果たす。だから、君は君の役割を果たせ!」


 フォンの言葉に、クリスはギリッと奥歯を噛む。言いたい事はあるが、フォンの言っている事が正しいとクリス自身も分かっていた。

 この場に留まった所で、クリスに出来る事は無い。

 チラリと化物の方へと視線を向けた後、フォンへとすぐに視線を戻したクリスは小さく頷く。


「すまぬ。ここは、主に任せるぞ」

「ああ」


 フォンがそう答えると、クリスは走り出す。そして、フォンとすれ違うその瞬間、


「死ぬ事は許さん」


と、小声で告げた。その言葉にフォンは苦笑し、


「元から死ぬ気はないよ」


と、小さく頭を振り、化物を静かに睨んだ。



 西塔で騒ぎが起きている頃、東塔の三階客室の一室。そこにブライドはいた。

 爆音で襲撃が起きた事に気付き、ブライドはボックス型の武器である天翔姫を腰へとぶら下げ、静かに立ち上がる。

 その時、部屋の扉をノックする音が響く。

 静かな部屋に響くその音はとても不気味で、ブライドは眉間へとシワを寄せる。何か嫌な空気を感じ取り、ブライドは扉に近付かず、


「誰だ」


と、尋ねた。

 ブライドの声に返答はなく、もう一度扉がノックされる。

 訝しげに眉を顰めるブライドは、右手で腰にぶら下がるボックスへと触れ、身構えた。


(敵襲――に、しては静か過ぎる)


 そう考えるブライドだが、警戒は解かない。騒ぎに乗じて何者かが侵入してきたと言う事も考えられるからだ。

 息を呑み、ブライドは思考を巡らせる。


(爆発は西から……西と言えば、フォンが西塔にいるはず……。なら、僕は――)


 意を決し、ブライドは扉へと歩みを進めた。そして、左手でドアノブを回すと、扉を引き同時に後ろへと飛んだ。警戒したからこその行動だったが、扉の前にいたのは意外な人物だった。


「カイン?」


 金色の髪を揺らし、佇む小柄な少年カインにブライドは首を傾げた。

 確か、カインは同じ東塔だが、階はカインが一つ下の客室になっていた。先程の爆発を聞いたのなら、まず上の階にくるなどとは考えられなかった。

 なら、何故カインはココに来たのか。疑念を抱くブライドは、警戒心を緩める事なくカインを見据えた。


「なぁ……グッ! 鎮めてくれよ……体が、疼く……血を……人を……殺したくて仕方ないんだよ!」


 顔を上げたカイン。その目は血のように赤く、その金色の髪は発火するように一瞬にして赤く染まった。カインのその現象に表情を歪めるブライドは、瞬時に天翔姫のボタンを一つプッシュし、ボックスを剣へと変化させた。


「……殺戮衝動。まさか、君は――」

「お前……殺せば……疼きは……治まるか?」


 握り締めた拳。その手の平に爪が深々と食い込み、血が滲む。そして、その血は発火し、カインの両手を紅蓮の炎が包み込んだ。

 ッ、と息を呑むブライドは、半歩下がり斜に構え重心を落とす。


「どうやら……僕がやるしかないようだね」


 そう呟き、ブライドは天翔姫を右腰の位置に構えた。

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