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凄腕メカニックにも社長の恋の病は治せない  作者: 矢古宇由佳
第二部

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第53話 本社出勤、Domの先輩

 九月も最終週。その日、沙羅は自分の配属の八王子工場ではなく、珍しく丸の内本社に出勤していた。

 彼女にとって、それはかなり不本意な理由だった。


 新卒向けの採用情報特設サイトの動画と先輩社員紹介になぜか沙羅が出演候補として選ばれたらしい。やめてほしいと思ったが、部長にも課長にも係長にも頼むと言われてしまった。


 ひと月ほど前の八王子工場のオフィスにて、絶対に出たくない沙羅と森山の攻防が繰り広げられていた。


「いやです。こんな田舎のちんちくりん出してどうするんですか? もっと美人とかイケメンとかがいますってば。うちの汚点になりますよ」


 森山が自席から声を上げた。


「ヒガシがブスなわけないだろ! あー、セクハラになるからあんまり言えないというか普段は言わないけど、お前は美人だって! 仕事もできる! これでデスクが綺麗なら完璧!」


 最後のデスクは余計である。実際、顧客の名刺や資料の散らばったしっちゃかめっちゃかなデスクではあるが。


「デスクはともかく、この顔面のどこがですか? 部長、おだてても無駄です。目ぇ見えてますか? 老眼悪化してません? 眼科行ったらどうです?」

「老眼は近くが見えないんだ! この距離の人の顔は見える! ヒガシ、口が悪すぎるぞ! これくらいでカッカするな! 短気なところを直せ! いや、悪い、そんなことどうでもいいんだ今は! 本社行ってくれたのむ!」

「私はどうせ短気ですよ〜」


 森山は引かなかった。彼は近くのデスクの安田に助けを求めた。


「安さんもなんとか言ってくださいよ、こっちも総務から頼まれてて」

「ヒガ! いいからモデルになってこい!」


 恩人ふたりに言われても、沙羅はなかなか折れなかった。今まで仕事を拒否したことはないが、これはまた別だ。

 自分の顔が、動いている姿が、世界公開されてしまう。


(無理……)


「安田さん……こんなのが出るよりCMに社長でも出しといた方が人来ますって」


 沙羅は呆れたように言った。


(そうだよ、レネがCM出ればいいじゃん……)


 南方精密は最近テレビCMをバンバン打っていた。話によると、地下鉄のモニターにも流れているらしい。

 景気も良くないのに会長は何を考えているんだ、と先日レネがテレビCMを見ながら愚痴っていた。

 う〜ん、と唸った安田は組んでいた腕を解いて眉間を揉んだ。


「社長か……それは確かにそうだな!」

「安さん納得しないでくださいよ!」


 森山が間髪入れずに突っ込んだのちに沙羅に顔を向けた。


「あんな顔面国宝みたいな社長がCM出たら、顔面目当てのアホ女がいっぱい集まってくるだろう!」

「あー……それは一理ありますね……」


(夜の自販機に集まる虫みたいにいっぱい寄ってくるだろうな。それはそう)


 レネは近頃、経済誌や新聞にちょろちょろ出たり、テレビにもちらりと出ることもあった。その度にSNSやネットニュースは大騒ぎになった。

 まあ、控えめに言ってモデル並みの容姿である。仕方ない。


 沙羅も朝起きてあの顔が隣にあると、何かの間違いでは、と未だに飛び上がりそうになるのだ。


「ヒガシ! じゃあ頼んだぞ。その日は仕事振らないでおく!」

「わかりました……」


 そうしてついには折れ、今日に至る。完全に不本意な本社出勤だ。午前中はインタビューと写真撮影だった。昼休みまでは後一時間。

 本社での居場所もない沙羅はショールームの脇の準備室にとぼとぼ入る。 


「やることないな……」


 沙羅は頬杖をつきながらPCに向かったがメールも何もない。昼食はレネと康貴の三人で行く予定だった。

 リスクがあるから、本社では接触しない方が絶対にいい。沙羅はそう思ってやめようと提案したのだが、レネが「会いたい。ランチに行こう」と言って聞かなかった。

 康貴もいるので三人だと彼は言いたいのであろう。それでも彼女は心配だった。


 なぜ男という生き物は、リスクのある行動をしたがるのだろう。

 まあ、宝くじだって外れることを考えて買わずにいたらいつまでも当たることはないので、時には思い切ったことも必要かもしれないが、本社で接触するのはあまりにもリスクが高すぎる。


