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第56話 機械搬入、バグ発見

 翌日金曜、本社ショールームにトラックがやってきた。

 機械の搬入である。沙羅はヘルメットをかぶっていつも通り慣れたように受け入れた。

 運ばれてきた機械を重量業者と一緒に設置し、沙羅は固定を解除しケーブルを繋ぎ、テキパキと立ち上げる。


「水平設置OKだし、ソフトウェア起動したし、う〜ん! OK!」


 ショールームは来客も社員もいなかった。聴こえるのは、静かなエアコンの音や低音で静かに響く機械のファンの音くらい。とりあえず、もういい時間なので昼食にしようと沙羅は立ち上がった。


 覗きに来そうなレネと康貴は雑誌のインタビューと撮影があるとかで昼過ぎまで身動きが取れないらしい。大手業界誌なので、先方も幹部が来ているようだ。昼食はお誘いの声がかかっているとのこと、沙羅は完全にひとりだった。


 たまにはいいだろうと近くのビルでちょっとお高めのランチセットを堪能した沙羅は、まっすぐショールームに戻って機械の前に陣取った。


 あとは移設に伴うダメージがないか、実際動かして精度の確認をすれば問題ない。

 沙羅はソフトウェアのバージョンを確認した。見たことのない数字だ。最新版である。


(最新入れたのか。動作確認、ちゃんとやったのかな……)


 ソフトウェア開発は大阪の拠点で行っている。これは正式リリースと聞いた記憶がない。一抹の不安を感じた。

 そして確か、この機械は来週来客があって見せる予定があると聞いた記憶があった。沙羅の中で何か引っかかるものがあったが、そんなことはどうでもいい。輸送して運んでいるし、まずは調整して、精度確認だ。さっさと終わらせてしまおうと機械に向かう。


 沙羅は教科書にあるように手順通りに確認をした。

 問題ない、ばっちりである。


(精度も抜群、問題なし! よし!)

 

 時間は十五時前。

 一度休憩でもしよう。そう思った沙羅は南方の作業服姿のまま、外の空気でも吸おうと屋上に向かった。


 屋上には植栽が所狭しと並べられ、片隅には喫煙所、それからテーブルや椅子なども並べられている。

 テーブル席には女性社員が何人かいた。オフィスカジュアルを着た、いかにも丸の内OLっぽい集団。休憩中なのだろう。


 彼女たちに近寄る勇気がなくて、沙羅は植栽の影の手すりの方に寄って大都会東京を見下ろした。

 景色がいい。スカイツリーや東京タワーも抜けるような秋の空に向かって聳え立っており、空には飛行機が見えた。風も気持ちがいい。


「ヒガシさーん! お疲れ〜!」


 遠くからよく知る声が耳に飛び込んできた。

 喫煙所の方に目を向ければ、こちらに歩いてくる康貴が手を振っていた。隣には飲み物片手のレネもいた。

 おそらく、タバコを吸いにきた康貴と喫煙ルームにいたのだろう。たまに喫煙所で外を眺めながら無駄話をすると彼は言っていた。


「お疲れ様です!」

「東新川、久しぶりだ。元気か?」


 レネが白々しく言った。

 面白すぎる。昨晩一緒のベッドに寝て、今朝は起こしてくれた上に熱々なホットサンドとカフェオレという朝ごはんまで用意してくれたできすぎる彼氏のレネ。

 そんな彼が、社長の顔をして久しぶりとか言っている。沙羅は笑いを必死でこらえた。


 レネはインタビューと雑誌の撮影だったからか、つやつやの光沢が艶やかなスーツを着ていた。シンプルなラペルピンがジャケットの襟を飾り、胸ポケットにはポケットチーフ。きっちり締めたネクタイにはダイヤか何かの小さな石がきらきらと輝きをこぼすネクタイピン。

 風に乗ってかすかに香るのは、ウッディで少しスパイシーな嫌味のない香水。


(やっばい……眩しい)


 堪えきれず、沙羅の口元が少し歪んでいたのはきっとふたりに気づかれていただろう。


「はい、おかげさまで!」

「今日はどうした? 本社にいるなんて珍しいな」


(知ってるくせに……!)


