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第57話 社長室、会長 Side Rene

 レネは、社長室で怒りを必死に抑えながらその男の話を聞いていた。


優希ゆうきは聞き分けのいい女だ。別に女は作ればいい、俺たちみたいなのは恋愛ってのは結婚した後に別の女とするものだ」

「中世の貴族じゃないんです。たかだか民間企業の創業者一族で何をおっしゃいます?」


 沙羅は残業が忙しいと言っていた。では、自分も仕事しながら待とう。レネが社長室でPCに向かっていると、やってきたのは会長である南方健二であった。


 彼は相変わらず、妻の親族の女性との見合いの話をしてきた。


 レネは健二に目を向けた。その視線は氷河の様な冷ややかな色をたたえている。

 健二は六十六歳の年齢の割に若々しく見える男だ。

 ガタイもよく、肌はうっすら日に焼けていて、眉も太い。顎もがっちりしていてレネとは対照的。背が高くてスーツもよく似合い、アメリカの血が入っているので彫りも深い。昔、さぞかしドイツでモテただろうというくらい、南の海が似合いそうな男だ。


 レネは今でも信じたくなかった。この男の血が自分にも流れているかと思うと反吐が出る。


(あんたがやってるのは恋愛じゃなくて女を落とすゲームだろ……)


「俺は旧東ドイツ、エアフルトのど田舎で育った一般人です。あなたみたいにそう簡単に割り切れないんですよ、時間をください。それに、一度彼女とは食事に行ったじゃないですか」


 まだ時間稼ぎをしなければならない。今康貴が必死でこの男を奈落に突き落とす材料を集めている。


「なあレネ、うちの嫁が納得しないんだ。とりあえずもう一回優希との食事の場をセッティングさせてほしい」

「帰化だってしました。南方姓にもなりました。後から後から条件を増やさないでください」


 ピシャリと言ったが、社長室の艶やかなダークブラウンのデスクの向こう側に立っている男は、頼むよと引かない。

 人を落ち着かせる深く艶のあるいい声だとは思う。静かに諭すように話す姿は、なるほど経営者として様になっているとも思う。

 いかんせん、話の内容はどうしようもないことであったが。


「なぜ結婚相手まで決められないとならないんです? 自分で探しますよ」

「お前、今彼女は?」

「いません」

「遊び相手は?」

「いませんね」


 健二は呆れたようにため息を吐くと、デスク脇のソファに腰を下ろした。

 こうなると、彼は長い。


(窓から捨ててやろうか?)


「セフレのひとりも? プレイ相手くらいいるだろ?」

「俺はそういう身体だけの関係ってのは好かないんです。プレイもパートナーとしたいですね」

「堅物だなぁ……本当に楽しいかそんなんで? どうしてるんだ? 抑制剤でも飲んでるのか?」


 レネは引き出しを引いて、錠剤の入った瓶をドンと机の上に置いた。D()o()m()()()()()である。


「で、アッチの方は? 右手とお友達か?」

「ハンドジョブで間に合ってます。セックスは面倒だ。わざわざホテルを予約して時間をかけて食事をしてその晩泊まって……時間もコストもかかりすぎます」


(いい加減疲れたな……)


 レネは性欲は自己処理で間に合ってると適当に答えた。


 ああ、そういえば沙羅とは高級なホテルで食事をしたこともなければ泊まったこともない。どこか行きたいなと頭の片隅で妄想する。

 都内もいいが、せっかくだ、出かけながら行きたい。奥日光のリッツカールトンなんてどうだろうか。関東なので東京からも近い。


(奥日光って、ヘリで行けるんだったか……行けたとしても確実に嫌がられるな)


 きっと沙羅のことだ。ヘリの構造を懇切丁寧に解説して拒否するだろう。


「まあいちいちホテルに泊まるのは面倒というのはわからなくもないが、ああいうのは女を口説いてホテルに連れ込むまでが楽しいんじゃないか……。ああ、話が逸れたな。頼む、もう一度だけ会ってやってくれ」

「食事だけならまあ考えますが、今少々忙しいんですよ。JIMTOF(ジムトフ)終わるまで勘弁してください。あなたの肝入りです。失敗したくはない」 


 レネは、自分は俳優にでもなれるのではないかとちらりと思いながらデスクの下でスマートフォンを操作。康貴に絵文字を一つだけ送る。つづいて、彼はわざとらしく時計を見た。


