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第66話 居酒屋、四人目の参加者

「若様、あいつやるな……俺は感心した。あれあと十年もしたらかなり化けるぞ」


 夕暮れの中、沙羅の前を歩く安田の足取りは軽い。その隣りを歩く沙羅の足取りも同様だ。

 そうだろう、そうだろう。大好きな男を褒められて沙羅は鼻が高かった。


 結局、突然の会長こんにちは騒動でバックヤードを離脱した沙羅たちは五時過ぎまで一度機械の立ち上げ作業に戻ったのであった。彼女は一台だけ卓上の小型機の調整作業をこなした。色々あったが、最後は黙々と作業できていい気分転換となった。


 沙羅の部門の機械で出展するのは実に二十台以上。ほとんどの機械は立ち上げが済み、調整も半分以上終わっていてた。

 皆手際がいい。いや、主戦力三人が使い物にならないからとかなり急いだらしい。「明日は山川のお父さんには座ってのんびりしてもらおう」と森山が苦笑していた。


 なぜなら、山川は腰が痛いと言って早めに帰ってしまったのだ。

 森山の言う座ってのんびりとは、沙羅が思うにメカ調整ではなくソフトウェアでの補正の話をしているはずだ。


 本来、展示会場は環境も悪いので機械がミクロン単位の仕事をこなせるわけもない。ソフトウェアでの精密補正なんてものはいらないのだが、南方精密は一味違っていた。


 通常はデモプログラムを動かし、空運転させて動きを見せる企業がほとんどな中、南方精密は実際に顧客が持ってきた部品で検査装置のデモンストレーションも行うし、加工用のマシンは実際にあらかじめ持ち込んだアルミのバーやらスチールの塊から部品を作ってみせたりする。


 どうかしていると業界では有名であった。

 沙羅も正直どうかしていると思っていた。技術部隊に営業活動までさせるというとんでもスタイルだ。だが、それが南方精密の伝統でありお家芸だ。


「山川さん、大丈夫ですかねぇ」

「湿布買いに行くって言ってたなぁ……まぁ、山川も俺と一緒でジジイだから仕方ねぇ」

「安田さんは腰とか大丈夫ですか?」

「大丈夫大丈夫。俺は今日まともに作業してねぇし、明日働くよ」


 森山と安田、それから沙羅の三人は一度ホテルに戻り、着替えてロビーに集まり居酒屋へ。


「さっむ!」


 一歩ホテルを出れば極寒で、沙羅はしっかりとマフラーを巻き直した。

 ビッグサイトは海辺に位置しているので、日によってはとても風が強い。遮る建物も少なく、夜になると冷えこむのである。安田も上着の前を掻き合わせた。


「ヒガ、本番はこれからだ、風邪ひくなよぉ」

「大丈夫です、頑丈なのが取り柄なんで。安田さんこそ気をつけてくださいね」

「あ、安さん、このビルです」


 森山が近くのビルに指を指した。彼らは我先にとビルに飛び込んだ。暖かい。

 森山が予約してくれたのはなんてことない普通の居酒屋。メニューは和食がメインである。

 四人席に腰掛ける。沙羅は壁際のハンガーに皆の上着をかけた。


 とりあえずドリンクの注文をした。最初は全員生ビールである。

 森山の音頭でなんなのかよくわからない展示館の前哨戦が始まった。


「まだまだ何も始まってないけど、今日も大変だったけど、お疲れ!」


 沙羅は乾杯後、ジョッキを傾け半分くらい一気に喉に流し込んだ。


「あーっ美味しいっ!」


 沙羅は親父くさくそう声を上げて、ドンとジョッキを置いた。冷えた生ビールが染み入る。最高だ。まだ本番ではないが、アフターサポートなどの技術メンバーには準備日こそ半分本番のようなもの。本番にきちんと機械を展示し、動かすことが仕事だ。そのための準備は何より大切である。


「なーんか、ヒガって俺たちの中で育ったからおっさんが乗り移ってるような……」

「ヒガシがいつまでも彼氏できないのは、半分俺たちが悪いんじゃないかと最近思ってる……」


 安田も森山も言いたい放題だ。彼氏ならできたぞ、秘密だけどな! と沙羅は眉を吊り上げた。


「失礼な! いますよ! できましたよ!」

「ついにヒガシに春が!」


 森山が拍手を贈り、安田は拳を握る。


「おおおおお! うちの娘に彼氏だと!? どこの誰だ! お父さんに挨拶しに来させろ!」

「いや……それはちょっと無理っす……」

 

