02-2.神宮寺春代の選択
……紅蓮が来る日がきたのね。
春代は覚悟を決めなくてはならない。
両親から冷遇されて十年が経った。両親や一族に対する情よりも、恋しくてしかたがない紅蓮を選ぶ自信があった。
「おかわいそうなお姉様! 化け物に食べられてしまうなんて、なんて、かわいそうなのでしょう!」
静子は声高らかに語る。
義理の両親から愛されていると信じて疑わない静子は、高飛車で意地の悪い性格に育ったが、春代は嫌いにはなれなかった。
……静子は知らないのね。
利用されていることを静子は知らない。
……知らされてもいないのでしょう。
神宮寺一族には、霊力の持たない人は不要な存在だ。
しかし、放棄はそれない。
それは代償を伴う呪術を発動する際に使う生贄として扱われ、悟られないように、神宮寺一族の陰陽師としての役割を知らない。
政府により陰陽寮が廃止され、陰陽師は過去の存在になった。
しかし、軍の特殊部隊として陰陽師や霊力の優れた能力者たちは暗躍をしている。彼らは過去の存在として人々の記憶の中から消え去っても、国の為に尽くすだろう。
世間で知られている程度の常識以外の知識は、静子に教えられていないことが、彼女が生贄として生かされている存在であると証明していた。
「かわいそうなのは静子よ」
春代は口を開いた。
同情してしまった。愛されていると疑わない静子の今後を考えてしまう。
……連れて行きましょう。
仲が良いわけではない。
静子は春代を嫌っている。
春代も静子を羨ましいと思いつつ、自慢ばかりをされ続けていることに対し、鬱憤が溜まっている。
両親にかわいがられる静子を見た時には嫉妬に駆られたことだってある。
それでも、生贄になると知っていて見捨てるなどできなかった。
「静子。神宮寺の家に囚われられる必要はないわ」
春代は慎重に言葉を選ぶ。
時間がない。しかし、言葉を選ばなければ静子には伝わらない。
逆上させるつもりは春代にはなかった。
「はぁ?」
静子はありえないと言わんばかりの声をあげた。
春代の言葉を聞き、静子は理解ができないと言わんばかりの顔をした。
「あなたは普通の子として生きなさい」
春代は忠告をした。
その言葉が静子に届かないとわかっていながらも、言わずにはいれなかった。
生贄になる以外の道を静子に見つけさせなければならなかった。
「お姉様の言いたいことはわからないわ!」
静子は呆れたように声をあげる。
「静子は女学校にも通っているし、お父様が素敵な縁談を持ってきてくださるわ。だから、言いがかりはよしてくださいな」
静子は呆れたように言いながら、持っていた巾着袋を春代の顔をめがけて投げつけた。
「痛い!」
春代は避けなかった。
抵抗を見せれば、静子が意地になって春代を泣かせようとしてくるのを知っていたからだ。
「違うわ。かわいそうなのは、お姉様よ」
静子は春代に言い聞かせる。
それはそうでなければならないという自己暗示のようでもあった。
「それ、お母様が隠し持っていたの。お姉様を奥の間に幽閉するのに使う為に、大切にしている変な模様の鏡よ」
静子の言葉を聞き、春代は大急ぎで巾着袋を開けて中身を取り出した。
……呪具だわ。
実物を目にするのは十年ぶりだ。
……本当に封印されていたのね。
薄々感づいてはいた。
しかし、その事実を認めたくはなかった。
……お母様。そこまでするほどに、私が憎いの?
奥の間に春代を幽閉する為だけに使用されている結界術を維持し、月日をかけて強力なものにしていく効果がある。しかし、呪具にはいくつも弱点がある。
「お姉様にさしあげるわ。お母様には、明日、わたくしが事実を伝えておいてあげるわ」
静子は笑った。
それがただの手鏡ではなく、呪具だと気づいてもいないのだろう。
それでも、両親を困らせる為の材料として見つけてきたのだ。
「……静子、なにを考えているの?」
春代は不審に思う。
静子の考えが理解できなかった。
それが不気味だと思えないのはなぜだろうか。
……まるで私を逃がそうとしているかのように。
ありえないとわかっている。
静子は春代を困らせたいだけなのだ。
「いつもと変わりはしませんわよ。邪魔なだけのお姉様に嫌がらせをしてさしあげるの」
静子は笑った。
それから、ゆっくりと春代に近づき、手鏡を取り上げる。
春代は抵抗しなかった。静子の好きにさせた方が都合が良かったからだ。
……よかった。これで、紅蓮との約束を果たせるわ。
春代は約束を守らなければならなかった。
そうしなければ、紅蓮は春代を手に入れる為に、神宮寺一族を根絶やしにしてしまうだろう。
それでは春代がお願いした十年間の約束が無駄になってしまう。
それは避けたかった。
「わたくしは、お姉様が大嫌いなのですもの」
静子は霊力に恵まれていない。
だからこそ、簡単に呪具を盗めた。霊力を吸収することにより、力を発揮する呪具の弱点は、霊力のない人が所持してしまえば、ただの玩具になってしまうことだ。
静子は両親を困らせるつもりだ。
その為には、春代を生贄にするわけにはいかなかった。
「だから、お姉様の居場所を奪ってさしあげるのよ」
静子は手鏡を勢いよく、近くに置いてあった机に叩きつけた。
破片は飛び散り、呪具に貯められていた霊力が光の結晶となり拡散する。その美しい光景は静子に見えず、美世には、はっきりと見えていた。
……お母様の結界術が破れましたわ。
それは合図となる。
紅蓮に春代の居場所を知らせたのも、同然だ。
……静子でなければ不可能だったことでしょうね。
静子が結界を破壊するとは両親は考えていなかっただろう。盗みをするような子だとは思われていないはずだ。