〜美しき生き物〜
影達の正体が明かされる。
その後ろに潜む者とは…
【固定】
始めまして、三軒長屋 与太郎です。
ゆっくりと物語の中の世界を、楽しんで頂けると幸いです。
後書きに名称一覧がありますので、ご活用下さい。
人間とケンタウルスの間には、目には見えない亀裂が入り始めていた。
いや、元々深く開いていたものを、ケイロンが一時的に塞いでいただけであった。
しかしヤニスは、ここでその生々しい傷跡のような亀裂を、再び開かせる訳にはいかなかった。このケンタウルスには、自分の大事な娘を守って貰わねばならないし、そもそも何故、自分の娘が狙われているのかもまだ分からないままだった。ヤニスは、カロスがなんとか怒りを鎮めてくれるように祈りながら、意を決して話題を替えた。
「ではあの影達は何だったのだ?
しかもさっきケイロンは、影達がエーレを取り合っていると言っていた。
あれは何のことだ」
娘を持つ父として至極真っ当な疑問であったため、この話題は正解であり、見事ケンタウルスにひと呼吸する間を与えた。カロスは口からゆっくりと息を吹き出し、無事に落ち着いて語り始めた。
「先ず最初にお前達が襲われていた影達、あれは『狭間の獣』と言い、天界にも冥界にも行けぬ、言わば器を探して彷徨う魂そのものだ。
人類で言うところの、疫病神と思って良いだろう。
ようは、出来損ないの死神だ」
山道でヤニスが感じた〝死気〟に似た不安の輪郭が、徐々に姿を現そうとしていた。
「しかし、私にも分からない事はある。
元来狭間の獣は思索する頭を持たぬため、群れを成すことは無い。
奴等が群れを成すのは、操られている時だけだ」
「操られる?」
ヤニスは素直に疑問を投げた。
「人間の世界でも起るであろう。
例えば突如として町全体を襲う病や、一夜での大量失踪。
あれは群れを成した奴等の仕業だ。
そして奴等を操るのが『タナトス』。
そう、お前達が思い浮かべる死神そのものだよ」
ヤニスとエーレは息を呑み、お互いを見つめ合った。自分達を狙っていたものの正体は、余りにも有名な者であった。
「しかし今言ったように、奴等が群れを成すのは大勢の命を狙う時だ。
今回何故群れを成していたのかは定かではない」
エーレの身体は、これ以上の不安を抱えられそうになかった。ヤニスもまた、これ以上何も知りたくない自分がいたが、今更逃げ道は用意されていないのも理解していた。
「では最後に出てきた大きな影は別物なのか?」
ヤニスにはもう、尋ねることしか出来なかった。
「同じく狭間の獣だ。
しかしアレは欲情に溺れた〝ニンフ〟の魂、元々はこの森に住んでいた精霊だ。
いくら狭間の獣に堕ちたとはいえ、生前女神の血を引いていたものを、冥界の住人であるタナトスが操ることは出来ない。
アレを操れるのはヘルメスだけだ。
よって我々はアレを『ヘルメスの使者』と呼んでいる」
「ヘルメス?」
今度はエーレが疑問を投げかけた。
「それってとても有名な良い神様では無いの?」
エーレの問いに、カロスは薄っすらと呆れた目線を送った。
「お前達人間にとって、何が悪く、何が良い神なのかは分からないが、ヘルメスが全知全能に近い力を持った神なのは確かだ。
しかし、ヤツもタナトスと同じ死神だよ。
行く先が冥界か、天界かの違いだけだ」
(天界に連れて行く、それは天使ではないのか?)
