第59話 森山とふたり、夜のオフィス
早くも、十月の初旬になっていた。
木曜の夜、長野県からの出張帰り。沙羅は中央道の事故で大渋滞に巻き込まれながらよろよろの状態で夜の八時過ぎに八王子工場の片隅のオフィスに戻った。
冷たいLEDのシーリングライトに照らされ、ひっそりと静まり返ったオフィス。
デスクには部長、森川しかいなかった。白髪まじりの男であるが、ダンディなおじさま、といった容貌である。
「ヒガシ、残念なお知らせだ」
森山が怪しげな笑みを浮かべた。沙羅は嫌な予感を察知し、血の気がサーッと引いていくのがわかった。
「……え、聞きたくないですぅ!」
ヨレヨレ状態でゲンナリしながらぶりっ子みたいな声を上げれば、彼は沙羅の発言をまるっと無視してこう言った。
「JIMTOFに出てもらうことになった」
「出る? 準備ではなく?」
「準備と、会期中の機械の番人をやれ。もちろん接客もだ」
「嘘ぉぉぉぉおおおお! 両方! まじですか!」
森山は重々しく頷いた。
両方。つまり、展示会場での機械設置などの準備。それから会期中は機会の様子を見ながらの来場者対応である。
「会期中はフルで」
「しかもフルですか!?」
JIMTOF。十一月の初旬に開催される、世界でも三本指に入る工作機械の見本市だ。恐ろしいことに、六日間ぶっ続けで土日も開催される。
毎年ではなく、二年に一度行われる展示会だ。この業界にとっては最高のビジネスのチャンスであり、ある意味お祭りのようなイベントだ。
「いや〜、SHの面々も来るみたいだし、うちの機械にロボットアーム搭載してフルで動かすし……もし会期中に止まったら復旧してくれ」
(そんな気がしてた……)
レネの言動的にそうなのではないかと沙羅も思っていた。きっと動員されるとは思っていた。
技術メンバーは予期せぬ不具合があった場合のため、一定数が営業に紛れ込んで展示会の会期中も接客するのが慣わしだ。
営業と違い、技術の人間は顧客獲得などのターゲットはない。だが、機械が順調に動いている間、ぶらぶら突っ立っているわけにもいかない。それ相応の接客をしなければならない。
ニコニコしながら機械の説明をせねばならないのか。沙羅はそういうキャラではなかった。
「あとな、ビッグサイトの八号館、フルでうちが貸し切るらしい」
「うちが? 丸ごと?」
「ああ、丸ごと」
八号館は一番小さいとはいえ、それを丸ごと貸し切るというのか。
経営陣、景気もそんなによくないのに、どうかしているのではないか。
「そんなに何を並べるんです?」
「うちのとこの測定、検査装置もろもろはもちろん、加工機もほぼ全てじゃないか? あと子会社も出てもらうらしいし……」
沙羅の部門、部品が設計通りにできているのかを調べる検査装置、それから半導体関連や医療関係の刃物、部品を削り出す装置など多種多様な加工装置を別部門で作っている。
「後は、今まで取り扱ってなかったSHのレーザー装置もだ。レーザーの検査装置は扱っていたが、レーザーの加工装置は使ってなかっただろ? あれ、社長がヒガシと一緒にドイツ行った時に契約してきたらしい。ダイヤモンドの微細加工機、飛行機で持ってくるらしい」
(レネ、ドイツでなんか言ってたな……確かに。今は言えないけど、契約を取り付けたって……)
「あとうちの幹部、来年CESってアメリカの展示会の視察に行くらしい。AIとかVRとか最新テクノロジーの集結する展示会だ。事業拡大する気だな」
「なるほど……今の時代、手広くやってないとどんな大企業だってコケるリスクありますもんね」
レネはおそらく、海外の提携会社とのコラボや共同開発を進めて積極的に事業拡大していくつもりなのだろう。
展示会をどでかく開催するのは、沙羅からすれば昭和的な思考だ。
出してもいいが、各ラインナップ一機種、もっと小規模でいい。もっと大型機はショールームにどうぞ。もしくはテストできますよと誘導すればいいのだ。
レネが発案したとはどうも思えなかった。
「ホテルはもう準備期間も含め取ってあるから安心しろ。歩いてすぐのところから通ってもらうことになった」
家から通うのはしんどいから、それはありがたい。だが、どれだけの予算を使うのだ……恐ろしいことこの上ない。
「はい……やりゃあいいんですね」
「そうだ。やりゃあいい。でもヒガシ、接客中はもうちょっと丁寧な言葉遣いを心がけろ? いいな?」
やなこったと言いそうになりながら、沙羅は久しぶりのスーツ、入るのだろうかと遠い目をした。
デスクの椅子を引いてどっかりと腰を下ろす。大股開きの田舎のヤンキーのような座り方である。
「りょーかいっす……」
「何かあった時のために、会期中は俺も行く。年寄りなだけあって、守備範囲は広いからな。一回くらい飯連れてってやるよ」
「やったー! あざーす!」
