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02-5.神宮寺春代の選択

「紅蓮!」


 春代は紅蓮の名を出せる限りの大声で叫んだ。


 名を呼べば紅蓮は春代の姿を認識できたようだ。なにやら指示をしながら、紅蓮は結界にむかって全力で殴る。


 紅色の火花が飛ぶ。


 それは蓮の花のようにも見えた。


 二度目の殴りを喰らい、結界に亀裂が入った。


 ……綺麗。


 花火のようだった。


 苛烈で綺麗な姿は紅蓮によく似合う。


「春代!」


 紅蓮の声が聞こえた。


 亀裂の入った結界は脆く、瞬く間に光の粒となり消えていく。


「迎えに来たぞ!」


 紅蓮はなにも変わらない。


 迷うことなく、春代の下には降りてきて、抱き上げる。


「きゃっ!」


 春代は抱き上げられて悲鳴をあげる。


 誰かに抱きしめられるのは十年ぶりだった。


「かわいらしいな。だが、痩せ過ぎだ。俺の嫁になるんだから、腹いっぱいに食わしてやるからな!」


「女は痩せているくらいがちょうどいいのです。……紅蓮、約束を守ってくださってありがとうございます」


 春代は体重に関しては恥ずかしそうな顔をしたが、すぐに切り替える。


「は? なに言ってんだよ。当然だろ?」


 紅蓮は春代を抱き上げた姿勢なまま、礼を言われたことに対して妙な感情を抱いていた。


 本来、礼を言われる立場ではない。


 紅蓮は種族の壁を無視して、一目惚れをした春代を手に入れる為に強制的に嫁にしたのだ。

 恨まれていても、一族の為にと生贄のように従順な態度をとられてもおかしくはない。


 それなのに春代は礼を告げた。


 それは十年前に交わした約束を心の支えに生きてきたと口にしたのも同然だった。


「十年待ってやったわりには大切な思い出はできなかったみたいだけどなぁ」


 紅蓮は視線を対峙する春代の母に向ける。


 母の手には薙刀があった。容赦なく矛先を紅蓮に向ける。


「神宮寺家の家長の妻、神宮寺キヨ、この身を賭してでも娘を守り抜く所存でありますわ」


 美世の母、神宮寺キヨは覚悟を決めた。


 結界術や催眠術を使い、美世の居場所を隠せないのならば、鬼を討伐するしかない。


 その過激な思考はすべて最愛の娘である春代を取り戻す為なのだと、春代にもキヨの強い意志が伝わった。


 しかし、なにもかもが遅かった。


 春代の心は両親にはない。既に諦めてしまった心が情を宿すことはなかった。


「お母様」


 春代は両親の元には戻らない。


 両親の愛を失ったのだと諦めるよりも前に母の本音を聞けたのならば、気持ちは揺らいだかもしれないが、春代はいまさら家族から愛情を向けられても信じられなかった。


「お母様が紅蓮と争うのならば、私は紅蓮の妻としてお母様と争わなければなりません」


 春代は淡々と言葉を返す。


 心は痛む。しかし、立場を選んではいられなかった。


「春代! そこまで俺を大事に思ってくれるのか! さすが、俺が一目惚れした嫁だな!」


「当然でしょう。私は紅蓮のお嫁さんなのですから」


 春代の言葉に紅蓮は感動していた。


 一方的な嫁宣言はあやかしではよくあることだが、人では非常識なことであると、この十年で紅蓮は学んでいた。


「春代、わがままはいい加減にしなさい!」


 キヨは薙刀の矛先を紅蓮に向けたまま、叫ぶ。


 その言葉には説得力がない。


「春代!」


 キヨは必死に叫ぶ。


 しかし、春代の心には響かなかった。


「紅蓮。用事は私の迎えだけですか?」


 春代はキヨの言葉に答えず、紅蓮に問いかける。


「そうだが。でもなぁ、迎えに来たのに悪質な対応をされたから、多少は痛い目に遭わせてやりたいところだな」


 紅蓮は背後に控えている部下の動きを制しながら、軽口を叩く。


