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第68話 引き続きの準備、そして会期の始まり

 沙羅は、翌朝半年ぶりくらいの再会のニコラスに礼を言って、自分の作業をし、たまに彼とおしゃべりし、そして夕飯は牛カツを食べに行った。

 英語づけターンのスタートである。


「サラ! 美味しいなこれ!」


 ニコラスは沙羅をドイツではずっとザラと呼んでいたのに、サラと呼ぶようになっていた。

 なぜなら、レネが昨日電話で訂正したらしい。「本当はサラっていうんだな、名前を間違って呼んでいた、申し訳ない」誠心誠意謝られて、沙羅は混乱した。


 日本人同士で名前を間違えたのとは訳が違うし、沙羅は東新川というやたらめったら長い苗字で、まともに読まれることも少なかった。全く気にしなかった。


「大丈夫です! 大丈夫!」


 沙羅はノープロブレムと連呼してその場をやりきった。沙羅はニコラスとどこかご飯にでも行けばいいと思っていたのだが、蓋を開ければ副社長のシュレーダーもついてきたし、営業部長のシュヴァイツァーも来るという。


(ガチなやつだ……ガチ接待だ……)


 念の為、森山と安田に声をかけていた自分、グッジョブと沙羅は自分自身を礼賛していた。沙羅ひとりではボコボコになってやられていただろうフルなメンツの相手を、百戦錬磨のおじさんたちにもなすりつけることができる。


 実際、彼らがぞろぞろやってきた理由はとても簡単だった。今話題の本場の日本食を、しかもきちんと日本人がおすすめしてくれるものを食べたい、ただそれだけである。


 牛カツはめっぽう評判が良かった。ドイツ人を撃破するには、ドイツ育ちのプロに頼る。レネはその点で間違いがなかった。


 三人ともまあまあ器用に箸を操っているし、これならすき焼きも楽しめるだろうと沙羅は推測していた。レネも会食、頑張ってほしい。


「ドイツの人って、どこで箸の使い方覚えるんですか?」

「アジアンレストランとかかな?」


 ニコラスが答えた。おそらく中華料理店かなんかだろう、そう沙羅は推測した。だが、いきなりアジアンレストランに行って、使いこなせるとは思えない。聞いてみようと思いつつも、沙羅はそれを問いかける語学力が決定的に欠けていた。


(仕事の話ならなんとかなるんだけどなぁ……)


 仕事の話をするのはいいが、英語で日常の雑談は本当に困る。

 森山を呼んで正解だった。彼はシュヴァイツァーと話をしていた。なんだか知らないうちに、彼らは下の名前で呼び合う仲になっている。


「ヒデキ、俺の見立てでは、君、ドイツ語相当できるのでは?」

「もう忘れましたよ」


 森山は英語の会話の中に時折ドイツ語のジョークを混ぜている。沙羅は理解できなかったが、相手方が喜んでいるのでそれでよしとした。


 まだ時差ボケがあるというのでその日は名残惜しくも早めに解散。

 また明日と彼らとは別れ、沙羅は森山と安田と電車でホテルに戻る。


「牛カツ、ナイスチョイスだな」

「ヒガ、センスいいなぁ……」


 森山と安田が口々に褒めてくれるのだが、アイディアを出してくれたのはレネだ。沙羅は誤魔化すように笑って「ありがとうございます」と言っておいた。


 翌日はロボットアームの最終調整をして、翌々日、気づけば会期がスタート。

そして早速、沙羅は初日から散々な目に遭っていた。


「……ご飯」


 もう三時だ。営業にやれこの機械を実演してくれとせっつかれ、ふらりとやってきた来場者の接客をし、顔馴染みの顧客と雑談してノベルティを渡し、他にもどんどん減るカタログの補充などでかけずり回って、昼ごはんを食べるタイミングを完璧に失っていた。


 本来、沙羅の仕事は売った後の機械の設置や調整、それから使い方の指導がメイン。その名の通り、アフターサポートだ。

 本来展示会で実演をする部隊は別だ。営業をサポートし、機械の実演、つまりデモンストレーションをするアプリケーション部門である。


 アプリケーション部門だけでは、流石にこれだけの広いブースと大量の展示機の対応は困難。

 もはや森山までが機械の実演をしている始末である。

 機械を動かせるメンバーが圧倒的に足りない。

 

 営業はなんとか回ってそうだ。全国各地の販売を委託している業者、つまり代理店の面々も来てくれているからである。


 沙羅がバックヤードで水分補給していた時、森山が営業部長を引っ張ってきて「安易にデモを引き受けるな、アプリケーションと技術が潰れる!」と珍しく語気を強めて言っているのを聞いた。


(はちゃめちゃだ……誰だこんな馬鹿でかブースにしようとしたのは……会長か)


 レネから先日聞いていた。そう、会長である。

 南方精密がバカでかいブースを出しているようだ、見に行ってみようぜ、と面白半分で見に来ている箸にも棒にもかからない来場者も多そうだ。

 

 四時過ぎになんとなく昼とも呼べぬ昼食を食べた。幕の内弁当か、おにぎりやサンドイッチなど軽食を選んでいいということだったが、弁当は残っていなかった。

 食欲もないし、バックヤードでなんとなくおにぎりを口にして、コーヒーで一息つく。


 気がつけば夕暮れ時、もう終了時間一時間を切っていたので客足も少なくなっていた。

 一緒に京丹後の作業に行った、大阪配属の小林が苦笑しながら話しかけてきた。


「東新川さん、お疲れさまです……やばかったですね」


 忙しさのことだろう。沙羅も苦笑して見せた。


「いつもはここまでじゃないはずなんですけど。お昼、ちゃんと食べられました?」

「はい、森山部長に早く昼に行けって言われたタイミングで」


 きっと十二時頃のことだろう。やはり来場者も食事に行くので、一旦客足が減るのである。


「あの、ところでマイスターザイザーから異音が……」

MX(エムエックス)からですか!?」


 Meister(マイスター) Xyzer(ザイザー)。最近は社内ではMXと呼ばれることが多い。あの、ドイツ出張のきっかけになった最新機だ。


(まじか……)


 初日からか。沙羅は機械の方に足を急がせた。

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