〜老剣士の笑み〜
【固定】
始めまして、三軒長屋 与太郎です。
ゆっくりと物語の中の世界を、楽しんで頂けると幸いです。
後書きに名称一覧がありますので、ご活用下さい。
気配なき静寂の町……。
冬の入口に反して、煌々と照りつける太陽により、生温い風が吹き抜ける。
そんな町の真ん中に、一人の老剣士が立ちすくんでいた。
「実に懐かしい……」
感慨深くつぶやきながら、老剣士は辺り一帯をゆっくりと眺めると、徐ろに錆びれた剣を鞘から抜き、地面へと突き刺した。
剣先が地表を貫くのと同時に、カテリーニの町は綺羅びやかなオーラを纏った。
その歳にしては微かに筋肉質であったが、鎧越しにも見て取れるほど、身体は脆弱であり、顎から伸びる白い髭は、お世辞にも綺麗とは言えなかった。
言い表すならば“最後の戦場へ向かわんとする老兵”であり、瞳の奥まで草臥れて見えた。
しかし、彼は確かに美しかった……。
老剣士は剣から手を離すと、広場に置かれた椅子に腰を下ろした。
町は世界と隔離された様であり、ただ静かな時間が流れていた。
ひと昔前に想いを馳せる老剣士もまた、世界とは違う時間軸を生きているようであった。
何かを感じた老剣士がふと右を見ると、いつからそこに居たのか……一人の女が立っていた。
「いやはや……衰えたとはいえ、我が結界をこんなにも簡単に突破されては、少々傷付きますぞ。
地上界に於いて、年寄りは労るものだ」
「私からすれば、貴方など生まれて間もないに等しい。
存在そのものが違い過ぎるのですよ」
女の台詞に、老剣士はため息混じりの笑みを零し、また虚ろに正面を見つめた。
「それで……、偉大なる女神様が、こんな老人に、いったい何の御用ですかな?」
女は目を細め、蔑むが如く老剣士を睨んだ。
「吐き出す言葉ひとつひとつが烏滸がましい。
古の女神である私が、何故お前のような者を、用事などで訪ねようか。
私はただ、安易に消え去ろうとしているお前を、この手で射止めに来たに過ぎぬ。
だが……」
「流石は女神様だ。
ひと目見て分かったのだろう?
貴女が手を汚さずとも、この老いぼれの身体はじきに朽ちる。
今は何とか、形を繕っているに過ぎんよ」
「醜い……。
実に人間らしい最後だな」
女神は朽ち果てんとする老剣士に微塵の同情も見せず、淡々と言葉を吐き捨てた。
実に女神らしい……と、老剣士はまた笑みを零した。
「それで……。
お前は自らをそこまで貶めて、いったい何を狙っている?」
女神の問いに、老剣士は重たげな首を持ち上げて、力無き眼で女の顔を見つめた。
「我ら人間は、貴女たちと違って過去を尊く想うのだ。
ある者は過去の栄光に目を輝かせ、ある者は自らの過ちを悔い嘆く。
そうした過去の哀愁の中に、励みを見出し、次なる一歩を踏み出す。
我ら人間はそうやって、新たなる未来へと進んで行くのだ」
「理解に苦しむな。
過去とはまさに、“過ぎ去った時”でしかない。
無論、その中に未来へと繋がる道など、あるはずもない」
不意に真剣な顔つきを見せたかと思うと、老剣士の瞳に、うっすらと火が灯った。
「これから幾百年の時が経てば、人類は神よりも先の未来を歩み始める。
人間はより親しき神を見つけ出し、貴女たちとは別の世界を築き上げる。
さらにその先では、親しき神すら引き剥がし、我ら人間こそが神と成る。
進む道を失った貴女たちは、人間の記憶の中に束縛され、そして次第に忘れ去られて行く。
鱗が一枚ずつ剥がれ落ちるように、貴女達は人間の“過去に沈んでゆく”のだ。
人類からすれば遠い未来の話だが、貴方たち神から見れば、間もなくの話だよ」
この台詞に、女は溢れる怒りを抑えきれず、女神の感情の昂りは、カテリーニを揺らし、逆巻く風で家々のレンガは軋んだ。
「我の想い出の町だ。
壊してくれるなよ」
老剣士は忠告すると共に、瞳の奥の火を落とし、またぼんやりと、目線を正面に戻した。
女神は自らの昂りを鎮め、また淡々と会話を続けた。
「死に損ないの人間風情が、よくもほざいてくれたものだ……。
一瞬とはいえ、この私に怒りを芽生えさせたことは、流石だと褒めてやろう。
それで?
