9 聖女の力
翌日教会を訪れたフィーネは、祈り手二人の後ろでなけなしの力で祈りを込めた。一晩で回復した力はわずかだったが、その力を全て惜しむことなく注ぎ、すっきりとした顔で満足そうに笑っていた。
三つの教会での祈りを終えると、一行は領都に戻り、最終日は送別パーティが開かれた。
すっかり打ち解けた聖女フィーネと祈り手イーダ、エルゼ、そして辺境領の騎士クリスは互いを敬称のない名前で呼び合うようになり、その日のパーティではそろっておしゃれをして会場に出向くことにした。辺境伯からドレスが提供され、若干のサイズ調整もパーティに間に合った。生花で髪が美しく飾られ、年頃の乙女達のテンションは高まった。
露出は控えめながら仕立てのよいドレスを身にまとったクリスは、どこから見ても女性で、かなり美人の部類だ。同僚の騎士団員でさえドレス姿のクリスに気がつかない者がいたが、すぐに気がついたフォルカーに
「余興か?」
と言われてもクリスは笑って
「まあ、そんなもんや」
と軽く流した。
そのやりとりに一緒にいた三人はフォルカーを睨みつけた。
「ちょっと、それってひどいんじゃない?」
「女心をわかってないわね」
「こんなにかわいいのに、褒めもしないで余興だなんて。サイテー!」
聖女達に次々に文句を言われフォルカーはタジタジになっていたが、その背後から現れたリーンハルトは、語気を荒げてクリスに注意した。
「人前でそういう格好はするなと言っただろう」
「…すみません、今日は、特別…」
クリスは謝り、うつむいた。クリスは何も悪いことをしていないのに。
「そんな言い方…」
フィーネは思い切り顔を歪めてリーンハルトを睨みつけたが、全くひるみもしない。視線はクリスにだけ向けられていて、
「王都には行きたくないって言ってたくせに、王都から来てる奴らに気に入られたらどうするんだ」
「…」
「そういう格好は他の男の前ではしない。…わかったか?」
他の男の前では?
クリスはすねるように口をとがらせながらも、どこか嬉しさをにじませながら
「…はぁーい」
と低い声で答えた。
フィーネはリーンハルトの口元が緩んでいるのを見逃さなかった。伸びた手がクリスの頬を撫で、髪を一房手に取ると、そっと口づけした。
気っっ障っ!
フィーネは自分がされたわけでもないのに首元がかゆくなった。
リーンハルトはクリスの耳元で何かささやいて立ち去り、残されたクリスは目でリーンハルトを追いながら、真っ赤になってうつむいてしまった。
「何を言われたんだか…」
「あの二人、できてるじゃない」
「短くても聖女の巡礼に参加したものねぇ」
フィーネ達はここでも聖女の旅の御利益を実感したのだった。
「この子がドレスを着てくれるなんて。聖女様達のおかげだわ」
辺境伯と共に現れた女性に声をかけられ、フィーネは深く頭を下げた。
「母上…」
クリスが母と呼ぶ人。このポジションからどう見ても辺境伯夫人だ。
これが王妃よりも強い光の力を持つ、元一番手の聖女候補。美しさ、気品、気配を消しながらも感じる豊かな光の力…。この人は本物だと全身で感じる。
夫人は扇で口元を隠しながらフィーネのそばに顔を寄せ、
「聞かしてもろたよ、聖女入れ替え計画」
耳元でそうつぶやくと、こんな話をしているとは思えないほど優雅に笑った。
「もうすぐ聖女を選ぶ季節やし、きっとうまくいくわ。私も魔物からこの領を守ってくれた聖女様の美談、力を使い果たした聖女様の悲話、がっちり広めとくから」
なんと力強い言葉。この人なら聖女を入れ替える位のことはするだろう。フィーネは小さく頷いた。
夫人はイーダにも耳打ちした。
「聖女の力には愛がいるんよ。気持ちが負けとったらあかん。自分こそ王子を思てる、この国を支える力があると信じるんや。つまらん罪悪感でひるむ程度やったら、本気やないってことやで」
実力不足を補うために細工をすることに不安を感じていたイーダだったが、心の奥を見抜かれ、言われた言葉に覚悟が決まった。
「…はい」
夫人はイーダの決意を見届け、イーダの手に透明な石のついたペンダントを載せると手をかざし、光の力をその石の中に込めた。周囲の者は気付かなかったが、瞬時に満ちた光の力にフィーネもイーダもエルゼも圧倒的な力を感じ、そろって女神に向けるような敬意を込めた礼をした。
この人が聖女になっていたなら…。そう思わずにいられない。
しかし、もし意にそぐわず王妃になっていたなら、愛を失い、この力を維持することはできなかったかもしれない。
力を維持していたとしても、国中浄化されすぎて、あのおいしい赤猪だって絶滅していたかもしれない。国境の森の魔物達がいなくなれば、その先にある隣国が侵略してくることだって考えられる。
聖女の入れ替えが本当にこの国のためにならないなら、女神様が水晶の判定で止めるはずだ。少々小細工しようと、判定を乗り越えたなら認められたということだ。
全ては女神様の御心のまま…。
「幸せは自分でつかみ取るもんやろ?」
夫のエスコートを受け、腕を組んで他の来客の元へと移動する夫人を見ながら、
「なるほど。夫人は領主様のために聖女の座を蹴った訳ね」
フィーネは納得して頷いた。
「あの二人、いくつになってもうざいくらいラブラブやねん」
そんな風に言いながらもクリスが二人を敬愛しているのは確かで、フィーネもまたいつかはあんな風に、と憧れを抱かずにはいられなかった。