第51話 レネの運転、道の駅
「本当に大丈夫ですか?」
「大丈夫だ、それより腹が減った。朝六時前に軽く食べたきりだ」
ふたりはレネの運転する車の中にいた。
あれからレネは変な汗をかいたからとシャワーを浴びてすぐに戻ってきた。宣言通り十分で戻ってきた彼に沙羅は思わず「軍隊じゃないんだからそんなに急がなくても……」と焦りながら言った。
レネはパンツ一枚で飄々と返した。「俺は徴兵行ってないからよくわからんな」と。エアフルトで会ったレネの友人、トビアスは経験があるらしい。昔の話ではない、十数年前に停止になったと。
沙羅は驚いた。現代、先進国で徴兵があるのかと。同世代が経験しているのかと。
レネはパンツ一丁、髪もびしょ濡れのまま静かに語った。
「あいつ、訓練中に隣の奴が銃暴発させて、それから片耳がずっとよろしくない……たまに耳鳴り止まらないって言ってる」
「そんな……」
「大陸ってのは、陸続きってのはそういうことだ。ドイツもまた徴兵制復活の話もある……日本人は自衛隊にもっと感謝した方がいい。彼らは災害救助のプロフェッショナルでもあるしな」
(軍隊とか簡単に言っちゃいけないんだな……)
その後、レネは沙羅が髪を乾かしてやったらとても嬉しそうにしていた。
それから彼は「道の駅に行こう」と言って、今や楽しそうにハンドルを握っていた。
倒れかけたと言っても過言ではないのに、本当に大丈夫なのだろうか。そう心配する沙羅の口数があまりにも少なかったからだろうか、レネが呆れたように言った。
「沙羅」
「はい」
「もう気にするな。俺は元気だ」
信号待ちの最中に、彼は沙羅の二の腕を指の背で撫でた。
「はい……」
「何がそんなに気になるんだ?」
「私ってばあんなに怒ってレネに酷いことをして負担をかけて……こんなDom、普通だったらパートナー解消されたっておかしくないのに」
「それはないな。こんなに相性のいいDomを手放す? 絶対に嫌だ。君が別れを切り出すなんてことがあれば、俺はみっともなく縋るだろうな。考え直してほしいって」
彼の黒いシャツの胸元で揺れるプラチナがきらめいた。信号は青になり、レネはゆっくりとアクセルを踏み込んだ。
「そんな……」
「君以外にこんなことしないだろうな。俺は基本的に去るもの追わずのスタンスだったんだが……半年前の俺に今社内の女性とつき合っていてこんなふうに駄目になってるなんて言ったら、全く信じないだろうな。面白そうだ」
彼はそう言って、小さく笑っている。
沙羅が黙っていると、レネはこう切り出した。
「君の怒るところが見れてなかなかよかった。普段から君は俺に遠慮しすぎだったから。あと、なんだろう? とてもDomらしいなと思った。悪くない。嫉妬したっていうのも俺からすれば悪くない」
「……何が悪くないですか。優しすぎます」
「君限定だ。いいか? 俺たちはパートナーになったばかりだ。あんなことの一度や二度、誰でもあるだろう。俺もセーフワードを使えなかったし、お互いの限界を知るにはいい」
沙羅はそう簡単に割り切れなかった。彼に申し訳なさすぎた。
「レネは大人ですね」
「俺か? 大人のふりをするのが上手くなっただけのただのクソガキだよ」
そんなわけあるかいと沙羅が心の中でため息を吐いていると、目の前に道の駅の看板が見えてきた。
(あ、あれか……)
彼は駐車場に入り、さてどこに停めるかとあたりを見回した。
「遠めでもいいか? このBMW車幅が大きすぎて感覚がまだ掴めない」
「どこでもいいですよ、停めやすいところで」
確かに、車内はかなりゆったりしている。彼は文句を言いながらもバックでするりと停めて見せた。
「なんでこんな高級車なんです?」
「電話で聞いたときはコンパクトカーよりワンサイズ大きめの国産普通車だった。一般的な五人乗りだな。どうも、向こうの手配ミスらしい。あ、ドイツがルーツの方なら大丈夫ですかね? とか言われて思わず……」
「思わず?」
レネは苦笑しながら肩をすくめた。
「メルセデスとフォルクスワーゲンなら経験があるが、BMWは初めてだと言った。母はあの通りで日本車好きだし」
「あー、日本車でしたね」
沙羅はアナの真っ赤なSUVを思い出した。
「まあ、普段乗らない車だから面白いと言えば面白い。シートも座りやすいしな。日本の小型車は少し窮屈だから」
「その身長と肩幅だとちょっと狭いですよね」
レネは細身ながら肩幅も広いし背も高い。そういえば、彼の身長を聞いたことがなかった。百八十くらいはありそうだなと見上げた。
「身長いくつなんです?」
「百八十二センチ」
「……改めて聞くと大きいですね」
「別に普通だ。ドイツ人男性の平均身長と変わらない。いや、平均より少し小さいかもな。俺はいたって普通サイズだ。トビアスは百九十ある」
(でっか!)
沙羅は記憶を辿った。
確かに、皆身長が大きかったかもしれない。トビアスは特に。アナも百七十くらいはありそうだった。
「私、小人ですね。百六十ですから」
「沙羅も日本人としたら普通サイズだろ。涼しくなったらヒールのあるブーツ買いに行こう。目線が近くなる」
「ブーツですか?」
「ついでにコートもプレゼントしよう。何がいいだろうな」
遠慮せずに大人しくプレゼントしてもらったほうがいいかもしれない。彼がそれを望んでいる。
彼の言う通りで、自分は遠慮しすぎなのかもしれないと沙羅は思った。
「ここで正解だったな」
道の駅に足を踏み入れた彼はとても楽しそうだった。
道の駅というのは運営会社によって千差万別。各地を回る沙羅はよく知っていた。
そんな沙羅でも一目見て思った。ここは、なかなか商売がうまそうだ、と。
(レネ、楽しそうだ……魚好きだもんな)
沙羅は心に未だ引っかかるものを感じながらも彼と市場を見て回り、その後に食堂へ。併設された食堂は少し並んだが美味しい定食を食べることができた。焼き物も刺身も満足できた。さすが舞鶴港が近くにある道の駅。
「夕飯、ここで寿司とか刺身とか買っていくの、どうだろう?」
「いいですね!」
ホテルで夕飯はつけていない。外で食べるのもいいが、また出るのは面倒だ。それに彼にはゆっくり温泉に入って部屋でのんびりして欲しかった。
冬ではないので名物のカニやブリはないが、それでも普段見ない魚がいっぱいあった。
「アマダイ、今が旬。シロイカもいいな、のどぐろも」
「寿司屋に行きまくってる人は違いますね……」
「新幹線の中で今の旬はなんだってヤスの親父さんに聞いた。間違いない」
彼は種明かしをした。「流石に旬の魚なんて全部把握していない」と笑っている。他にもセコガニや寿司、それからビールやインスタントの味噌汁を調達、一度ホテルに戻る。
(レネが庶民派でよかった……)
「こういう旅行、楽しいな。夕飯が楽しみだ。……さて、天橋立を見に行こう!」
レネは満面の笑みで沙羅の手を取った。




