第104回 静かな夜
夜になり、外は大分静まり返っていた。
月明かりに照らされる町並みは神秘的な印象を感じさせた。
城内の客室。その一室にフォンはいた。一人で使うには広々とし、ベッドも大きい。故に少々落ち着かず、フォンは窓枠に腰掛け、月明かりに照らされていた。
窓は大きく開かれ、夜の冷たい風が茶色の髪を揺らす。眉間にシワを寄せ、フォンは小さな吐息を漏らし、肩を落とした。
リオンは大丈夫だろうか、と不意に不安になる。
それに、歴史通りなら、そろそろ襲撃が来るはず。そうなれば、この美しい街も戦火に包まれることになる。
それを知ってだろう。すでに街に人の気配は無い。あるのは、殺気立った兵士の気配だけ。
未来を知っている。歴史を知っている。今から起こる事は、フォンからすると過去の話。クリスの言う“過去を変える事が不可能”と言うのなら、今しようとしている事は無意味なんだろうか、とフォンは考えていた。
特別、頭が良い方ではない為、考えた所で答えなど出ない。それに、クリスの言葉の意味も半分以上分かっていない。
小さく吐息を漏らし、フォンは夜空に浮かぶ月を見上げた。半分程欠けた月だが、地上を照らすには十分なほど発光していた。
メリーナは自室に、カインとブライドにもフォンと同じように広い客室が一部屋ずつあてがわれた。何故、こんなに部屋が空いているのか、と言う事よりも、何故皆をバラバラに配置したのかをフォンは疑問視した。
ちなみにフォンの部屋の両隣は空室となっており、カインとブライドは別の階、別の棟の部屋に割り当てられている。
この部屋割りを考えたのはクリス。何か目的があるのだろうが、その目的を語ることはなかった。それを知られると、未来が変わる可能性があるからだろう。
腕を組むフォンは、やがて窓の縁から立ち上がり、背筋を伸ばした。
「んんーっ!」
腕を耳の横まで上げ、ググッと背骨を引っこ抜くように腕を伸ばす。僅かに背骨がポキポキッと音を起て、息を吐くと同時に脱力する。
そんな折だった。部屋の扉を叩く音が部屋に響く。その乾いた音に、ピクリと右の眉を動かしたフォンは、静かに扉の方へと体を向け、歩き出す。
「誰だろう? メリーナかな?」
などと、独り言を発しながら、右手で頭を掻くフォンは、鼻から息を吐くとドアノブへと手を伸ばした。
だが、フォンがドアノブを握るよりも早く、ドアノブが捻られ扉が引かれる。
瞬時にその場から離れ、身構えるフォンは扉の向こうへと視線を向けた。すると、そこには、
「何をしておるのだ? そんな格好で?」
と、眉を顰めるクリスが軽装で佇んでいた。
今にも何処かへ出かけるのか、と言いたくなる程身軽な服装だった。怪訝そうな眼を向けていると、クリスは腰にぶら下げた剣の柄へと肘を置き、ふふーんと小ざっぱりとした胸を張る。
「どうだ? 私とて、ちゃんとしろと言われれば、この通りだ!」
自信満々のクリスに、構えを解いたフォンは肩を落とす。
「……で? 何か用?」
「ふむっ。用が無ければ来ては行けないのか?」
フォンの言葉に不満そうにそう口にしたクリスは、腰に手を当て目を伏せた。
面倒臭いと思いつつ、フォンは微笑し、
「別に、悪いとは言わないけど?」
と、返答。
すると、クリスは鼻から息を吐き出し、
「なら、最初から不満そうな顔をするな」
と、厳しい口調で言い放つ。
その言い分には不満はあったものの、フォンは口答えはしなかった。これ以上、気分を害すると更に面倒なことになると思ったのだ。
トボトボと足を進めるフォンは、先程まで座っていた窓縁の前で足を止める。月明かりに照らされるフォンに、クリスは首を傾げた。
「明かりは灯さないのかしら?」
「そうだな。今日は、月明かりが差すからな。とりあえず、明かりは必要ないかな」
「……案外、ロマンティストね」
皮肉っぽくそう言うクリスに、フォンは苦笑する。別にロマンティストと言うわけではない。今日は落ち着かない。だから、明かりを点けなかった。それだけの事だった。
その為、フォンは窓縁へと腰を据えると、肩を竦める。
「俺だって考え事位するさ。それに、そろそろだろ?」
フォンの声色が僅かに低くなった。その声にクリスは小さく鼻から息を吐くと、穏やかだった表情を真剣なものへと変える。
「そうですね。もうすぐですね」
「だから、その格好?」
「えぇ。ただ、私は戦える程強くは無いので、戦力と言うわけには行きませんが」
困ったように微笑するクリスに、フォンは左手を腰に当て失笑する。
