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第78話 大掃除、カラー

 今日は年内最後の出社日で、大掃除をする日だ。私服出社日なので、レネは適当な長袖のTシャツにジーンズ、ダウンジャケットを羽織って出社した。


 その辺に散歩に行くようなシンプルな格好である。


 出社して朝一番、まだ誰もいない職場でパン屋で買ったサンドイッチを食べ、私物のコーヒーマシンで淹れたコーヒーでほっと一息。

 彼は早めに出社し、経済新聞や工業新聞を読むのを日課にしていた。一通り日課をこなし、彼は八時半に手洗いに行って鏡を見て気づいた。はっと目を見張る。


(しまった……)


 私服を着る時の癖で、彼は《Collar(カラー)》を首にぶら下げてきてしまっていた。メタリックシルバーの輝きを放つ細長いペンダントトップが胸元で揺れている。


 席に戻ったら外そう。そう思ってドアの方に足を向けた時だ、ドアが勝手に開いた。


「おお、レネか。おはよう」

「おはようございます」

「元気そうだな」


 そこにいたのは会長、健二である。靴音を立てながらこちらに歩み寄って、肩をばんばん叩かれてレネは青筋を立てそうになった。


(朝から面倒なやつに会ったな……)


 だが、これに耐えれば年末年始である。沙羅の着物、振袖姿を拝める。それだけで、レネはどんな拷問にも耐えられる気がした。

 我ながら、沙羅が好きすぎてどうかしている。そう思ったレネである。 


「早いな、真面目なことだ。譲治に爪の垢でも煎じて飲ませたい」

「会長もお早いですね」


 レネは先日再入社した健二の息子、譲治の様子をかねてより康貴に探らせていた。譲治はいきなり生産統括部門の課長に就任したのだが、これに関してレネは文句があまり言えなかった。レネは入社するなりいきなり副部長職に任命されていたからである。気づけばあれよあれよと部長職になり、そして株主総会で役員に登用され、今やこの通り。


 一方、譲治は前評判通り……いや、レネの期待を軽く凌駕するほどのポンコツだった。康貴は降格させられた河村に代わって就任した生産統括の新部長に譲治は使い物にならん、管理職は任せられないと相当愚痴られたらしい。場所はもちろん、喫煙所。


(俺は一応新卒から真面目に働いてたからな……)


 定職にも就かず、ふらふらしていた男とは違うのである。レネに対する周りの評判ももちろん悪くなかった。


「お前みたいな堅物でもネックレスなんてするのか」

「俺も今時の若者ってことで許してください」


Collar(カラー)》とバレるわけにはいかない。だが、彼の《Collar(カラー)》は一見すればただのネックレス。ファッションだと言えば誤魔化せなくもない。刻印も裏面。


 だが、レネはネックレスなんてするキャラではない。健二からも社内の重鎮からも、仕事はできるが真面目過ぎ、たまに融通が効かないきらいがあると評価されているレネである。完璧にしくじったとしか言いようがなかった。


「まあ……意外だが、わからなくもない。ラペルピンもカフリンクスもセンスよくつけるお前だならな」


 レネは皮肉っぽく笑みを浮かべて「決しておしゃれとは言えない、あのドイツで育ったとは思えないでしょう?」と投げかけた。健二は「そうだな、ドイツ育ちには見えん」と闊達に笑って歩き出した。


 実に気持ちのいい、テンポのいい会話だった。ふたりは気が合わないわけではないのだ。これにはレネもいい加減気づいていた。


 この男が女癖が悪くなくて、別の出会いをしていれば。こんな複雑な親子でなかったら。仕事を一緒にしていると、そんなことを思うこともゼロではない。だが、そんなIFを考えても詮なきことである。


 ひとつだけ言えるとすれば、健二はやはり、人たらしなのである。


「優希との飯の件、考えてくれたか?」

「トイレで食事の話しますか?」


 レネはすれ違った男の方を振り向いた。健二は迷わず小便器に向かう。

 その背を見て、ふと思う。


(仕事中も老害かって問題発言あるし、精彩を欠くこともあるが……年齢ゆえと言われるとあまり疑問はないんだよな……)


 違法薬物なんて本当に使用しているのだろうか。少し懐疑的に見ているレネがいた。


「お前は仕事中にこういう話をするのを嫌がるだろ?」

「そりゃあ仕事の時間は仕事をしたいですから。わかりました。食事、行きますよ」

「本当か?」


 健二はレネの方を振り向いた。


「はい、詳しくはまた後で。一旦社長室に戻ります」


 そう言い放ってくるりと背を向け、ドアを開けようとした時のこと、またドアが勝手にから開いた。レネが今度は誰だよと思えば、健二の第三秘書の黒田だ。


(黒田か……)