面倒だし、だるいが部長もいるのならなんとかなるだろう。沙羅は元気よく返事をしながら、バッグからノートPCを取り出した。
「客の前でそれはやめろよ? いいな? 安さんも送り込むから暇はしないだろう」
「はいはーい!」
「はいは一回だ!」
「はーい!」
JIMTOF。これ以上に恐ろしいイベントを沙羅は知らなかった。
二年に一度十一月初旬に開催され、なんとビッグサイトを全館使用する展示会だ。西と東の間をなんとシャトルバスが走る。
そのイベントで南方精密は毎度ブースを出しているが、此度はいつもの何倍かわからないほどの巨大なブースで参加予定らしい。
会期中は海外からの来場者が意味不明な質問をしてきたり、女性社員をナンパする田舎の中小企業のワンマン社長が出現したり、最新、初お披露目のプロトタイプの機械を毎日ぶっつづけで動かしてみたら予期せぬ不具合が生じ、まともに動かず原寸大の鋼鉄のオブジェと化したり、ネタに困ることのない妖怪大戦争である。
沙羅は入社一年目、新入社員の研修の時に一度フルで参加したことがあった。
猛烈に疲れた記憶しかない。
(八号館、うちで貸切か……いくら払ったんだ)
いくら金を注ぎ込んだのだろう。確かに、南方はここのところ金払いが渋かった。前より細々したものを買うのも厳しくなった。沙羅がドイツに行った海外出張以外でも、出張要員を削減したという話があった。なるほど頷ける。
年末にこんなに金を使うイベントが待ち受けていたとは。
「会期中は、アフターサポートからは他には誰を?」
「後は山川のお父さん。それから山内と南と長谷川とあと……忘れた。後でリストメールする」
山川。八王子勤務、再雇用の長老の一人である。他は皆沙羅の後輩だ。
「後は……拠点からはヒガシの知ってるところだと、大阪の小林。せっかくだから東京を体験するのもいいんじゃないかってな」
「ご家庭大丈夫ですかね?」
京丹後の作業で一緒だった小林だ。
彼は休日を挟んだ後の作業でも主体的に動いてくれた。今後期待できる男である。だが、家庭持ちの男だ。東京に出張なんて大丈夫だろうか。
「本人もたまにはいいと言っているし、一週間ちょっとだろ。問題ない問題ない。独身者に負担の皺寄せってのもおかしな話だしな」
まあ、いい気晴らしになるかもしれない。蓋を開ければ毎日立ちっぱなしの接客で地獄なのだが。
「明日は?」
「特にないです、片付けくらい」
「安さんが一緒に基盤修理しようって言ってたぞ」
「目が見えないって?」
安田は老眼で基盤がよく見えないのである。ここをこう直せと言ってきて、実際にはんだごてを握って沙羅が作業するのだ。
「わかりました、明日修理工房行きます」
「何かあったら呼ぶが、明日は遊んどけ」
「はーい」
明日はちまちま作業になりそうだ。五時まで働いて、その後は家に帰って荷物をまとめ、神田に移動。
週末は相変わらずレネの家に泊まるのが日課だ。
土曜は康貴も遊びに来る。楽しくなりそうだと沙羅の心は踊った。
「ヒガシ、そういや先週は大変だったなぁ」
「先週?」
「本社行ってただろ」
(あー! バグの件か!)
「なんか、間違えて正式リリース前のバージョンを突っ込んで出荷しちまったらしい。危ねぇ。客先じゃなくてよかった」
「本当ですよ〜! ま、私が気づいたんで結果オーライですね。残業代四時間分!」
PCの電源を入れる。色々と事務処理が残っている。出張中の領収書も提出しておきたい。
沙羅はシステムにログインしながら、本社のとんでもないお姉様方の愚痴を森山にぶつけた。
「バケモンがいるな……」
「はい……イケメンとは喋っちゃいけないんだと学びました……」
「よく魔窟から帰ったな」
「危うく食い殺されるところでした」
沙羅は笑い飛ばしながらホテルの領収書の写真を撮り、システムにアップロードする。
「ヒガシ、まだ結構仕事する?」
「はい。メールが営業から結構来てるのと、日報と領収書の処理と……部長帰るんなら私も帰りますが」
「いや、俺もまだ色々やることがあって……牛丼の配達頼もうかと思ってるんだけど、ヒガシも食う?」
森山は自席からスマートフォンを掲げた。
沙羅の目が歓喜に輝いた。奢ってもらえるらしい。
「いいんですか!?」
「他のみんなには言うなよ? 先週は負担かけたからな」
「やったー! ごちになります!」
沙羅は森山の席に飛んで行って、彼のスマホを覗き込み、牛丼のサラダセットに期間限定のシェイクをチョイス。森山は大盛りキムチ牛丼のサラダセット。
(やっぱ部長、最高だな……なんで独身なんだろ)
森山は還暦前、彼の年齢で独身なのは珍しいのではないか。気遣いも仕事もできるのに、なんでだろう。
女性が放っておかないのではないか。
不思議に思いながら沙羅は業務処理を進め、やがてやってきた配達を受け取りにオフィスの入り口に走った。




