第1話 Allowance / 思うこと その2 限りある魂
もし自分にとって一番大切なもの以外は全て与えられて、しかし一番大切なものだけは二度と手に入らないことになってしまったら、その人の心は幸せだろうか。最も自分にとって尊いそれを永遠に奪われてしまったことを嘆くか、あるいは何とかしてそれを取り戻そうと死ぬ気でもがくだろうか。それとも、二番目とか三番目に価値のある残りのものを目の前に並べてみて、これはこれでいいだろうと満足してしまうだろうか。
答えの出ないこのような問いについて延々と考えるのはたぶん無益なことだろう。「時と場合による」、これ以上の結論は導きようがない。ある意味この結論は最善でも最悪でもあるだろうが、その評価すら無意味である。しかし、答えを探すのではなく、さらなる問いを他に探すことはどうだろうか。たとえば、一番大切なものが手に入らないとわかっていて、しかしその一番大切なものが何なのかは不明なのだとしたら。
この問いも無益だろうか? もう少し具体的に考えてみよう。たとえば、食欲とか名誉欲とかいったものは完全に満たされた生活を送っている人が、ずっとこう悩んでいたとする──自分には魂がない。自分は魂を失ってしまった──十年、二十年、いやもっと気が遠くなるほど長いこと同じように悩み続けているとしたら。
では魂とはどんなものか? それをはっきり知らずにこの問いを立てることに意味はないのではないか? だが事実、自分は魂を失ってしまったと心底確信しきっていて、そのせいで深く絶望している誰かをあなたは本当に見たことはないだろうか。これまであなたが生きていた時間の中で、魂を失ったことを絶望している人とあなたは面と向かって話したことはないだろうか。それとももしかすると、あなた自身が、魂を失ってしまったと頭の片隅で感づいているのではないだろうか。
最も自分にとって大切なものが何なのかわかっていないのに、しかしその喪失に深く苦しみあえぎ、しかもその喪失の正体が不明なせいで苦しみをどう言い表していいか、いや正確には苦しんでいる自分を知ることがわからなくなってしまっていること、そしてその暗闇的渇望を覆い隠すため、二番目や三番目のものか、あるいはもっと順位の低い、ともすれば卑しいものによって満足した気持ちを作り出すことは決して珍しいことではない。そうして心はさらにえぐり取られ、より失われていく──天使と死神の支配する、この天国と地獄のはざまで。