〜それぞれの夕暮れ〜
【固定】
始めまして、三軒長屋 与太郎です。
ゆっくりと物語の中の世界を、楽しんで頂けると幸いです。
後書きに名称一覧がありますので、ご活用下さい。
不意に、女神レアは気配を陽気に戻した。
「どうやら、追憶できるのはここまでのようだな。
これ以上をこの場でいかに考えようとも、なんの進展もないであろう。
一度、目線を未来へと戻さねばなるまい」
これにケイロンも同意した。
「事実、わしと女神レアの知恵でも及ばぬなら、どうするわけにもいくまい。
新たなる旅路に向けて、今夜はこの洞窟の中でゆっくりと休むが良い」
ケイロンの言葉によって、エーレは今いる場所が崖の中腹に掘られた、入口の狭い洞窟であることを思い出した。
そして、緊張の糸が切れたように、ゆっくりと地面へ崩れ落ちた。
へたりこむエーレを余所に、カロスは興奮気味にケイロンへと喋りかけた。
「もう暫し、この景色を維持してくれないかケイロン。
この素晴らしい情景を、記憶に焼き付けたいんだ」
ケイロンが「ゆっくり見て周りなさい」と返す前に、カロスは神殿の奥へと駆け始めていた。
無邪気に走るカロスの背中を、レナは呆れた様子で見送り、その後ケイロンと女神レアを見比べ、質問を始めた。
「女神レア、そして……ケイロン。
この機会に、私の本当の過去を教えてくれないかしら?
私の両親……ネッソスとアイネに何があったのか。
ヘラクレス……いや、アルカイオスとの関係は?」
女神と賢者は一度お互いを見つめ合うと、何かを決心したかの如く表情を固め、レナへと向きなおし、静かに語り始めた。
そんな様子を、エーレはぼんやりと眺めていた。
先ほどここが洞窟の中であることを思い出したが、改めて信じられなかった。
地面に触れる脚からは石工特有のひんやりとした冷たさが伝わる。
それに、神殿の外で靡く黄金の稲穂は、心地良い囁きをエーレの耳へ届けていた。
ひとつ大きく息を吸い込むと、エーレは立ち上がり、意思のないまま神殿の入り口へと歩みを進めた。
なんとなく、外の空気が吸いたい……そう思った。
神殿から外へ出ると、遥か彼方の雲の切れ間に、大きな夕陽が沈もうとしていた。
それは普段見慣れた夕焼けよりも鮮明に、エーレの瞳に焼き付けられた。
最後に一点の眩い輝きを放ち、夕陽は地平線の向こうへと消えていった。
そして、そこには夜が現れた。
どう説明すれば良いのか……いったいどうやって、ここが洞窟の中だと信じろと言うのか。
あまりに現実離れした光景に、エーレの目からひと粒の涙が零れた。
それを合図に、今まで必死に抑え込んでいた不安や恐怖が、一気に身体を駆け抜けた。
自分や周りを騙し続けた代償なのか……その反動は凄まじく、すぐに涙は大河となり、止めどなく溢れ出した。
涙を拭う気力もなく、ただそこに立ち尽くし、ただ遠く、夕陽が沈んだ先を見つめて……声にならぬ嗚咽を洩らした。
いつの間にか、後ろにはカロスが居た。
カロスは寄り添うように、エーレと同じ方角を見つめ、黙っていた。
どれくらい時が経ったのか。
エーレの涙が落ち着いても、二人は何も語らず、ただ遠くを見つめ続けていた。
それでも、エーレは確かに、カロスの温もりを感じていた。
そこへ、女神たちとの話を終えたレナが歩み寄り、エーレのすぐ後ろに腰を下ろした。
レナもまた、地平線を見つめていたが、その優しい声は間違いなくエーレを後ろから抱きしめていた。
「本当に勇敢だよ、エーレ。
正直、出逢った最初は薄気味悪がってしまっていた。
でもエコーの時にしろ、この洞窟に入ってからにしろ、私は間違いなくお前を見誤っていた」
レナの心からの言葉に、乾きかけた涙の道が再び濡れるのを感じた。
レナの言葉に重ねるように、カロスの声もまた、エーレを後ろから抱きしめた。
「我ら森に住まうケンタウルスでさえ、あらゆる恐怖と不安に押し潰されそうになる。
一寸先の闇に怯えることしかできぬのだ。
いったい……人間であるお前がどれほどの恐れを抱えているのか。
本来なら、立っていることすら奇跡だろう……。
もはや我らは、お前のことを穢れた人間などと蔑んではいない。
勿論、恐れてもいない。
これからも共に旅をする大切な仲間だ。
心を開き、身を委ねておくれ……」
エーレはここで初めて、声を上げて泣いた。
それは産まれて間もない赤子のように、抑えることなどできるはずもない慟哭であった。
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登場する名称一覧
【キャラクター】
・カロス(ケンタウルス)
・エーレ(神の器?)