「未来を知ってるってだけで、十分な戦力だって」
「どうでしょうね。未来を知っているだけでは、何の意味も無いですからね」
クリスは肩を竦めた。怪訝そうにフォンは頭を傾ける。しかし、そんなクリスの言葉よりも先程から頭の中に巡る疑問を、フォンは尋ねる事にした。
「なぁ、あんたは知ってるんだよな? 俺が未来から来たって? だったら、さっきの言葉の意味はなんだよ?」
「さっきの言葉?」
「ああ。過去は変える事が不可能でも、未来は変える事が可能……って、言ってたろ?」
フォンがそう言うと、クリスは少々考えた後に、
「……言いましたね」
と、小さく頷いた。
その言葉に眉間にシワを寄せたフォンは、小さく咳払いをする。そして、真剣な眼差しを向け、尋ねた。
「俺は、未来から来た。過去を変える事が不可能なら、今から起こる事は変えられないって事じゃないのか?」
僅かに身振りを加えるフォンに、呆れたようにクリスは肩を落とした。あからさまな呆れっぷりに、一瞬、フォンは不愉快そうな表情を浮かべたが、クリスはそれには気付かなかった。
その為、小さく左右に頭を振り、大きな吐息を漏らす。
「主は未来から来たと言ったな」
「そうだけど?」
「では、未来から来た君に問おう。ここはなんだ?」
クリスはそう言い、両腕を広げる。言っている意味が分からず、フォンが首を傾げると、
「私達がいるこの時間は、今の君に取ってなんだ?」
と、更に尋ねる。
言葉の意味に訝しげな表情を浮かべるフォンは――
「過去?」
と、静かに答える。しかし、その答えにクリスは首を振る。
「違う。今、君がいるこの時間は現在だ。過去は過ぎ去りし時間で、未来は未だ来ぬ時間」
力説するクリスは、強い眼をフォンへと向ける。
「よいか。未来から君は過去へと来たと言った。だが、君はこの時代に来た時点で、過去は現在となり、進むべき未来となる。私が過去を変える事が出来ないと言ったのは、そう言う意味です」
「うーん……難しい話だな」
複雑そうな表情を浮かべるフォンは、両手で頭を掻きむしった。ハッキリ言って、頭がこんがらがっていた。
そんなフォンに、微笑するクリスは困ったように眉を顰める。
「あなたには難しい話でしたかね。とにかく、言えるのは、過去を変えると思わず、未来を切り開く。そう思ってください」
失敗したと言うような笑みを浮かべるクリスに、フォンは申し訳なさそうに苦笑いを浮かべる。
「悪かったな。バカで」
「いえいえ。私の方こそ、難しい説明をして申し訳ない」
深々と頭を下げるクリス。別に、嫌味で言っているわけではない。本当に申し訳ないと思っているのだ。
それを理解している為、フォンも特に気にした様子はなく、静かに窓の外へと顔を向けた。風が冷たく、妙に穏やかだった。
もうすぐ起きる大戦を暗示させるようなとても静かな夜。それが、不気味で、それを知ってるからこそ、フォンは落ち着かない。
「不安……ですか?」
突然のクリスの言葉に、フォンはビクッと両肩を跳ね上げるが、すぐに苦笑し顔を向ける。
「まぁ、不安かな? てか、さっきから話し方が不安定すぎないか?」
「……そう……だな。どうにも、私も落ち着かなくて……あと、君は不思議な感じがする。話しやすかったり、話しづらかったり。妙な雰囲気がする」
「そうか? 俺はそんなつもりはないんだけどな?」
「それに、君も良いのかい? オイラと言わなくても?」
ふふっ、と笑うクリスに、フォンは肩を竦める。
「そうだな。クリスは、俺の事を知ってるわけだし、ここで芝居をする必要も無いだろ?」
「それも、そうですね」
納得と言う様にクリスが頷くと、フォンはゆっくりと窓縁から下り、大きく深呼吸を一つ。
「さて。時間かな」
「ですね」
「オイラはどうすればいい? 指示がないなら、オイラは――」
「えぇ。あなたはあなたの思うままに――あなたの信じる正義を貫いてください」
強い眼差しを向けるクリスは小さく頷き、優しく微笑する。その笑顔にフォンは何故か母の面影を見た。そして、思わず笑みを浮かべる。
今に思えば、母も同じ時見族。だから、似ていても不思議はなかった。
「何がおかしい?」
「いや。何でも無いよ。じゃあ、気をつけろよ」
「えぇ。あなたも」
フォンは軽く右手を上げると、クリスの横を通り抜け、部屋を後にした。
その背を見送ったクリスは小さく息を吐き、
「いよいよ……。私が導かなくては……」
と、不安げな表情で呟いた。




