〜冥界の兄妹達〜
冥界にて動く双子の兄弟。
そして兄より強し妹の存在。
【固定】
始めまして、三軒長屋 与太郎です。
ゆっくりと物語の中の世界を、楽しんで頂けると幸いです。
後書きに名称一覧がありますので、ご活用下さい。
地上界の果て、あらゆる生物が立ち入ることすら恐れる山嶺の裂け目。
冥府へと至る奈落の中腹に、ひときわ異質で、重厚かつ壮麗な館がひっそりと建っていた。
その館には、双子の兄弟が暮らしていた。
外見は瓜二つながらも、性質は水と油。
規律を重んじ、すべてに厳格な兄に対して、弟はどこか夢見がちで、のんびりとした性格だった。
兄タナトス、弟ヒュプノス。
彼らは共に、人の世で言うところの『死神』そのものであった。
とはいえ、その役割にも決定的な違いがあった。
タナトスは定められた寿命を正確に刈り取り、魂を奈落の底へと沈めることを己の務めとしており、一方のヒュプノスは、穏やかに“最後の眠り”へと誘いながらも、微かな蘇りの余地を残す。
互いの在り方を良しとしない兄弟は、長い時を経ても不仲のままで、言葉を交わすことも稀であった。
唯一彼らが同席するのは、妹であるモイラが『ネクロロジー』と呼ばれる“死者の名簿”を携え、この館を訪れるときだけだった。
そして、今日がまさにその日である。
モイラが館の玄関をくぐると、彼女を迎えたのは、陰鬱でありながらも精緻な意匠が施された広間であった。
広間の左右には、静かに螺旋を描く階段が天井近くまで昇り、正面には、巨人ですら屈まずに通れるであろう重厚な扉が聳えていた。
扉はわずかに開いており、モイラはその隙間から、静かに館の奥へと歩みを進めた。
内部は異様なほどの静寂に包まれ、モイラの足音だけが、空洞のように響き渡る。
やがて辿り着いたのは、壁の端から端まで届くほど長大で、見るからに古びた一枚板の机。
その両端に、双子の兄たちがそれぞれ無言で腰掛けていた。
まるで、その距離こそが両者の決定的な溝を可視化しているようだった。
モイラは両者を慕いながらも軽蔑しており、常に中立の立場を崩さなかった。
「早速読み上げます」
彼女はそれ以上の言葉を発することなく、名簿を静かに開き、石像のような無感情で名を読み上げていく。
名前が一つ読み上げられるごとに、どちらの担当かを兄弟が応じて振り分けていった。
「俺だ」
「コチラだ」
淡々と進むやり取り。
しかし、それは終盤で一変する。
「次は……ほう……」
モイラの表情に、これまでには見られなかった揺らぎが走る。
その違和感を察知した双子は、同時にモイラへと目を向けた。
「次は……英雄ヘラクレスです」
その名を言い切るか否かの刹那、双子は咄嗟に机の上に躍り出た。
そして、目にも止まらぬ速さで、モイラの手にあるネクロロジーへと手を伸ばす。
机はきしみ、兄弟は不気味なほど“冷静”に、名簿を奪い合った。
「離せヒュプノス。
コイツとの因縁はお前も知ってる筈だ。
俺はヘラクレスを奈落に突き落とす日を、ずっと待ち望んでいたのだ」
「そうはいかないよ兄者。
ヘラクレスの名が刻まれているのは何かの間違いだ。
先ずは真実を確かめなければならないし、そもそも兄者の念願なら、俺が邪魔するのは必然だ」
「黙れ。
お前の生命愛には、ほとほと反吐が出る。
お前の語る運命など興味はないし、ネクロロジーに名前が刻まれた時点で、コイツの死は決まったのだ」
モイラは目の前で繰り広げられる騒動を、ただ無表情で見つめていた。
が、その眉間がぴくりと痙攣すると、そこにはもはや先ほどまでの顔ではない、まるで別人格のような表情が浮かんでいた。
それに気づいた双子は、すぐに手を放し、一歩退いた。