 謎の茶番劇が始まり、沙羅は頭をフル回転させて応じる。


「ショールームの機械搬入と立ち上げです!」

「そうか、ご苦労。少しここで休憩でもして行ってくれ。ではな」


 沙羅がぺこりと頭を下げる。康貴がレネに声をかけた。


「社長、先に戻っていてください。彼女と少し話してから追いかけます」

「わかった。社長室にいる」


 レネはこちらに流し目をひとつくれてから室内に戻っていった。

 朝は先に出たので、沙羅は今日の姿を知らなかったのである。破壊的だ。悩殺的とも言ってもいい。

 沙羅は一瞬ぼうっと惚けた。


「ヒガシさん、なんか飲まない?」

「やったー! ご馳走様です!」


 康貴は自販機のアイスティーを奢ってくれた。彼はコーヒーを飲みながらネクタイを緩めた。


「いや〜客と昼飯だったから実質昼休みゼロ。やっと解放されてタバコ吸ってくるって言ったら、社長も俺も外の空気吸うってくっついてきた」

「結果的に副流煙吸わせたんですね。社長に」


 そう言うと彼は「そうそう」と言って腹の底から笑い、空に目を向けた。


「それにしてもいい天気、秋晴れだなぁ。今日は結構涼しいし。もう秋だね」

「そうですね。気持ちいい空気ですね」  

「三人で行ったドイツ思い出すよ……じゃあ、俺戻るわ。また飯でも行こう!」

「はい、ぜひ!」


 室内に戻っていく康貴を見送って、では自分も戻るかとハイテーブルに置いてあったアイスティーを手に取った。

 その時、ドン、と衝撃があった。茶が左腕にかかり、作業服のグレーが一段階濃い色に染まる。


 「キャ!」 と、小さな悲鳴。しまったと振り返ると、女性が一人沙羅の視界にいた。綺麗なオフィスカジュアルに身を包んだ先ほどの集団の一人である。

 沙羅は自分のことは放っておいて慌てて声をかけた。


「大丈夫ですか? かかってません?」

「作業服にぶつかっちゃったー! 汚れたらどうしよう」


(おい……)


 この女、わざとかよと沙羅は内心毒づいた。でも、あんたがぶつかってきたんだろうとは流石に言えない。

 その女性社員とはまた別の綺麗な茶髪に染めたセミロングの女性が意地悪く言った。


「工場の人? いつまでも康貴さんボーッと眺めてるから。邪魔。気をつけなさいよ!」

「すみません……」

「そんな注意力散漫で作業なんてできるの?」

「申し訳ないです……」


 揉め事は起こしたくなかった。沙羅は心にも思ってなかったが、謝ることにした。それでことが収まればいい。

 沙羅は冷や汗をかきながら早く終われと願わずにはいられなかった。盲点だった。康貴がそんなに人気があるなんて。


(杉山さん、人気なのか……。しまった、レネだけじゃないのか……)


 言われてみれば、彼はなかなか男前である。沙羅は康貴を異性として認識したことがなかったが、彼はハーフで自然な茶髪に同じく明るい茶色の瞳。背が高くて彫りの深くて整った顔立ち。

 喋りも面白いし気遣いも完璧。ガタイのいい身体つきはスーツを着せるとまた映える。


 すっかりさっぱり忘れていた、康貴も人気なのだろう。


「工場の人って本当動きががさつよね〜」

「すみません……」


 沙羅はもう一度謝ると、逃げるように屋上を去った。


「あー、えらい目にあった……」


 準備室の扉を後ろ手に閉めながらため息を吐く。怖い。恐ろしい。

 ここは魔窟だ。


 沙羅は女子校出身。男子のいない中、田舎でわきあいあいと女性だらけの中で育ち、その後女性のほとんどいない大学時代、そして仕事もおじさん筆頭に男性だらけ、数少ない女性事務員は歳の離れた女性が多く、皆にかわいがられてきた。


 沙羅はよく知らないのだ。若い男女が揃ったオフィスという弱肉強食の競争社会を。


 康貴は盲点であった。レネから距離を取っていればどうとでもなると思っていた沙羅は、思わぬ男の人気っぷりに度肝を抜かれた。

 いやしかし、こんなドラマみたいな展開があるのか。とんでもない。


(八王子に戻ったら安田さんたちに本社のお姉様の恐ろしさを教えてあげよう……)


 沙羅は作業服の上着を脱ぐと、濡れてグレーの色が濃くなった部分をエアブローガンで吹いてみた。無糖の紅茶だ、ちょっとベルガモットが芳しいかもしれないが乾かせば問題ないはずだ。


 エアブローは本来、部品や機械の埃やゴミを飛ばすものである。完璧に使い方は違うが、何もしないよりマシなのではないかと思ったのだ。


「仕事するか……」


 時計を見ればまだ十五時半。出先なので別に早めに上がっても上司たちは誰も文句は言わないだろうが。最新バージョンの動作確認だけはしようと思った沙羅であった。


 もうメカをいじるターンは終わっている。機械制御のPCと戦う時間だ。

 別に頑丈な上着はなくてもいいだろうととりあえず上半身ブラウス姿のままで仕事に取りかかった。 

 そして一時間後に彼女はPC前で頭を抱えていた。


「ダメダメだ……」


 バグだらけである。

 動作確認もせずに最新ソフトウェアを突っ込んだらしい。おそらく、動作確認前の最新版を間違えて出荷担当が入れたのだろう。


「まじかよ……何やってんだよ……下げるか」


 こうなったらバージョンダウンさせなければ動かない。

 沙羅は急ぎ上司に連絡、許可をもらったが、ソフトウェアをバージョンダウンさせるだけでなく、色々PC側の設定も必要かもしれないと言われて頭が爆発しそうになった。


 ソフトウェアの部隊にもフィードバックしなくてはならない。とりあえず、沙羅は本社のデモ機を統括する部隊、アプリケーション部門の課長を捕まえて事情を説明、来週の客は超大手の重工だから完璧なバージョンを入れてくれと懇願された。


「もう五時だ……」


 沙羅はレネに連絡した。『残業が確定しました』と。

 彼女はいい加減乾いた作業着に袖を通し、気合いを入れた。

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