 レネよりも沙羅に背の大きい男だ。百九十は軽く超えるだろう。

 彼は二ヶ月前くらいに雇われた男だ。体格もよく、いかにもDomっぽい。

 秘書と言っても、おそらく実務はしていない。半分ボディガードとして雇われていると言っても過言ではない。そんな容姿の男である。


 普通Domの男は秘書業務なんて明らかに従な仕事はやりたがらない。どこか不気味で、レネが最も苦手とするタイプの男であった。


「おはようございます、社長」

「おはよう」


 鋭い視線がこちらを射抜いた。レネはふいと視線を逸らして社長室に戻った。


(外しとくか……)


 これから別の社員にも会うのに、《Collar(カラー)》をいつまでもつけているわけにはいかない。一見ただのネックレスに見えるが、お堅い仕事がらこのままではよろしくない。

 レネはそれを外し、とりあえず財布かどこかしまうかと思っていると扉が叩かれた。「入るぞ」と健二の声。レネは慌ててデスクの引き出しを開けてそれを突っ込んだ。


「で、早速食事の件、日程を決めようか」


(早いな、早速来たか)


 健二の、血のつながらない義理の姪、優希との食事会。レネはもったいぶったように手帳を取り出し、スケジュールを確認した。


「一月末はいかがですか?」


 レネの提案に、健二も頷いた。彼女に確認をするという。

 レネは年明け、アメリカへの出張を控えていた。CESというAIやVRなど今流行りの最先端技術を扱う展示会の視察がメインである。


 だが、レネとしてはこれは安心材料でもある。妻の親族との見合いをここまで推し進めるからには、譲治がいるからといってレネをないがしろにする気はないということだ。


(後少しだ……)


 健二は納得するとまた連絡する、と言って去って行った。


 九時前に康貴も出社、彼らはいらない書類などゴミをひたすら捨て、防災キットの中身を確認。ついでにレネは戸棚の中のカップ麺やらレトルトのスープ、アルファ米、保存水など備蓄食材の賞味期限を確認。


 ふたりはいい加減疲れたなと、コーヒーを飲みながら休憩タイムに入る。


「これだけ食糧あれば、何かあってもレネの部屋来れば安泰だな……」

「日本はいつ地震があるかわからんからな。まあ、最悪、俺はマンションは歩いて帰れるしあんまりここに備蓄しなくても、とは思うが」

「そうだな、なんかあったらレネんち逃げるわ」

「いつでも来い。沙羅も気にしてなそうだし」


 気づけば十二時。ふたりは連れ立って会議室に向かった。

 南方精密は、最終出社日はオードブルやピザなどを頼み、軽く酒を飲んで解散するのである。

 一番広い会議室をふたつつなげ、本社勤務の社員で立食パーティだ。乾杯の音頭は常務である。


 最初は意味のわからなかったじゃがいもの載ったピザを、今や何の抵抗もなく食べるようになっていたレネがいた。

 じゃがいもは彼にとっては本来主食だ。日本人にわかりやすく言えば、ピザの上に米が乗っているようなそんな感覚である。カレー風味で悪くない。


「社長、ちょっとタバコ行ってきまーす!」


 レネのヘビースモーカーな秘書、康貴がそう言って缶ビール片手に部屋を出ていく。レネは経理部長と談笑していたので気づかなかったが、会長の秘書である黒田もこっそりと部屋を抜け出していた。


 黒田は社長室に忍び込んだ。

 元々片付いてはいたが、大掃除後でより一層すっきりしたデスク、引き出しを片っ端から開ける。目当てのものを見つけた。ペンダントトップの裏面を見て、彼はにんまりと薄気味悪い笑みを浮かべひとりごつ。


Sara(サラ)か……《Collar(カラー)》だろうな。なるほど、社長はSubか……」


 現在、ペアアクセサリーの流行りはふたりの名前を&で結ぶか、互いのイニシャルを入れるのが主流。片方の名前が刻んであるとすると、高確率でSubが身につける《Collar(カラー)》なのだ。


 レネも康貴も社長室に侵入されていることに気づいていなかった。


 しかも、会長の秘書である黒田も廊下や社長室の監視カメラのデータに細工までし、証拠隠滅していた。

 本社で沙羅が機械の設定にてんてこまいで、レネがハンバーガーを差し入れて一緒に食べたあの日のように。

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