「私が紡いだ運命を軽く見ることは、お兄様たちと言えども許せませんね」
モイラはタナトスをじっと睨みつける。
タナトスはそれに応えるように低い声で威嚇する。
「“お前”は黙っていろ」
モイラの顔が再びひきつり、今度はヒュプノスに視線を向けた。
「それに、“私達”が決めた運命を、私情や思念で歪めるのも頂けません」
ヒュプノスはそれを真っ向から睨み返し、弁明した。
「俺は“お前達”の運命に寄り添っているだけだ」
やがてモイラは元の冷淡な表情に戻ると、再び口を開いた。
「何にせよ、この名は色々な場所に混沌を生みます。
示された期日もまだ先ですし、これ以降に刻まれた名前も怪しい。
一度、私の方で精査させて頂きますので、今回は持ち帰らせて頂きます」
そう言い残して踵を返し、モイラはまるで何事もなかったかのように、扉の方へと向かっていく。
が、大扉の前で再び振り返ると、モイラは最後に冷ややかな忠告を残した。
「お兄様たちは最近、ヘルメスと何やら楽しんでおありのようですが……くれぐれも母にバレぬよう、気をつけて下さい。
これは兄想いの妹より、心からの警告ですので」
そしてモイラは館を去り、
その後、双子が互いに口をきくことはなかった。
館には、凍てつくような沈黙だけが残された。
モイラ(モイライ)は運命を司る三女神ですが、其々にクロートー、ラケシス、アトロポスと名前がややこしいので、本作品では三つの人格を有する一女神として描きます。
本来の其々の役割は、運命を紡ぎ、運命の長さを測り、運命を断ち切る女神です。
【固定】
お読み頂きありがとうございました。
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是非続きもお楽しみ下さい。
登場する名称一覧
【キャラクター】
・カロス(ケンタウルス)
・エーレ(神の器?)
・ヤニス(エーレの父に返り咲いた男)
・マイク(伝説の英雄)
・レナ(ケンタウルスの女戦士)
・ターレス(ケンタウルスの族長)
・ソフィア(ケンタウルスの少女)
・アグノス(ケンタウルスの若い戦士)
・ルカ(マイクの息子)
・マートル(マイクの妻、ルカを産むと共に死去)
・ネオ(若い狩人)
・ミト(老いた狩人)
・ケイロン(ケンタウルスの英雄?)
・レア(大地の女神、レナの師)
・アキレウス(昔の英雄)
・アルカイオス(昔の英雄、後のヘラクレス)
・ヘラクレス(英雄の神、元アルカイオス)
・ネッソス(レナの父)
・アイネ(レナの母)
・ヘルメス(天界の死神)
・ヘルメスの使者(元ニンフの魂)
・タナトス(冥界の死神)
・ヒュプノス(タナトスの双子の弟、冥界の死神)
・モイラ(タナトスとヒュプノスの妹、複数の人格を持つ?)
・狭間の獣(タナトスの下僕)
・ニンフ(精霊の総称)
・サテュロス(笛を吹く半人半獣)
・パン(ニンフ殺し、ヘルメスの使い)
・女(ヴィーナス、ルカの意思に語りかける謎の女)
・エコー(山の精霊。カロスに恋をする木霊)
【場所・他】
・ミリア(エーレが住む山奥の町)
・カテリーニ(マイクが住む海の近くの町)
・パライオ(山の入口の町)
・レアの泉(女神の泉)
・ピエリア(ミリアから山を超えた先)
・モスコホリ(ミリアの隣町)
・ヘスティア(ケンタウルス達が集う場所)
・アルゴリス(アテネより南に位置する、ヒドラの住まう場所)
・スパルタ(ヤニスやマイクが属した勢力)
・アテネ(スパルタの敵対勢力)
・天界(天空の世界)
・冥界(地底の世界)
・禁則の地(天界と繋がる場所)
・イボヴォリ(ケンタウルスの園にそびえる大樹)
・ヒドラ(九つの首を持つ毒蛇)
・パピルス紙(古代に於いて使われた植物性の紙)