第101回 No.0
王都から逃げ出したリオン達は、近くの森に身を潜めていた。
息を殺せぬ程、荒々しい息遣いの三人は、各々が必死に息を整えていた。
三人とも精神的な疲労で言葉を交わす事も出来ない。
木の根に腰を下ろすリオンは、俯きながら考えていた。
あの少年は誰だったのか。
何故、自分達を助けたのか。
分からない事だらけだった。
そもそも、歴史書には、あんな少年の事など何一つも書いていない。
その為、リオンは聊か懸念していた。
歴史が変わってきているんじゃないかと。確かに、歴史書ではレックとエルバは本来、皆と一緒に南へ行く事になっている。こんな所で死に掛ける事などなかった。
リオンは些細な事だと思っていたが、この事が影響し歴史が大きく変わってしまった様に感じていた。
大きく口を開き空を見上げるレックは、額に滲んだ汗を右手で拭うと体を起こす。
「な、何だよ……アイツ……本当に人間か!」
レックはそう言い頭を二度・三度と振った。濃い緑色の髪が揺れ、毛先から汗が飛び散る。
とてもじゃないが、何とかできるような相手ではなかった。その事を痛感させられ、レックは下唇を噛み締める。
呼吸を乱すエルバも、うな垂れ肩を落とし瞼を閉じていた。悔しさと不甲斐なさに苦悶に表情を歪めるエルバは、静かに瞼を開くとゆっくりと口を開く。
「あの者に勝てぬようならば……我々は、その奥に潜む黒幕まで届かぬという事か……」
「ふっざけんなよ! 水の中でなら、あんな奴に負けねぇ!」
「…………かもしれない。だが、負けたのは事実だ。それは受け止めろ」
荒れるレックに、リオンはそう言い目を細めた。レックのそれは、虚勢だ。例え、水の中でも彼女には勝てない。
敗戦――惨敗だった。正直、死を覚悟した程だった。それほど、実力に差があった。
リオンの言葉に唇を噛むレックは、握った拳を震わせる。レックも頭では分かっているのだ。何を言ってもいいわけにしかならないと。
また沈黙が場を支配する。静寂の中で、聞こえるのは風の音だけ。
その音に耳を澄ませるエルバは目を見開くと、立ち上がる。エルバの耳には聞こえた。一つの足音が。
――追っ手。エルバはそう考え、奥歯を噛み締める。
そんなエルバの様子に、リオンは訝しげな目を向け、首を傾げる。
「どうした? 何かあったのか?」
「足音だ……」
「足音? って、追っ手か!」
瞬時に立ち上がったレックは槍を構える。だが、足音は聞こえなかった。それは、地護族であるエルバだけが聞き取れた小さな足音。
そんなエルバの言葉だからこそ、リオンも瞬時に腰にぶら下げた剣に手を伸ばす。柄を握ったリオンは、息を呑む。
緊張感が高まるその中で、茂みが動き出す。葉の擦れ合う音に、武器を構えるリオン達三人は視線を向ける。
力を込めるリオン達三人は、ゆっくりと後退りする。本能が先程の戦いを思い出させ、逃げろと告げていた。
それでも、その場を動かないのは、それだけ疲弊していたからだった。
そして――
「いやー。やっと追いつきました!」
黒髪を揺らす幼顔の少年は、穏やかに微笑し茂みから登場した。
あまりの緊張感のない登場の仕方に、張り詰めていたリオン達三人の緊張は一瞬にして途切れ、その場に腰を抜かし座り込んだ。アリアと戦闘したにも関わらず、怪我一つなく何処か清々しい雰囲気すら漂わせる少年は、へたり込む三人に、キョトンと目を丸める。
「ど、どうしました? 皆さん」
「いや……な、何でも……」
苦笑するリオンはそう答え、深く息を吐いた。
それから、小一時間程、その場で体を癒した。
誰もが黙り込み、焚き火を見据え時だけが過ぎる。
幼顔の少年は、焚き火が消えぬように焚き木をくべていた。恐らく一番疲れているはずなのに、文句一つ言わず楽しげに。
リオン達も少年には聞きたい事は多々ったが、それを聞く勇気と言うか、気力がなかった。だが、聞かないわけにも行かず、リオンは肩を落とし深いため息を吐くと、少年の方へと目を向け、尋ねる。
「お前は……一体、何なんだ?」
疲れきった顔でそう尋ねるリオンに、幼顔の少年は真っ直ぐな目を向けた。
「僕ですか?」
「ああ……お前以外にいないだろ?」
「そう……ですよね」
