第60話 レネの部屋、うなぎパーティー
「私、JIMTOF出ることになりました……」
「奇遇だな、俺も全日展示会出勤だ」
キッチンに立ったレネは白々しく言って見せた。
場所はレネの部屋。週末だ。遊びに来た康貴がレネの隣で笑っている。
「レネも来週は中国だし、大変だな〜」
「人ごとみたいに言ってるけど、ヤスも一緒だけどな」
「四川と重慶の工場はともかく、上海オフィスとか怖すぎるんだけど……」
「俺も中国はどれくらい英語が通じるかわからないから怖い」
まだ昼前、今日のランチはレネが軽く何か用意し、昼間はゲームなどでダラダラ遊び、夕方になったら鮮魚店に行く予定だ。
今日は特別な日だ。店先でうなぎを炭火で焼いてくれるので、それを買ってきて三人でうなぎパーティーをしようという話になっていた。
康貴は誘った当初、一日いたら沙羅に申し訳ないとグループメッセージで言っていたが、沙羅としては逆だった。
レネと康貴が仲良く漫才をしているのを見るのが好きなのである。昼から遊びに来てくださいと沙羅がお願いしたのだ。
「もうそろそろお昼作ります? 私、お手伝いしましょうか?」
「あ、姫はどうぞお掛けになってお待ちください」
康貴が柔らかい笑みを浮かべて椅子を引いた。
姫。
その自分には全く似合わない設定に、沙羅は腹の底から笑った。
「では、レネのお手伝いは杉山さんにお任せしますね」
沙羅がくすくす笑っていると、康貴がするりと隣に座った。
「ヒガシさんさぁ、俺のことそろそろ杉山さんなんて呼ぶのやめようよ。もう友達じゃん俺ら」
「……ヤスさんとか?」
「あっいいねそれ!」
その時、キッチンから声が飛んできた。
「ヤス! ニンニク取って! あとセラーのプロセッコ適当に見繕ってくれ!」
「何作るの?」
「やる気がない。ペペロンチーノとベビーリーフのサラダ。あと昨日作ったミートボールのトマトソース。この三人なら簡単な飯でじゅうぶん楽しいだろう」
「OK!」
ペペロンチーノは、レネ曰く卵かけご飯や納豆ご飯のようなノリらしい。簡単で美味しくて、まともに料理する気が起こらない時に作るメニューだ。
沙羅は椅子に横向きに座り、背もたれに腕を乗せてその上に顎を乗っけてレネを見た。鍋にお湯を沸かし、つづいて包丁を取り出し、手際よくニンニクをスライスしている。
康貴は選んだワインをレネに見せて、OKをもらうとワインクーラーを用意してダイニングテーブルに戻ってきた。
「これ、イタリアのスパークリング。夜は赤ワイン持ってきたから、それで乾杯しよう」
「ワインとうなぎですか?」
少し意外な組み合わせだった。沙羅が康貴を見上げると、彼は柔和な笑みを浮かべた。
「うん、樽熟成、南フランスの赤ワイン。スパイシーなワインだから山椒とのペアリングは抜群。樽のスモーキーさと炭火焼きの焦げの風味も合うし、甘みのあるタレと果実の風味の相性もいい。ってレネが言ってた」
「うん、いつぞやそんなことを言ったかもしれない」
レネの笑い声が聞こえた。ちょうど、彼はパスタを鍋に投下したところだった。
ランチはわきあいあいと。その後は雑談やゲームをして遊び、そして夜。うな重がメインだが、まず出てきたのはうなぎときゅうりの酢の物、うざくとうなぎをだし巻きで巻いたう巻きである。
これを作ったのはなんと康貴だ。
出汁を取るところから始めて、沙羅はレネと康貴の手ぎわをまじまじと観察した。
「俺も料理はそこそこできるが、やっぱりヤスには及ばない」
「親父直伝だからね〜。親父、メインは和食。板前だったんだ」
康貴の父親がホテルのキッチンで働いていたとレネが言っていたのを沙羅は思い出していた。
ふたりともハイスペが過ぎる。
はじめはロゼスパークリングで乾杯。舌鼓を打つ。う巻きはだしが効いていて絶品だ。そして何より、どちらも見た目が美しい。