()()()、ご存知の通り、この時間はヨーロッパと連絡がつくようになるゴールデンタイムです。先ほどからメールがどんどん来ています。すみませんがお話があるのであればまた後で」


 レネは基本健二のことを職場で会長と呼んでいた。

 父さん、こう呼んでお願いすれば気分もよくなって帰るのでは、と彼は思ったのだ。虫唾が走るが仕方ない。


「金曜の夜くらい早めに帰ったらどうだ? たまには息抜きしないと爆発するぞ」

「息抜きは明日明後日にでも。ジムにでも行って運動してきます。最近身体がどうしようもないくらい鈍っているので」

「そうだ、お前、馬に乗るんだろ? 優希は乗馬ができる。一度どうだ?」


 予想外だ。帰る気配が一切ない。


(ヤス、まだか……)


 内容なしの絵文字だけのメッセージは今すぐ来てくれという合図だ。でも、今日の健二は康貴が来ただけでは簡単に帰りそうもない。どうやって追い返すかと考えていると、扉が叩かれた。

 よし来た! とレネは内心ガッツポーズを一つ。


「杉山です、失礼します」

「今レネは俺と取り込み中だ! 後にしろ」


 健二は足を組んで扉に向かって言い放った。


「会長もご一緒ですか? 渡りに船とはこのこと! 親子のお時間を邪魔して申し訳ないのですが、おふたりに急ぎお耳に入れたいことが……」

「ヤス、入れ!」


 後にしろと言われてそれで引く康貴ではないのだ。レネが援護射撃をするかのように声を上げた。


「おいレネ、俺はいいとは言ってないぞ……」

「ここは俺の部屋です。秘書を入れて何が悪いんです? しかも急ぎの用事があるなら尚更です。日本では鉄は熱いうちに打てと言うじゃないですか」


 康貴が社長室に飛び込んできた。


「会長、申し訳ありません、スーパー速報です! 譲治氏に御子息がお生まれに」


 譲治。健二が妻との間にもうけたどうしようもないどら息子である。未だに定職にもつかず、妻は家計を助けるためにスナックで働いていたと聞いていた。

 そんな妻が妊娠し働けなくなり、資金繰りに苦しんで実家に金の無心に来たと健二は昨日の食事中も散々レネに愚痴っていた。

 ああ、とうとう生まれたか、しかも息子か。


(なるほど、息子か……)


「知らん。もうあんなのは息子ではない。この前だって金の無心をしてきて……俺の息子はレネだけだ」


(誰がお前の息子だ!)


 腕を組んで鼻を鳴らした健二に対し、レネはデスクの下で拳を握り、今すぐ立ち上がって怒鳴り散らしそうになるのを必死で堪えていた。


「奥方が引き取り、後継に、と画策しませんか? 御息女ならばそうはならなかったでしょうが、御子息です……奥方は社長が後継者になることに未だに完全に納得されてはおりますまい」