苦笑し、そう呟く幼顔の少年に、レックとエルバの視線も集まる。二人も気にはなっているのだ。
その中で、照れ笑いを浮かべる幼顔の少年は、右手で頭を掻く。
「いやー。でしたね。まずは、自己紹介が先ですね」
穏やかに笑う幼顔の少年は、ゆっくりと息を吐き腰を上げる。
立ち上がった少年をリオン達三人は見据える。
焚き火の明かりが照らすのは少年の胸の位置までで、顔はよくみえない。
だが、その切れ長の眼差しはハッキリと分かった。
「僕は、ユーガ。種族は……ちょっといえないけど、キミ達の敵ではない。それだけは言えるよ」
穏やかな笑みを浮かべるユーガ。そんな彼に、レックは肩を竦める。
「まぁ、助けてもらったから、別に敵とは思ってないけど……。あの女は何だ? 知り合いみたいな風に見えたぞ?」
濃い緑色の髪を揺らすレックは、灰色の瞳をユーガへと向けた。
レックの目を真っ直ぐに見据えるユーガは、困ったように眉を八の字に曲げる。
「そうですね。彼女とは一応、顔見知りではあります。ただ、この件に関しては、まだ話せません」
「話せない? どうしてですか? 我々の敵ではないと言うのであれば、是非とも話して頂きたいのですが?」
腕を組むエルバは穏やかな口調でそう言い、空色の髪を揺らした。
鋭い目を向けるエルバに、聊か困ったように首を傾げるユーガは、苦笑する。
「申し訳ありません。そればかりは、今のあなた方には話せません」
非常に申し訳なさそうにそう言うユーガに、エルバとレックは疑念を抱いた目を向ける。
当然だろう。自分達を殺そうとしてきた女と知り合いなのだ。当然、あの女となんらかの関係があると疑うのは無理はない。
呆れた様に息を吐き、エルバは首を振った。空色の髪がサラサラと揺れる。
穏やかな表情とは裏腹に、明らかに不信感を抱いた眼差しをエルバは向けていた。
それは、ユーガも理解したのか、右手で首の後ろを掻くと、リオンへと目を向ける。ユーガと目が合う。何かを訴えかけるような眼差しに、リオンは眉間にシワを寄せると首を傾げた。
まるで、二人きりで話がしたい、そう訴えかけているようだった。
その為、リオンは重い腰を持ち上げると、尻を右手で払い、
「悪い。ちょっとコイツと二人で話がしたい」
と、レックとエルバに告げた。
不服そうな二人だったが、疲れていたのだろう。レックは右手を軽く振り、
「ああ。いいよ。俺は寝る。それに、何を聞いても話せませんとか言われそうだし。俺の紹介はお前に任せる」
と、身を横にする。
そして、エルバもフッと息を漏らし、
「私も構わない。ただ、気を抜くな。まだ、信頼していいとは限らない」
と、エルバはリオンに忠告し右目の下に掘り込んだ三ツ星の刺青に触れた。
エルバの忠告にリオンは「ああ」と答えた後に、ユーガへと目を向ける。目で向こうに行こうとリオンが合図を送ると、ユーガは小さく頷いた。
二人は焚き火から離れ、暗い闇の中に身をおいた。
とりあえず、焚き火の明かりが見える位置に佇むリオンは、深く息を吐く。
「で、何だ? 俺に何か話があるんだろ?」
リオンがそう口にすると、ユーガは鼻から静かに息を吐いた。
俯き、腰に右手を当てるユーガは、ゆっくりと顔を上げるとリオンの目を真っ直ぐに見据える。
「さて、何から話すべきかな? 未来から来た少年よ」
クスッと笑うユーガに、リオンは訝しげな目を向ける。何故、自分が未来から来た事を知っているのか、そう考えるリオンに、ユーガは慌てて両手を振った。
「いや! 違う違う。別に他意はないよ? ただ、僕はキミ達が未来から来ていると言うのを知っている。それだけだよ。未来を知りたいとは思っていないし、キミ達の素性を知りたいとも思っていない」
「待ってくれ。なら、何でお前は知ってるんだ? 俺の事を――いや、俺とフォンの事を」
リオンが疑念を抱いた眼差しでそう尋ねると、ユーガは微笑する。
「僕は、クローンオリジナルNo.0。彼女、アリアと同じクローン体だ。キミは聞いているだろ? アリアから」
「…………ああ。過去にクローンの実験が行われたって事は……」
アリアの話を思い出し、そう口にするリオンに、ユーガは微笑する。
そんなユーガに、リオンは険しい表情を浮かべた。