(バレたらやばいでしょ……)


「後一時間か……」


 その時だ、デスクの上のスマートフォンが震えた。なんだろうと見てみると、連絡はレネから。

 

『悪い、会長に昼に誘われてしまった。ヤスと二人でランチにでも行ってくれ』


「よし!」


 沙羅はガッツポーズをした。

 別に康貴とふたりが嬉しいのではない。断じてそれは違う。これで大幅にリスクを下げることができる。

 なんで毎週末会っているのに、本社で一緒にランチに行きたがるのだ。沙羅にとって、レネは何を考えているのかたまにわからない男であった。


 よしよしと頷いたその時、準備室の扉が叩かれた。


「どうぞ〜!」


 扉を開けたのは康貴だった。


「あ、杉山さん! お疲れ様です!」

「お疲れ、ヒガシさん。かくして、社長は会長にドナドナされて行きましたとさ……レネ、かわいそ」


 康貴は小さなお盆にコーヒーカップを二つ並べていた。他にも紙袋を下げている。


「これ、社長室のレネの私物のカフェマシンで淹れたやつだから美味いよ。飲んで」

「ありがとうございます!」

「今時間ある? 仕事は?」

「暇してます! 杉山さんは?」

「俺もレネ持ってかれちゃったし暇してる!」


 その声に二人して笑った。康貴は椅子を引いてどっかりと腰を下ろした。

 身長はレネとあまり変わらないが、レネに比べると少々身体に厚みがあってガタイがいい。でも別に太っているわけではなく、彼は彼で別方向のイケメンだ。


「いや〜でも、今回は三人で飯行かなくて正解だったと思うわ。会長に感謝だ」

「ですよね? 杉山さんもそう思いますよね? レネ、たまに何考えてるのかわからないんですよね……」


 康貴は足を組んでコーヒーに手を伸ばした。 


「多分何も考えてないよ。ヒガシさんに会いたかっただけ」

「え、本気で言ってます?」


 彼はコーヒーを口にしていたので、こちらにウインクを一つ飛ばした。


(こ、こんなタイミングでするんだ……)


 レネの「ウインクに特に意味はない」と言った意味がようやっと理解できてきた沙羅である。自分は理不尽にキレ散らかしたのだ。ああ、今からでも土下座したいと目を伏せた。

 自分は彼の個性を、生まれ育った背景を一つ殺してしまったのかもしれない。


「レネは多分本気でヒガシさんに会いたかっただけ。特に何も考えてない」

「……そうなんですね」


 沙羅は失意に飲まれながらコーヒーに手を伸ばした。「いただきます」と口をつける。 


「相当愛されてるって自覚した方がいいよ。俺は重い男なのかもしれないってこの前酒飲みながら嘆いてた……」

「ええええ!」

「あ、でもヒガシさんのこと話すのなんてそのくらいだよ! 他には……この前の天橋立は楽しかったって言ってた。早くまた旅行に行きたいって。それ以上は聞いてない! レネはヒガシさんのプライベートなことは話さないから安心して!」


 彼はあの時のことを楽しかったと言ったのだ。信じられない。


「楽しかったって言ってました? 本当に?」

「うん、天橋立見に行って、温泉入って、部屋で一緒に寿司とか食べたって……部屋で買ってきたもの食べたのがすっごい楽しかったって。あいつ俺とバックパッカーしてたからそういう質素なのも好きなんだと思うよ?」


 康貴はDomだ。それにレネと仲がいいしドイツのことも自分よりよくわかっている。


(杉山さんなら相談に乗ってくれそうだ……)


 沙羅は恐る恐る切り出した。


「……私、実はあの日レネを……Subドロップさせちゃったんです」

「え……ヒガシさんが?」


 彼は驚愕に目を見開いていた。沙羅は目を伏せて頷いた。

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