 沙羅はそう苦しげに答えるしかなかった。


 その後も彼氏……つまり、レネがちゃんと定職についているのか等根掘り葉掘り聞かれたので、歳上で同じ製造業。自分とは違ってホワイトカラーの内勤であるなど、痛くも痒くもない薄っぺらい情報のみを教えておいた。


(嘘はついてない……そう、私は全く嘘はついてない……)


 本当のことを言ってるわけではないが、嘘をついているわけではない。

 まさか、さっきまで面談していた社長と付き合ってますなどと言えるわけもない。やましいことをしているわけではないが、秘密にしようと約束しているからだ。

 罪悪感で悶々としながら沙羅はメニューを見る。オーダーは沙羅に任せるとおじさんたちに言われてしまったからだ。


「決まったか?」

「……トマトのサラダと、ツブ貝のホイル焼き、刺身六点盛り、馬刺し、あと炙りエイヒレ、それから鶏皮ポン酢」

「早いっ! ちょっと待て! 俺は店員じゃないんだぞ!」


 タッチパネルをあたふた操りながら森山が苦笑をこぼし、安田が手を叩いて笑っている。沙羅はお通しのナムルをつつきながらちびちびとビールを飲んだ。


「なんだこの日本酒のアテみたいなオーダーは」


 森山が注文履歴を確認しながら笑っていた。ふざけて言っているのが沙羅にはわかっていたので、にっこり笑顔で問いかけてみた。


「何か問題でも?」

「「ございません」」


 三人して弾かれたように笑っていると、サラダや鶏皮ポン酢などが次々テーブルに並んだ。

 その時だ、テーブルに影が落ちた。


「待たせたな」


 沙羅は声のした方をふり仰いだ。箸で掴んでいたサラダのトマトがボトっと取り皿の上に逆戻りし、そして彼女は目の前の人物に驚いたあまり、尻尾を踏んづけられた猫のような「ギャッ!」という悲鳴を上げた。


 そこにいたのは、なんとレネである。


「え……え、え、ちょ……? はぁ?」


 彼はしなやかな漆黒のライダースジャケットを着ていた。レネ、ライダースジャケットなんて持ってたのか? 沙羅は困惑から声を上げていたのだ。


(格好いい……意外に似合う)


 彼は普段シンプルな服ばかり着ていたので、そんなパンチのあるちょっとヤンチャなジャケットを着るなんて思いもしていなかったのだ。


 レネはそれをするりと脱ぐと、中はいつものシンプルな黒の薄手のニットだった。「社長、ジャケットを預かりますよ」「悪いな」と会話しながら森山にジャケットを手渡している。


 沙羅はレネの顔を五度見くらいして、安田が「社長お疲れさまっす」と言ったのでつられて「お疲れさまです」と放心したまま言った。

 沙羅は森山の顔を穴が開かんばかりに凝視した。彼はニッと笑ってみせた。


「あ、ごめん、ヒガシに社長が来ることになったって言うの忘れてたわ」


 あっけらかんと森山は言いながら、レネにドリンクメニューを手渡した。

 聞いてない。全く聞いていない。沙羅はテーブルの下でレネの足を軽く小突いた。


「聞いてないが? って顔してるな」


 レネは笑いを堪えきれない様子だ。メニューを持つ手が小刻みにぷるぷるしていた。最後は声を出して笑い始め、ついには腹を抑えながら前屈みになって震えている。


 毎度毎度、彼はなぜ自らリスクを高めるのだろうか。そういう性癖なのだろうか。ハラハラして楽しいのだろうか。もし楽しいのだとしたら、相当のドMである。


 しかも、胸元には沙羅が贈った《Collar(カラー)》がきらめいている。記憶を辿る限り、さすがに昼間はしてなかったように思える。ホテルに帰って着替えてつけてきたのだろう。

