第85話 恋の病、記者会見
「臨時ニュースです。南方精密は南方健二会長兼社長の辞任を発表、南方レネ由春氏が代表取締役社長に就任しました。後日記者会見を行うと新社長レネ氏は発表しておりますが、健二氏の薬物疑惑につきましては捜査を受けている段階で現時点では答えられないとしています」
そんな速報が流れた翌朝、テレビ局の新人記者である秋元は初めての朝駆けに成功した。
朝駆けとは、朝アポなしで勤務時間外に自宅や出勤時などの朝に突撃取材をすることを指す。ちなみに、夜の場合は夜討ちと言う。
秋元はマンションの通用口からこっそりと外に出たレネを捕まえたのである。
「南方社長!」
今まで以前テレビに出た時の写真や動画などで彼を目にしていたが、髪型が全く違っていた。
秋元の記憶の中の南方レネの髪色はダークブラウン。前髪は長めだが後ろにきっちりセットされていたその髪は、なんとかなり短めのツーブロックに刈られていた。しかも色はグレーっぽい少しくすんだ自然な金髪。
怖気付いてしまうほどの美しい男だ。
取材を申し込むと彼は快く頷いてくれた。
「話せることしか話せませんが、いいですか? 後日、記者会見もあるので」
そう言うと彼は、目の前のコンビニを指差した。
「コーヒー、いかがです?」
彼はコーヒーを秋元に奢ってくれた。近寄りがたい雰囲気とは違って、人懐こい笑みを浮かべると意外にも年齢相応に見える男である。
スウェットとトレーナー姿で、いかにも部屋着で出てきましたという姿もだらしなさではなく親近感を抱かせる。
彼は前社長、健二の薬物疑惑に関しては申し訳なさそうに「今は捜査中なのですみません」と言い続けたが、なぜ髪型を変えたのか、と言う問いには笑って答えてくれた。
「日本は、髪を染めてるといいイメージ持たれないじゃないですか。記者会見に向けて、地毛に戻したんです。それで、短い方が清潔感もあるかな、と」
「この髪が地毛なんですか?」
「はい」
生粋のヨーロッパ人にしか見えないその姿で、流暢に日本語を話す様子に秋元は今更ながら困惑した。
「あと、彼女さんのことも聞いてもいいですか?」
「答えられる範囲で」
「社長が海外出張中に辞めさせられたとありましたが、あれは本当ですか?」
「はい。それ以降連絡も取れません。今も探してます」
彼は隠しもせずに馴れ初めを教えてくれた。主に販売した後の機械の修理や不具合、操作のサポートサービスを行う部署で働いていたという彼女は、平日は出張だらけだったが、週末はよくこのマンションで過ごしていた。レネはそう寂しそうに微笑んだ。
「とても優秀で、格好よくて……俺の自慢のDomです。しかも、Sクラス」
秋元は困惑した。彼はくすぐったそうに笑った。
「俺は実はSubなんです」
「Sub? そ、そんな! ご冗談を」
「本当です。どうせあとで公表しますから、出会いを記念して一足先に」
レネはウインクすると、乾杯するようにコーヒーを掲げ、美味そうにコーヒーを飲んだ。秋元もコーヒーに口をつけた。
コーヒーを飲みながらも、秋元は目の前の男がSubであるという事実に未だ衝撃を受けていた。彼のような美しくて社会的身分がある男は大抵Domだからだ。
(自分が男でよかった……)
彼の笑顔はあまりにも破壊的である。秋元は誤魔化すように咳払いをし、さらに質問を重ねた。
「彼女さんは、ダイナミクスのパートナーも兼ねていたんですね。今も……好きなんですか?」
秋元はズバリ聞いてみた。
「はい。今も好きです。先ほど言った通り、であの人はとても優秀な技術……メカニックって言うとわかりやすいですかね。機械の不具合を見つけてたちどころに直してしまうんですよ。でも、俺の|Liebeskrankheitは治せなかったみたいで……治してくれればよかったんですけどね、今もずっと探してます。テレビ局の皆さんも、一緒に探してくれませんか?」
