2 聖女の巡礼
聖女になると、最初の仕事として一年をかけて巡礼の儀式を行うことになっていた。
王都の大聖堂から国の東西南北にある四つの聖堂に向かい、聖堂の宝玉に祈りを込めて光の力を満たす。王都から聖堂へ、そしてまた王都へ。その旅を四回繰り返し、五つの聖堂の宝玉が光の力に満たされると国の守りは十年間揺るがないとされている。
聖女は王族または有力な貴族と結婚することが習わしとなっており、フィーネもまた第二王子ユルゲンとの婚約を打診されていたが、フィーネは前向きになれなかった。ユルゲンは礼儀正しく、聖女に敬意を持って接してはいたが、フィーネに好意を持っているようには見えなかった。あくまで国策として受け入れているだけだ。さらに苦手な王妃が義母になるオプション付き。
王はフィーネが聖女の巡礼を終えるのを待ち、もし巡礼の間に運命的な巡り会いがあればその相手と添い遂げることを認めるが、特に決まった相手が見つからなければ王子と婚約することを提案し、聖女に譲歩して見せた。しかし王家を敵に回してまで結婚を申し込む者がいるとは思えず、事実上王子の婚約者になったも同然だ。それでもフィーネはその条件を呑むしかなかった。
王子との結婚が嫌なら、この一年以内に何とかしなければ。
王の提案は、聖女に無理強いをしてその力が弱まることがないように配慮したものだったが、フィーネのあがく気持ちを助長させただけだった。
二十数年ぶりの新聖女の巡礼を前に、出発式の隊長の話は無駄に長かった。特に旅団内での恋愛は御法度だと何度も繰り返され、聞いているだけでうんざりした。聖女を牽制できない王が隊長を牽制したのだろう。
聖女の巡礼に付き添う祈り手として、光の力を持つ修道女の中からセーラとイーダが選ばれた。共に聖女の判定を受けた二人だ。
王室から与えられた白くて大きな馬車は遠目から見ても特別だとわかり、聖女が巡礼の旅をしていることを人々に伝える意図もあった。道中の案内をする者、身の回りの世話をする侍女が四人、王城の騎士団から選りすぐられた十人の騎士に守られながら旅をした。
どの地でも聖女は温かく迎えられた。道中通過する領ごとに領主のもてなしを受け、そのお返しにその地の安寧を祈った。時に荒天で足止めされることもあったが、聖女の滞在は歓迎され、旅は順調に進んでいた。
最初に訪れたのは北の聖堂。自分がいた聖堂だったが、知り合いがいることに安心し、馴れ馴れしくしすぎて威厳が足りないと叱られてしまった。
儀式に慣れないこともあり、言われるままに聖堂と宿を往復する毎日。一日二回の祈り、移動は大した距離でなくても馬車。男女の出会いどころか街の人ともろくに話すことさえできないまま聖堂での一週間の祈りは終わった。見上げると聖堂の天井にある宝玉には液体のような光がなみなみと満ちているのが見えた。あんな所に宝玉があったなんて知らなかった。
道中、小さな教会を見かければ祈るために立ち寄った。聖堂のような厳重な警戒はなく、地方の教会の方がずっと人々に近く、気軽に交流ができた。それも騎士の警備付きではあったが。
旅団内の恋愛禁止を説いていた隊長が、その旅の途中でお付きの侍女と親しくなっていた。自分がそうなるとそれまでの厳格な口調は影を潜め、王都に戻ってしばらくすると隊長も侍女も聖女の担当から別の部署に配置換えになっていた。しばらくして二人は婚約したと風の噂に聞いた。
聖女様を刺激しないようにという「配慮」による人事だったらしい。言ってる人が守れもしないような規律を押しつけて、何を今更、と思いながらも、出会いはどこにあるかわからないものだ。もしかしたら自分にも、とフィーネは小さな期待を抱かないでもなかった。
二月あけて、次の旅は東の聖堂だった。
新しい隊長は口うるさくはなかったが、旅団内での恋愛を禁止するという立ち位置は変わっていなかった。
街の人たちと交流したいと聖堂のある地の領主ベッカー侯爵に願い出ると、一日だけではあったが賑わう街を散策することを許された。もちろん、がっちりと警備の騎士が周囲を取り囲んでいて、話しかけてくるのは裕福な商人だけ。遠巻きに見ている子供達を見ると何となくさみしい気持ちになった。この地でもときめくような出会いはなく、一週間の聖堂での祈りを終えると王都に戻った。
王都に戻ればフィーネはユルゲンに呼ばれ、王城の一角でお茶を飲みながら話をすることはあったが、何度会ってもユルゲンがフィーネに興味があるようには見えなかった。予約された将来の妻に会い、与えられた役割として「結婚」という任務をこなそうとしているだけ。指先であっても触れることはなく、優しげな笑顔を向けられてもときめきを覚えることはない。その笑顔は自分にではなく、国を守る「聖女」に向けられている。それをひしひしと感じた。それは仕方がないこと、ユルゲン自身にもこの結婚話をどうすることもできないのだとわかっていても、聖女としてではなく自分自身を見てくれる人と生涯を共にしたい、その思いは募るばかりだった。
旅も三回目になると幾分か慣れてきて、南の聖堂に行く前には事前に下調べをし、祭りの時期に合わせて訪れた。
警備が大変だと王の騎士から嫌みを言われはしたが、祭りにも参加し、請われるままに祈りを捧げた。虹色に輝く花びらのような光が天から降り注ぐと、街の者は皆感嘆の声を上げ、祭りは大盛況だった。
祭りが終わってからは、本来の旅の目的である聖堂での祈りに力を注いだ。
祈るごとに透明な宝玉に少しつづ光の力が満ちていく。祈りの間、人々は遠くから聖女達の様子を見ているが、祈りが終わればフィーネは積極的に声をかけ、老若男女問わず、聖女の力の恩恵を信じる人々と言葉を交わした。ここ南の地ではこれまで以上に力が満ちるのが早いのは、信じてくれる人たちの思いが加わるからだろう。
南の地は至って平穏で、魔物の出現も多くない。これも歴代の聖女様のおかげだとみなフィーネに手を合わせた。
「いえ、この力を与えてくださった女神様のおかげです」
フィーネは自分が祈りの対象になるなんて、なんだかおかしくてくすぐったく思った。
聖堂に行く度に聖堂を守る地元の騎士と目が合い、遠くから会釈で挨拶した。愛想良く、かつ礼儀正しく、敬意を持って接する騎士に好感を持ち、毎日会うのが楽しみだったが、その視線は自分の後ろ、自分の供をしている祈り手セーラに向けられているのに気がついてしまった。セーラは騎士が視界に入ると平静を装いながらも顔を赤くし、すれ違う時に何かメモのようなものを手渡されることもあり、やがて自由な時間になるとふらりといなくなるようになった。
疑いようもなく、二人は想い合っている。
フィーネは少しがっかりしたが、仕方がないと諦めた。あっさりと諦められる程度の想いだった。
一週間を待たず、宝玉には聖なる力がフルチャージされていたが、そのまま慣例通り一週間祈りを続け、南の聖堂を離れた。名残惜しそうにしながらもセーラも共に王都に戻った。
王都に着くとセーラは大聖堂に戻るなり祈り手を辞退し、新たな祈り手としてエルゼが選ばれた。セーラはその後すぐ南の聖堂に移籍を希望し、王都を離れたと人づてにに聞いた。
旅は残すところあと一カ所。ここで運命の出会いがなければ、第二王子ユルゲンが婚約者になる。あの王妃が義理の母になって毎日小言を…。