 それは一見ただのネックレスにしか見えない。よかった。チョーカータイプとか贈らなくて本当によかった。


 沙羅は謎の冷や汗と動悸が止まらない。

 森山がタッチパネルのドリンクメニューを開きながらレネに問いかけた。


「社長、どうです? とりあえずビールでいいですか?」

「ああ、とりあえず生でいこうか」


 いつの間にか爆笑から復帰し、店員から受け取ったおしぼりで手を拭いているレネ。沙羅は取りつくろった真顔で醤油皿に醤油差しを傾け、彼の前に置いた。


 もう、なるようにしかならない。


 彼はまだ残っていたサラダを皆に確認して取り皿に盛る。すぐにビールがきたのでひとまず皆で乾杯し直した。


(馬刺し食べるんか……)


 彼は普通に馬刺しを食べていた。しかも、薬味をもりもりにのっけて実に美味しそうに。それが意外だったが、この男、普段の食生活を見ている限り和食ならなんでも美味しく食べそうだと腹落ちした沙羅がいた。


「何かオーダーします?」


 沙羅がフードメニューを渡して問いかけると、彼はぱらぱらページをめくって「そうだなぁ」と悩んでいる。


「鰹のたたきのユッケ風、あと牛すじ煮込み、梅きゅうり、おつまみ長芋、とんぺい焼き……だな。被ってるのある?」


 レネはもはや注文担当係と化している森山に問いかけた。


「ないです、了解しました!」


(オーダーがおっさんだ……)


 レネは和食好き。よくよく知ってるし、沙羅も人のことを全く言えないのでとりあえず口を閉ざした。

 変に話せばボロが出る。


 沙羅はぽちぽちタブレット端末で頼んでいる森山をつぶさに観察したのち、沙羅がレネの方に目を向けると彼がこちらをまっすぐ見ていた。目が合う。


「ヒィッ!」

「ひどいな……俺を化け物みたいに……」

「いやちょっと! すみません、びっくりしたんです!」

「一緒にドイツで電車から放り出されたり飛行機から放り出された仲じゃないか」

「確かに……放り出されましたねー……」


 沙羅がテンション低く言えば、レネはわざとらしくしょんぼりして、ビールを半分くらい飲んだ。どんどん食事が来るので、皆で平らげる。レネはビールの次はハイボールを飲んでいた。沙羅は酔ってはならんとシャンディガフをオーダーした。


 安田はだいぶ出来上がってきていて、「ドイツで大変だったみたいですね〜」とレネに絡んでいる。

 デザートにアイスを食べ、二時間くらいで飲み会はあっさりと解散した。

 酒は結局三杯しか飲んでいない。ハラハラして、酒どころではなかったからだ。


(部長にも安田さんにも、バレてない、きっとバレてない)


 皆でぞろぞろとホテルに戻る。

 幹部はお台場のお高いホテルに宿泊のはず。レネは駅の方に向かうのかと思ったが、なんと同じホテルの自動ドアをくぐった。沙羅は驚きの声を上げた。


「社長もここなんですか?」

「馬鹿みたいに高くて遠いホテルに泊まるやつの気が知れない」 


(会長のことか……)


 わかりはしたが、口には出さなかった沙羅がいた。


 ビッグサイトとお台場は、遠いとは言いつつも、その気になれば歩ける距離だ。おそらく三キロはない。電車に乗ってもすぐなのだが、彼はとにかく効率を重視するタイプ。

 ちょっとわかる気がする沙羅がいた。


 四人でエレベーターに乗り込む。沙羅は行き先に四階を押した。一方の森山は二階だ。

 安田と森山は二階で降りて行った。二人が降りた後、沙羅はレネを見上げた。


「沙羅も四階?」

「はい、四階です」


 話しかけるのはやめておこう。四階にも南方精密の社員がわんさか泊まっている。沙羅は自分の部屋の前で立ち止まった。


「私ここなので……」


 彼は隣の部屋の前にいた。沙羅は目を見開いて口をぱくぱくさせた。

 不本意ながら、出目金みたいな阿呆づらを晒すことになった。レネが声を押し殺して笑っている。


「そこですか?」

「うん」


 彼は満面の笑みを浮かべた。


「じゃ、お疲れ。ゆっくり休んでくれ」


 そう言って彼は部屋の中に消えていった。

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