第1回 動き出す闇
多くの命が奪われたあの大戦から十数年が過ぎようとしていた。
あの戦いで英傑と呼ばれる様になった者達が勝ち取った世界の平和。
誰もが、その時が永遠に続くと思っていた。
時刻は深夜。
東の大陸フォースト。その首都であるブルドライの中央にそびえるフォースト城。今まさに、そこで異変は起きていた。
薄暗い廊下へと響く、靴の踵が床を叩く音。その音が不気味に広がり、深夜の静寂を壊していく。
壁に飛び散った鮮血。横たわる兵士。そして、床は血溜まり。それを黒の革靴で踏み締め、僅かな足跡を床へと残しながら、彼はゆっくりと歩みを進める。その先にある王室に向かって……。
「はぁ…はぁ……」
王室内。呼吸を乱すふけ顔の男。彼こそ、あの戦いで英傑と呼ばれる様になった一人にして、この国をまとめ世界を平和へと導いた偉大な王ブラスト。天賦族である彼の発明により、世界はここ数年でより発展し、人々の暮らしは豊かになった。そして、人々は彼を信頼し、彼の存在がこの国を――この世界を支えている様なモノだった。
「ぐっ……」
「ブラスト! 大丈夫か! おい」
彼の傍へと駆け寄る美しい女性。彼女こそ彼の最愛の妻である。彼女は純白の衣服を揺らし、その腕に小さな赤子を抱え、明かりの消えた一室で表情を歪める彼の姿を見据えた。腹部から赤い染みが滲み、口元から薄らと血を流すブラストの姿に、彼女は表情を強張らせる。
「何があった! 一体……」
「くぅっ……お前は……に、げろ……」
左手で彼女の右肩を掴み、弱々しく肩を上下させ途切れ途切れの掠れた声でそう述べたブラストに、彼女は唇を噛み締め、左手で肩に置かれた彼の手を握る。
「ふざけるな! 私も戦う! 死ぬ時は一緒だ! そう誓――」
ブラストは彼女の声を遮る様に彼女を優しく抱き締め、口付けをかわす。僅かな時の静寂。やがて、時が動きだし、二人の距離が離れる。苦しそうな表情を浮かべるブラストが、無理に作って見せるおおらかな笑み。その姿に彼女は目に涙を浮かべる。
「お前は……本当に卑怯な奴だ……」
「すま……ない……。でも……その子には……お、まえ……が……ひつ、ようだ……。それ、に……」
ブラストの声が途切れ、唇だけが動く。その唇の動きに彼女は僅かに頷き、小さく「そうだな」と、呟き、ポツリと涙を一粒零した。その腕に抱かれた赤子は、そんな中でも小さな寝息をたて、安らかに眠る。全く自分が置かれている状況など分からぬままに。
そこに響く。小さな足音。それが、部屋の扉の前で止まり、ドアノブがゆっくりと動く。
「さぁ……い、け……」
「ブラスト……。私は……」
彼女は言葉を呑む。これ以上、ブラストに何かを背負わせてはいけないと。だから、もうそれ以上何も言わず、握っていた手を離すと静かに立ち上がり、窓の傍へと足早に移動する。遅れて、部屋の扉が軋み廊下の明かりが部屋へと射し込み、足元からスゥーッと長い影が部屋に伸びた。
扉を開いたその人物を、彼女は強い目つきで見据えると、乱暴に窓ガラスを開き窓縁へと右足を乗せる。そんな彼女の姿に、部屋に入ったその人物は小さく二度靴の踵を鳴らすと、体の向きを彼女の方へと向け、口元に僅かな笑みを浮かべる。
「ふふっ……以前もあなたとは対峙した事がありましたね」
「くっ! きさ――」
彼女が怒り、怒鳴ろうとした刹那、それを遮る様にブラストが二人の間に割り込む。よろめき、足元に溜まった自らの血で僅かに足を滑らせ体勢を崩したが、それでもブラストは愛する者を守る為にその人物の前に立ちはだかる。
弱々しい呼吸音。青ざめた顔。朦朧とする目。血に染まる体。そんな状況のブラストの姿を見据え、残念そうな表情を浮かべる。開かれた窓から入り込む冷たい風が、二人の前に対峙するその人物の赤紫の髪を揺らし、雲の合間から姿を見せた月明かりが部屋の中を照らし、その人物の姿を映し出す。
「将軍……ツヴァル……」
彼の姿に彼女が静かに呟くと、ツヴァルは肩を揺らし静かに笑う。
「将軍……ふふっ……。ブラスト。貴方には正直失望してますよ」
「ぐっ……」
「きさっ! これ以上、ブラストをバカにすると、私が――」
彼女が赤い瞳でツヴァルを威嚇する様に睨みそう叫ぶが、すぐにブラストが左手を上げそれを制しする。
「い、いから……行け……」
「くっ……分かった……。ブラスト……。この子は守ってみせるよ……。私が……だから……」
そこまで言って、彼女は窓から身を投げ出す。その赤子を両手で抱き締めて。そして、轟く。力強い羽ばたきが――。風を掻く音が――。やがて、窓の外に見える月に小さなシルエットが浮かぶ。翼を広げ飛び立つ小さなシルエットが。