彼は茶目っ気たっぷりに言ってのけた。耳慣れない言葉に、秋元は思わず聞き返す。
「今、なんとおっしゃいました?」
「|Liebeskrankheitです。あとで調べてみてください」
彼はその後は出社時間近いからとコンビニに走って行き、なんと牛乳を片手にマンションに走って戻っていった。
(牛乳買いに出て来てたのか……)
秋元が早速謎言語を調べると、それは彼のルーツのドイツ語だった。
|Liebeskrankheitとは「恋の病」という意味である。
***
「どうしてこんなことに……」
沙羅は自宅アパートのテレビの前で両手で顔を覆っていた。イケメン社長の恋のお相手は何処に? などの馬鹿げたタイトルがテレビの中を飛び交っている。
十時から記者会見だ。でもその前に、沙羅はバイトに行かねばならない。
(レネ、絶対に記者から詰められる……)
長年の健二の悪逆非道な行いを放置して来たのかとか、コンプライアンスはどうなってるんだとか、絶対に言われるに決まっている。
沙羅は一息つこうと、紅茶のティーバッグを取り出し、少量の水をと一緒にレンジにかけようとした。これで一分。そして、牛乳を入れてまた一分レンジにかければなんちゃってロイヤルミルクティーが飲める。
「あれ……」
ボタンを押したが反応がない。扉を開け閉めしてもダメ。コンセントを抜き差ししてもダメだった。ブレーカーの問題でもない。
流石に沙羅も電子レンジだなんてマイクロ波を発する家電は分解する気も起きない。学生時代から使っているもので寿命だろうし、仕事の後に買いに行くかと肩を落として出勤した。
出勤すると、すでに一人パートの女性が掃除をしていた。吉川だ。
吉川は皆のお母さんのような存在だ。主婦をしていて近所に住んでいる。子供たちはもう独立したらしい。
「今日から五月、頑張ろうね!」
「はい!」
沙羅は元気よく返事をした。
「南方新社長、ほんっとうイケメンね〜!」
沙羅がテレビをつけると、吉川が感嘆の声を上げた。店長今日は来ない。気楽だ。客が来るまでカウンターで雑談をして過ごす。
「あーんなイケメンに愛されてた彼女ってどんな人なのかしらね〜」
「ど、どうでしょうね……」
「三十四歳の男前かぁ。いいねぇ〜」
二週間前、四月十七日はレネの誕生日だった。不意に思い出し、祝ってやれなかったことに胸がきゅうと締め付けられた。
沙羅はこの後どうすればいいのか迷っていた。もう健二がいないなら、自分が加害されることもないはずだ。
実は昨日の夜、彼のマンションを見にいったのだ。マンションの周りには所在なさげに立ち尽くす記者や、黒塗りの車がびっしり。
メディアが凄すぎて、流石に疲れて帰って来てしまった。
テレビの向こうのレネは、沙羅がよく知っているレネとは髪型も髪色も違って、なんだか別の世界の芸能人のようであった。
地毛で短くした髪はとても精悍に見えて惚れ惚れするほどだ。
依然、テレビもSNSもレネの話題で持ちきりだった。
(私はやっぱり、どう考えても釣り合わない……)
先日、「辞めさせられた彼女」のくだりの報道を見た母洋子から連絡があったが、沙羅は「騙しててごめんなさい。もう疲れたから、静かにしてほしい。レネには絶対に連絡とか入れないで」と話してなんとか納得してもらっていた。洋子は怒り狂っていたが、今の彼はそれどころではないとなんとかわかってくれたようであった。突撃したりなんてことは、流石にしないだろう。
客のいない間は、ふたりしてカウンターからちらちらとテレビを見た。記者会見は十時からスタートしていたが、波乱の幕開けだった。
まず、レネがSubだというのが公表された後だったので、いきなり《Kneel》の野次を飛ばしたとんでもない記者が出現。控えていた康貴が壇上から飛び出してそいつに《Glare》を浴びせて制圧、外に放り出した。
「康貴、ご苦労」
「いえ、これくらいおまかせを」
