プロローグ
病名は、この際どうでもよかった。ある日突然、身体の自由が利かなくなり、気がつけば病院の白い天井を見上げていた。
日に日に衰えていく体力、手の施しようのない進行性の病。医者は困った顔で「打つ手はありません」と告げた。
天涯孤独の僕には、一緒にいてくれる家族も、泣き崩れる親しい友人もいなかった。そのことに、悲しみよりもむしろ、どこか安堵に近い感情を抱いたのは事実だ。誰にも迷惑をかけずに、静かに、ひっそりとこの世を去りたかった。
そんな僕の願いを聞き入れたのかある日、見慣れない、けれどいかにも公務員といういでたちの人がやってきた。
その人――厚生労働省から派遣されたという担当者は、奇妙な提案をしてきた。「――千晴さん。当事業で、残された日々をご自身で自由に過ごされてはいかがですか? 必要な住居や費用は全てこちらで手配させていただきます」
退院を薦められたのは、単に「病院にいる意味がない」ということだったのだろう。だが、それは僕にとって、最後のささやかな自由を意味していた。
与えられた部屋は、静かな住宅街にあった。陽光が差し込む大きな窓、清潔なキッチン、そして、僕の私物を運び入れただけの、がらんとした空間。まるで、この世に痕跡を残さないための、仮の住まい。
僕は数少ない荷物を整理し、手帳に記した「やりたいことリスト」を眺めた。
どれも些細なことばかりだ。美味しいコーヒーを飲む。好きな映画を観る。青空の下で昼寝をする。
そして、誰にも知られずに、静かに息を引き取る。
どれもありきたりな余生の過ごし方だ。
ただ、ぼくは一つだけ、おそらく人生最後の希望を言った。
それは「学校に戻りたい」ということだった。
――十日間。
あと十日。たったそれだけしか、僕には残されていない。
明日は一日目だ。