 康貴が神妙な顔で告げると、健二は一瞬固まった。


「確かに……ありうるな」

「ご自分の孫を後継にと考えるのは、ごく普通の感情かと。まだ生まれたばかりではございますが……」

「わかった。うちの人間に様子を探らせる。週末は俺も泰子の様子を確認する。そういえば、子供ができたとは聞いていたが、俺も性別は聞いていなかったな……」


 泰子とは健二の妻である。まずはメイドに泰子の様子をヒアリング、週末は健二が自分で確認するのだろう。

 この頃には、もう一押しで健二は帰りそうだとレネは確信していた。


「金の無心だけならばいいですが、南方精密を、となると……自分はまだまだ半人前ですが、これからも任せていただけるように精進しますので」


 レネは眉根を寄せて猫かぶって言ってみた。


「そんな心配そうな顔をするな。お前を俺たちの養子にと言った時もあいつはノーと言って未だに首を振らないが、勝手はさせない。杉山、情報感謝する」

「いえ、会長と社長のためならなんでも。僕はツテが多いのが売りですからね。医者も弁護士も、官僚もなんでもござれですよ」


 康貴がにこりと微笑んだ。

 健二は康貴に笑みを返すように口元を上げると腰を上げた。


「友人を秘書にとレネが言ったときはどうなんだと思ったが……いい友達を持ったな。大切にしろ……」

「もちろんです、公私ともに大切な男です」

「では俺は早めに帰るか……Schönes(シューネス) Wochenende(ヴォッヘンエンデ)!」

「Gleichfallsグライヒファルス!」


 良い週末を。そう言った男の背中にレネはこう投げた。あなたも、という決まり文句である。


 康貴が健二の先回りをし、扉を開ける。


「会長、お疲れ様でございます。良い週末を」

「ああ、ご苦労。これからもレネを頼む」


 ヤスの肩を二、三度叩いて、健二は去っていった。

 一瞬の静寂。レネはゆっくり立ち上がって康貴に駆け寄るとまずは小声で「イェーイ」とグータッチ、つづいてグータッチした右手を解いて手を握り合い、それから左腕を回して渾身の力で抱き締めた。

 康貴が耳元で「イテェよ」と言ったがレネは無視した。


「ヤス! 天才か兄弟!」

「よかった間に合った……いっやーヒヤヒヤした。レネがまたブチ切れるかと思った〜」

「本社では流石に喧嘩しない……ああ、肩触られてたな、俺がアルコールスプレーしてやろう。除菌だ!」


 レネはデスクに舞い戻り、引き出しに手をかけた。


「やめてー! ジャケットダメになるっ!」

「冗談だ、塩を撒こう」


 彼は元からアルコールスプレーを出そうとしたのではなく、塩を取りに行ったのだ。普通に食事で使う塩だ。

 蓋を開け、手に少々とってそれをその辺にぶちまける。


「穢れ退散!」

「日本特有の穢れが理解できるの、かなりレベル高けぇよ……」


 レネは笑いを漏らしながらデスクに戻って塩を引き出しにしまい、自分の椅子に深く腰かけた。

 デスクの上を見て、抑制剤の瓶も出したままだと思い出した。それを片手に小さく振った。じゃらじゃらと音が鳴って、レネは思い出し笑いが止まらない。


「この前ヤスが置いて行ったこれが役に立った」

「役に立った? まだあいつ、レネのことDomだと思ってるの? ウケるな〜」

「笑いが止まらない……傑作だ。ところで、ボンクラ息子に子供が生まれたってのはいつ仕入れた情報だ?」

「三日前だよ。いつ披露しようかってちょっと考えてた。例のスナックの従業員から聞き出した」


 譲治の妻、詩織の勤め先で、そこ従業員であり友人である女性と康貴は個人的に付かず離れずの距離を保って情報を聞き出している。他にも彼はプライベートの時間を犠牲にしてあくせく走り回ってくれていた。


「無理はするなよ」

「大丈夫、無理しない。この前ホテル誘われたけどガン拒否したし! じゃ、あとの仕事は俺が片付けとくからさ、もう帰りなよ。ヒガシさん待ってるよ」

「ああ、それがな……」


 レネは康貴に説明した。仕事が立て込んで、沙羅はショールームで缶詰なのである。


「ヒガシさん、大丈夫? あの子働きすぎだよ」

「俺も同感だ」


 レネは沙羅にメッセージを送った。一瞬で返事は来たが、どうやらまだまだかかりそうだ。


(せめて夕飯を差し入れよう)


 腹をすかせたまま仕事をするのは身体によくない。


「ヤス、昨日の昼は沙羅と何食べた?」

「ヴィロンのサンドと、レネの冷蔵庫の梨とぶどう持ってった」


 レネはよく社内でおやつに果物を食べるので、冷蔵庫に色々と果物が冷えているのだ。

 なるほど、昨日はブラッスリー・ヴィロンのバゲットサンドらしい。今日のランチはわからないが何か作業しながら食べられるものがいいだろう。


 スマートフォンが鳴った。見れば沙羅からの連絡で『先に帰ってご飯食べててください』とあったがそれを黙って聞くレネではなかった。『夕飯を差し入れよう、何か作業しながら食べやすいものを持って行く』と返事をする。


「何か買ってきて一緒に食べれば? ショールームだろ? 作業中の札下げておけば誰も入ってこないし、ショールームって鍵かけられるじゃん。あと、俺、カメラのデータすり替えるよ?」

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