・ヤニス(エーレの父に返り咲いた男)
・マイク(伝説の英雄)
・レナ(ケンタウルスの女戦士)
・ターレス(ケンタウルスの族長)
・ソフィア(ケンタウルスの少女)
・アグノス(ケンタウルスの若い戦士)
・ルカ(マイクの息子)
・マートル(マイクの妻、ルカを産むと共に死去)
・ネオ(若い狩人)
・ミト(老いた狩人)
・ケイロン(ケンタウルスの英雄?)
・レア(大地の女神、レナの師)
・アキレウス(昔の英雄)
・アルカイオス(昔の英雄、後のヘラクレス)
・ヘラクレス(英雄の神、元アルカイオス)
・ネッソス(レナの父)
・アイネ(レナの母)
・ヘルメス(天界の死神)
・ヘルメスの使者(元ニンフの魂)
・タナトス(冥界の死神)
・ヒュプノス(タナトスの双子の弟、冥界の死神)
・モイラ(タナトスとヒュプノスの妹、複数の人格を持つ?)
・狭間の獣(タナトスの下僕)
・ニンフ(精霊の総称)
・サテュロス(笛を吹く半人半獣)
・パン(ニンフ殺し、ヘルメスの使い)
・女(ヴィーナス、ルカの意思に語りかける謎の女)
・エコー(山の精霊。カロスに恋をする木霊)
・ヘーラー(ゼウスの妻、天界の母)
・デュシウス(ラミア西門の門番)
・ゼノン(ラミア最高位の兵士、マイクとヤニスの弟子)
・クリストフ(ゼノンのファミリーネームであり、ゼノンの父であるミトの旧友の呼び名)
・老剣士(?)
・ティーターン(天界を支配した原初の一族より選ばれた12の神達)
【場所・他】
・ミリア(エーレが住む山奥の町)
・カテリーニ(マイクが住む海の近くの町)
・パライオ(山の入口の町)
・レアの泉(女神の泉)
・ピエリア(ミリアから山を超えた先)
・モスコホリ(ミリアの隣町)
・ヘスティア(ケンタウルス達が集う場所)
・アルゴリス(アテネより南に位置する、ヒドラの住まう場所)
・ラリサ(ギリシャ西部中央に位地する巨大交易都市)
・ラミア(スパルタの兵士達がアテネを攻め入る拠点となる街)
・デルポイ(海に面した山岳地帯)
・コリントス海(ヘーラーの呪いが掛けられた入り江状の海)
・スパルタ(ヤニスやマイクが属した勢力)
・アテネ(スパルタの敵対勢力)
・天界(天空の世界)
・冥界(地底の世界)
・禁則の地(天界と繋がる場所)
・イボヴォリ(ケンタウルスの園にそびえる大樹)
・ヒドラ(九つの首を持つ毒蛇)
・パピルス紙(古代に於いて使われた植物性の紙)