暫しその光景を見ていたツヴァルは、小さく拍手を送り、その手に一本のナイフを取り出す。
「――ッ! な、にを……する気……だ」
そのナイフを見て、突如として声を荒げるブラスト。それは、ブラストも開発に加わり造りだしたナイフ。空気中の大気を振動させ、遠距離にいる者に対し斬撃を飛ばす事が出来るナイフだった。あの戦争の時、ツヴァルが愛用していたナイフでもあった。
そのナイフを軽く握り、左手へと平を叩きつけながら静かに笑うツヴァルは、窓の外に見えるシルエットに向かって、そのナイフを振り抜いた。
「ぐっ! やめ――」
大気が振動し、疾風が部屋を駆ける。その中で、ブラストは自らの身を投げ出し、その斬撃の進行方向へと飛び込む。ただ一度振るっただけだったが、無数の斬撃がブラストの体を切り裂く。衣服が裂け、肉が裂け、鮮血だけをその部屋へと撒き散らせ、ブラストは静かに膝を床へと落とした。
「うっ……あぁ……」
口元から滴れる血が床の血溜まりに落ち、小さく何重もの波紋を広げる。
もう体に力が入らず、ブラストの意識がもうろうとしていた。そんな中で響く。二つの足音。その足音に、ブラストは僅かな希望を抱き、弱々しく口元へと笑みを浮かべる。
「この状況でも笑えるとは、流石は英傑と呼ばれるだけはありますね」
「こん……な、絶望……的な、じょ、う……きょうでも……希、望の……ひか、りは……輝いて……」
ブラストがそう告げると同時に、その足音が部屋の前で止まり、乱暴に扉が開かれると二つの影がブラストの視界に入った。足音だけで分かる。自分が信頼の置ける者達なのだと。だから、ブラストは安堵した様に小さく息を吐き、同時に大量の血を吐いた。
何が起こったのか分からぬまま、ブラストの体が後方へと崩れる。右肩から噴出す鮮血。そして、激痛。僅かに耳に残る銃声に、ブラストは自らの目を疑う。
「な、何故……」
「悪いな。大将」
開かれた扉の前。銃口から硝煙を上げるライフルを構えた女性が、長い黒髪をなびかせ寂しげな瞳でブラストを見据えていた。彼女がブラストの右肩を撃ち抜いたのだ。
そして、その隣りに佇む青年は白銀の髪を掻き揚げ、眼鏡越しに金色の瞳をブラストへと向け、静かに彼女へと苦言を呈す。
「先輩。もう彼は大将ではなく、排除すべき対象」
「……。あんたは黙れ。そして、祈ってろ」
「祈りは捧げた。後は、実行するのみ」
と、彼は二本の剣を取り出し、それをクロスさせ十字に構えると、腰を僅かに落とす。
目の前の光景に驚くブラストに、ツヴァルは不敵に笑う。
「何を驚いているんですか? 自分が信頼を置く者に裏切られた……と、でも思っているんですか? 違いますよ。彼等は元々、僕等側の者なんですよ。僕の事を警戒して、将軍と言う地位を与えその行動を監視していたつもりなんでしょう。けど、残念ながら、貴方の目は節穴だった。だから、この様な結末を迎えたんですよ」
ツヴァルは甲高い声をあげ笑う。ブラストをバカにする様に。
ブラストはその笑い声を聞きながら、静かに瞼を閉じた。信じていた。彼等なら、きっと立ち直れると。だから、敵になるかも知れないと分かっていながら、彼等を自分の傍に置いていた。生きがいを見つければ――大切な何かを見つければ――きっと、立ち直れると信じて。
でも、それは叶わなかった。二本の剣がブラストの胸へと突き立てられ、数発の弾丸が体を射抜く。鮮血が無残に飛び散り、やがてブラストは絶命した。
静まり返ったその部屋で、ツヴァルは小さく息を吐く。
「カルール……何故泣く」
「はっ? 何でウチが……」
カルールと呼ばれた女性は、そこで初めて気付く。自分の目から涙がこぼれている事に。そして、その手が震えている事に。
「な、何でウチ……泣いて……」
涙を右手で拭い、僅かに鼻を啜る。彼女自身は気付いていなかったが、彼女の中でブラストと言う存在の大きさが自然とそうさせたのだった。もちろん、ツヴァルもあの青年もその偉大な男の死に様を見据え、胸が苦しむ。それでも、ツヴァルはその感情を押し殺し、静かに告げる。
「次は北……龍を狩る」
と。その瞳に強い意志を宿し、ツヴァルは二人と共にその場を後にした。
翌日、ブラストの死は世界へと一斉に広がった。世界は混乱し、やがて崩壊する。その数年後に起こったフレイストの死によって。
はい
どーも
作者の崎浜秀です
え、えっと……
今回で第三幕。
多分、この幕で最終幕となる予定です
長くなると思いますが、最後まで読んでいただけると嬉しいです