レネはきちんと抑制剤を飲んでいる。いきなり飛んできたコマンドで反応するような男ではないが、これは完璧にマナー違反だ。
記者会見の場は騒然となった。「彼はボディガードか?」と聞かれて、「私の右腕です。第一秘書」とレネが人好きのする笑みを浮かべた。
「あの人も格好良くない〜? あ、店長から聞いたんだけど、沙羅ちゃんって南方グループにいたんでしょ?」
「はい……」
人の個人情報をばらすなんて、やはりとんでもない店長だと沙羅はため息を吐いた。
十一時、開店から一時間すると近所の事務所の人が椅子が壊れたと持って来たので、その場でキャスターを交換。それから時計を預かり、チェーンのちぎれたネックレスを預かった。沙羅が手出しできるものではないので、これは外部に委託する。
昼休みに状況を確認すれば、南方精密は南方グループを統括する南方ホールディングスを設立すると発表したようだった。
記者からの質問に関しては、健二が社内で《Glare》を放って周りを支配していた件についてなどももちろんあったようだが、始終レネのどこに行ったかわからない恋人……つまり、沙羅の件や、出自の件など個人的な質問が多かった様子で、SNSからは非難の声が上がっていた。
レネが、それだけかわいそうに見えたのであろう。
(多分、ヤスさんがわざとそう誘導してる……だから恋愛ネタをあれだけ入れたんだ)
その後は怒涛の来客によれよれになって、仕事から上がった後、レンジを買い直そうと家電量販店へ。
「なんで……?」
沙羅は店舗内で困惑した。壊れたレンジは南方電機のものだった。もちろん買おうとしていたレンジはその後継機種。
だが、棚がすっからかんだ。売り切れ続出である。よくよく見れば、南方電機の家電はレンジだけでなく、オーブンもドライヤーも洗濯機も売り切れている。沙羅は店員を捕まえて聞いてみた。
「南方社長、あの容姿でSubで女性に一途ってのが主婦層に相当刺さったみたいで、これを機に家電買い替えるかってなったようです……」
南方グループといえば、一般人からしたらやはり家電なのである。
沙羅は妙に納得してしまった。
「家族で、家電の機種選定する権利持ってるのって確かに主婦ですね」
「はい。一時は大暴落した株も今や真逆ですし。イケメンがトップってすごいですね……流石です、新社長」
これも康貴の作戦だろうか。
もしそうだとしたら、にわかに恐ろしいとしか言えなかった。
「他におすすめのレンジ、あります? 一人暮らしです、レンジ機能が使えればじゅうぶんです」
金もないことだし、南方のレンジにこだわることもない。沙羅はその店員におすすめのレンジを教えてもらって購入、配送依頼をして帰った。
家でSNSを見れば、若い女性の間ではレネ派と康貴派で人気が二分しているようだった。
沙羅は久方ぶりに笑ってしまった。そうなのだ、あのふたりはどちらも最高の男たちなのだ。見た目が真逆でパリッとスーツを着こなす主従は女性だけでなく男性の注目をも集めているようだ。
Subのレネに付き従っているのが、Domである康貴であることもまた目に新鮮なのだろう。
(すごいな……ネットを味方にするか……)
健二はすでに辞任、会社の状況も悪くない、なんとかなりそうだ。沙羅はいつまでもこそこそしていなくてもいいのでは、と思い始めていた。
一度、八王子工場に電話してみようか。
まずは、森山宛で。電話番号を聞いて、きちんとレネと連絡を取って、もう一度想いを伝えたい。騒動が落ち着けば、すぐにでも会えるはずだ。
いつ連絡するか、と沙羅はカレンダーを見た。明日は土曜。店長が出社する日だ。
また何か言ってくるのではないかと憂鬱になる。土曜の夜飲みに行こうと先日言われたことをふと思い出したのだ。
絶対に拒否だ。実は明日、五月三日は沙羅の誕生日である。何か帰りに美味しいものとケーキを買って帰ってこよう。
森山への連絡は週明け月曜としよう。
その晩、沙羅は久しぶりに熟睡できた気がした。