お前が見つめるその未来に向けて、結局お前は何を成すつもりだ?
先ほど以上に、饒舌に侮辱を紡げるならば、望み通りここで、お前の命を終わらせてやろう」
老剣士はもう一度ゆっくりと首を持ち上げ、女神に向けて笑みを見せた。
実に優しく、老いぼれらしからぬ力強い微笑みであった。
「我はただ、自らの死を以って、昔の友との約束を果たすだけだ。
先程述べた人間の未来とは無関係であり、今さら人間のために何かをするつもりなど毛頭ない。
それは貴女も良く知っているはずだ。
我はただ、死後の世界で友と再会出来ることを願っているだけだ。
過去の過ちを、直接謝りたいだけだよ。
最後くらい、人間らしくても良いであろう……」
ここで初めて、女神の目に哀愁が満ち、カテリーニの大地は、老剣士の想いを受け入れるように静まり返った。
【固定】
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登場する名称一覧
【キャラクター】
・カロス(ケンタウルス)
・エーレ(神の器?)
・ヤニス(エーレの父に返り咲いた男)
・マイク(伝説の英雄)
・レナ(ケンタウルスの女戦士)
・ターレス(ケンタウルスの族長)
・ソフィア(ケンタウルスの少女)
・アグノス(ケンタウルスの若い戦士)
・ルカ(マイクの息子)
・マートル(マイクの妻、ルカを産むと共に死去)
・ネオ(若い狩人)
・ミト(老いた狩人)
・ケイロン(ケンタウルスの英雄?)
・レア(大地の女神、レナの師)
・アキレウス(昔の英雄)
・アルカイオス(昔の英雄、後のヘラクレス)
・ヘラクレス(英雄の神、元アルカイオス)
・ネッソス(レナの父)
・アイネ(レナの母)
・ヘルメス(天界の死神)
・ヘルメスの使者(元ニンフの魂)
・タナトス(冥界の死神)
・ヒュプノス(タナトスの双子の弟、冥界の死神)
・モイラ(タナトスとヒュプノスの妹、複数の人格を持つ?)
・狭間の獣(タナトスの下僕)
・ニンフ(精霊の総称)
・サテュロス(笛を吹く半人半獣)
・パン(ニンフ殺し、ヘルメスの使い)
・女(ヴィーナス、ルカの意思に語りかける謎の女)
・エコー(山の精霊。カロスに恋をする木霊)
・ヘーラー(ゼウスの妻、天界の母)
・デュシウス(ラミア西門の門番)
・ゼノン(ラミア最高位の兵士、マイクとヤニスの弟子)
・クリストフ(ゼノンのファミリーネームであり、ゼノンの父であるミトの旧友の呼び名)
【場所・他】
・ミリア(エーレが住む山奥の町)
・カテリーニ(マイクが住む海の近くの町)
・パライオ(山の入口の町)
・レアの泉(女神の泉)
・ピエリア(ミリアから山を超えた先)
・モスコホリ(ミリアの隣町)
・ヘスティア(ケンタウルス達が集う場所)
・アルゴリス(アテネより南に位置する、ヒドラの住まう場所)
・ラリサ(ギリシャ西部中央に位地する巨大交易都市)
・ラミア(スパルタの兵士達がアテネを攻め入る拠点となる街)
・デルポイ(海に面した山岳地帯)
・コリントス海(ヘーラーの呪いが掛けられた入り江状の海)
・スパルタ(ヤニスやマイクが属した勢力)
・アテネ(スパルタの敵対勢力)
・天界(天空の世界)
・冥界(地底の世界)
・禁則の地(天界と繋がる場所)
・イボヴォリ(ケンタウルスの園にそびえる大樹)
・ヒドラ(九つの首を持つ毒蛇)
・パピルス紙(古代に於いて使われた植物性の紙)