「春代に辛い目に合わせやがって。よほど、命を捨てたいだろ」


 紅蓮は怒っていた。


 誰よりも大切な春代に対し、春代の両親が選んだ対応にも、親族や使用人の春代を人として扱わない対応にも、怒りを隠せなかった。


 紅蓮は誰よりも春代が大切だった。


 大切な春代を傷つけた相手を簡単に許すはずがなかった。


「それは――」


「止めてやんなよ、紅蓮兄さん。お嫁さんが困ってるじゃん、かわいそうに」


 春代が止めようとした時に口を挟んできた少年、睡蓮は春代にも愛想よく振る舞う。


「睡蓮。お前には聞いてねえんだが?」


「わかってるけどさ。紅蓮兄さん、いつも、お嫁さんの話ばかりじゃん? それなら、お嫁さんの前で義理の親を吹き飛ばすのは止めたほうがいいんじゃない?」


「……言われなくてもわかってる」


 紅蓮は嫌そうに返事をした。


 歳の離れた兄弟だが、なにかと睡蓮は紅蓮を慕っており、今日も暴れないことを条件についてきたのだ。


「春代。お前が決めろ」


 紅蓮は春代の意思を最優先する。


 もしも、家族を恨むと美世が言ってしまえば、引き連れてきた部下や弟の睡蓮と共に春代の家族を虐殺するだろう。それをわかっているからこそ、紅蓮は判断を春代に任せた。


「……私は、神宮寺家とは縁を切ります」


 春代が出した結論は絶縁だった。


 あやかしと人では絶縁の意味が異なる。


 人にとっての絶縁は時が解決し、縁を再び結び治すことも可能だが、あやかしは違う。あやかしにとって、絶縁とは縁切りを意味する。


 一度切られた縁は二度と戻らない。


 春代はそれを知っていた。


 紅蓮の嫁になる覚悟をした日から、心の中で決めていたことだった。


「関わりたくないのです。紅蓮。神宮寺家を放っておくことはできませんか?」


 春代の出した結論はこのまま離れることだった。


 いまさら、母の愛を知ったところで許されるはずもなく、かといって、虐殺を望むほどに酷い目には遭わなかった。


 ただ、春代は両親に対してなにもかも諦めていた。


 その傍にいたいと思っていた日々は遠い過去の話だ。


「そうか」


 紅蓮は春代の意見を否定しない。


「春代がそうしたいならそうしよう。春代、このまま、飛ぶからもっとくっ付け」


 紅蓮は笑った。春代の意見に納得したのだろう。


「これ以上ですか!?」


「なにかあったら危ないだろ?」


 紅蓮の言葉に対し、春代は頬を赤く染めながら、両腕を紅蓮の首に回した。


 男性に抱き着くなどあってはならないことだと教えられてきたことを破った罪悪感と、紅蓮に触れているだけで心臓が壊れそうなくらいの動悸がする。


 めまいがする恋に春代は一生慣れそうになかった。


「は、早く、してくださいませ!」


 春代は必死に声を上げる。


 羞恥心と緊張で心臓が悲鳴を上げそうだ。


「楽しいだろ?」


 紅蓮は地面を軽く蹴って、空を飛ぶ。


 シャボン玉のように地面を離れ、あっという間に神宮寺家の屋敷を見下ろせる高さに上ってきた。


 空から見下ろす景色は知らないものだった。文明開化の流れに身を任せ、西洋文化を真似したガス灯が夜を照らす星のように見える。


「はい! 楽しいですわ!」


 春代は瞬きすらも惜しく感じていた。


「そうか! そりゃあ、なによりだ!」


 紅蓮は嬉しくてしかたがないと言わんばかりの勢いで返事をした。


 二人は夜空を散歩する。


 二人だけの世界を楽しむように笑い合う。そうして現世の境界線を通り過ぎ、あやかしたちが好き勝手に暮らす常世へと渡っていった。


 常世はあやかしが支配する国々だ。各地に分かれ、それぞれ、好きなように生きている。



 春代はそんな世界に飛び込んだ。

 それは苦難の日々の始まりだった。



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