ヤニスの中に次なる疑問が浮かんだが、どうやら人類とケンタウルスの間には、決定的な概念の違いが存在するようであったし、事実ヤニスの前に現れたアレは、およそ天使と呼べる代物ではなかった。ヤニスは質問の趣向を少しだけ変えた。
「何故天界に連れて行かれてはいけないのだ?」
今度はあからさまに呆れた目でヤニスを見つめ、カロスは溜息さえも溢した。ヤニスは少し居心地が悪くなった。
「良いかヤニスよ。
我々は地上に生きとし生命だ。
天界に行こうが冥界に行こうが、〝死〟は〝死〟でしか無いのだよ」
カロスの答えに、ヤニスは少し恥ずかしげに返した。
「すまないが俺達人間は、天界を天国とし、冥界を地獄と思っているのだよ」
その時、カロスは愉快に笑った。
ヤニスの恥ずかしさは頂点に達し、何なら少しムッとした。カロスはひとしきり笑い終えると、スッと和やかな表情に戻った。
二人が初めて目にする、カロスの優しい表情と佇まいは、言葉では言い表しようがなく、ヤニスとエーレはここで初めて、目の前に座っている生き物が余りにも美しいことに気がついた。
そして、カロスはこの世界の理を教えてくれた。
「確かに冥界に比べれば、天界の方が幾分かは住み良いかも知れん。
しかし、世界とはバランスなのだ。
冥界は〝魂を無に帰すか、再び地上に帰すか〟だが、天界は〝魂を地に落とすか、永遠であるか〟のどちらかなのだよ。
即ち、天界に住まう魂が増え過ぎると、世界のバランスは崩れてしまうのだ。
無論、冥界が魂を無に帰す事を止めたとしたら、それも同じ事だが。
良いかヤニス、そしてエーレよ」
二人は必死に頭を働かしたが、中々付いて行けそうになかった。そんな二人にカロスは微笑みながら続けた。この微笑みは決して目の前の二人を嘲笑っているのではなく、カロスは二人に話し続ける事で、今まさに探していた答えに辿り着けそうな事を喜んでいたのだ。
「先程話した自然の理と同じく、天、地、冥、其々もまた一定なのだ。
一定とは無限なのだよ。
では、バランスが崩れると何が起きるか覚えているな?」
「争い…」とエーレが小さく答えた。
「そうだ争いだ。
もしお前達が其々に、均衡した世界に退屈した天と冥の神だとしたら何をする?」
二人には全く想像の出来きぬ問い掛けであった。
カロスは最後をこう締めくくった。
「良いか。
私も話でしか聞いたことは無いが、幾千万年の間に、これは何度か起こった事だ。
理由はまだ分からぬし、仮説の域を脱しないが、今この世界に起きているのは恐らくこうだ。
地上に大きな災いをもたらし、行き場を失った魂達を、天界と冥界が取り合おうと準備を始めた。
今まさにこの地上界は、天界と冥界の争いに巻き込まれようとしているのだよ」
エーレはこの夢が早く覚めてくれるよう、心から強く願った。
ギリシャ神話に出てくるヘルメスは、めちゃくちゃチートなやつなので、是非調べて見て下さい。
ムカつくけどどうせ美少年です。
タナトスは想像通りめちゃくちゃ性格悪くて好きです。
【固定】
お読み頂きありがとうございました。
評価やブックマークして頂けますと励みになります。
是非続きもお楽しみ下さい。
登場する名称一覧
【キャラクター】
・カロス(ケンタウルス)
・エーレ(平凡な娘)
・ヤニス(エーレの父)
・マイク(伝説の英雄)
・ルカ(マイクの息子)
・サテュロス(笛を吹く半人半獣)
・ネオ(若い狩人)
・ミト(老いた狩人)
・ケイロン(ケンタウルスの英雄?)
・狭間の獣(タナトスの下僕)
・ヘルメスの使者(元精霊)
・レア(泉?)
・アキレウス(昔の英雄)
・ヘルメス(天界の死神)
・タナトス(冥界の死神)
・ニンフ(精霊の総称)
【場所・他】
・ミリア(エーレが住む山奥の町)
・カテリーニ(マイクが住む海の近くの町)
・パライオ(山の入口の町)
・レアの泉(森の中の何やら訳ありな泉)
・ピエリア(ミリアから山を超えた先)
・スパルタ(ヤニスやマイクが属した勢力)
・アテネ(スパルタの敵対勢力)
・天界(天空の世界)
・冥界(地底の世界)