「今月も来月もハードですけど、美味しいもの食べたら頑張れそうですね。ヤスさんも展示会フル参加ですか?」
「うん、レネは講演会出るし俺もフルで参加する。その前に中国工場見にいくしまあハードだね」
レネはグラスのワインを飲み干して言った。
「中国工場、場合によっては閉鎖を考えている。日本できちんと物作りした方がいい。向こうから出荷されたものを受け入れ検査すると不良品が多過ぎるらしくてな。まずは尻を蹴飛ばしに行く」
「客先も海外の工場撤退してるところ、最近いっぱいありますね……」
どうやら子会社の中国工場の視察らしい。大型家電用部品の生産拠点だ。
「海外移設の案件って本当大変そうだよね……アフターサポートはヒガシさんのところも加工機の方も結構移設多くて出突っ張りって聞いたよ」
康貴はワインを器用に注いで沙羅に目を向けた。
「来週も移設ですよ。今回は何もなければいいなって思います」
「そうか、無理はするなよ」
レネの手が沙羅の肩に伸びて、労わるようにさすった。そのまま抱き寄せられて、目尻のあたりに唇が軽く触れる。
その一連の動作は流れるようで自然で、でも最後にキスをされて沙羅はびっくりしてレネを押し退けた。
「ちょっと人前で」
「大丈夫だ、ヤスは気にしない」
「うん、別に気にしない。ヒガシさん、もうちょっとベタベタしてあげなよ。どうせ普段だってそんな感じなんでしょ?」
「うっ……」
図星だった。ちらりとレネがこちらを見ながらワインでクールに喉を潤した。康貴はさらに言葉を重ねた。
「愛情表現がど下手くそだな〜。知ってんだよ、ヒガシさんがレネのこと大好きだってこと」
「沙羅は無理しなくていい、俺がくっつきに行くから。来週末は会えないからその分明日もうちで過ごそう」
レネは頬を寄せてきた。沙羅は人前なので、緊張でガチガチに硬直した。
康貴はそれを見て噴き出しながら沙羅のグラスにワインを注いだ。
最後の雫がグラスに飛び込む。一本目のボトルは早くも空だ。
「先は長いなぁレネ……」
「この慣れない感じが楽しいのも今だけだ。そろそろ赤開ける?」
「俺開けるよ。ソムリエナイフ借りる」
康貴はそう言って腰を上げると、慣れたようにキッチンの引き出しを開けた。レネは沙羅の耳のちゅっと唇を寄せたのちに言った。
「俺はうな重用意しよう」
うなぎと赤ワインは確かにとても相性がよかった。意外な組み合わせに沙羅は驚きを隠せずぺろりと平らげた。
食後、沙羅はリビングのソファでニュースを見ながらくつろいでいた。
ワインも二本空いて、いい感じに気持ちよく酔った沙羅の三十センチ隣くらいに康貴が座っていた。
沙羅が長野出張で買ってきたりんごを食べていたのだ。その時、不意に康貴が口を開いた。
「あ、そうだ、ヒガシさん……本社で俺が飲み物奢ったりしたから面倒な目に遭ったって……ごめん」
沙羅はフォークに刺さったりんごを取り落としそうになった。
どうして知っているのだと彼女は慌てた。レネに言った記憶もない。どこから伝わった情報なのだろうか。
「え! え! なんで知ってるんです!?」
「俺はほら、情報網が発達してるから……」
「俺と距離を取っていれば大丈夫だと思っていたが、ヤスも人気があるなんて少し予想外だ」
レネがキッチンからティーポットを持って戻ってきた。茶のおかわりを淹れていたのだ。
「本社なんてたまにしか行きませんし、気にしないでください」
「なら、俺がまた八王子に行けばいいんだな」
レネは茶をカップに注ぎ始めた。ルイボスティーである。
「レネは来なくてもいいです!」
「ヒガシさん、社長にとって現場の視察は大切な仕事だよ?」
「抜き打ちチェックに行こうか。楽しみだ」
全然片づいていない準備室や修理工房を見たら何か言うに違いない。沙羅は戦慄した。
(みんなにそれとなく片付けるように促さないと……)
三人の楽しい夜は更けてゆき、沙羅は名残惜しく康貴を見送った。




