009
◯
マリアンナが落ちた闇の底に潜む異物は、鏃の形をしていた。脳の三分の一ほどの容積の鏃は、ヤギが死んだ日に空を流れた星である。だがその実、星は緻密に組まれた機械――異なる星から来た小型艇だった。
省エネルギー状態の暗い操縦席。無人のシートに飛び交う声は二つある。
『ギリセーフ? ねえ、ギリセーフよね?』取り乱す声はエトランゼ。
『アウトです』端的に冷静なラァ。
『アウトだったとしてもセーフ寄りのごまかしが利くアウトと言う名の実質セーフだよね? ねえ?』
『アウトです』
『融通利かしてよぉ。たとえアウトだとしても三回中の一回とか二回とかでしょ?』
『遭難に始まり、当該有機体のアルゴリズムを司る中枢器官を破壊。原生知性体が死亡認定した遺体で、疑似人格アルゴリズムの強制起動を衆目に晒す。次いで未習事項を強引に補足。スリーアウトです。当該有機体を含めると、原生知性体に我々の存在を感知されるリスクはこの葬送儀礼で飛躍的に高まりました。条約違反必至です』
『条約ぅ……』
“自発的な恒星間航行手段を持たない惑星文明への入星管理条約”――端的に表せば、独力でかつ継続的に宇宙に進出できる文明としか、全宙連合加盟惑星は接触しませんよ。という約束事だ。連合と気取っているが、その実、母星に飽き足らず宇宙を股にかける野望を抱いた異星文明の寄り所帯である。この条約は、原生文明の保護はもとより、諸惑星で諸々の利権を巡って牽制し合う意味合いも含まれていた。
それを、不可抗力とはいえ、エトランゼはぶっちぎりで破ってしまった。現地の生物を、それも、知性ある者を殺害する形で。
そこまでなら、まだ良い。条約には、殺しちゃったら、まずできるだけ元に戻しましょう。ともある。そのための装置だってある。現にこうして、マリアンナ・インヴァゾーラ・バルバロスなる知性体アルゴリズムの再現も途中まで上手く監督できていた。
時間さえあれば、葬式中に復活するなんて無茶な蘇り方はせずに済んだのに。下等な文明のくせに、遺体の処理の速さは有機転換処分の手際に近い。
『……まだ何とかなるわ。マリアンナの記憶を参照する限り、この惑星の住民は奇跡なんて信じるおめでたい方々らしいし? なら、その風潮に乗らせてもらおうじゃない。それに』
条文には更に、免責事項も設けられている。この逃げ道が、エトランゼの本命だ。
『とにかく、疑似人格アルゴリズムの構築を再開しないことには話が進まないわ。ラァ、プロセスを再開して』
『告知事項があります。当該疑似人格アルゴリズムは不完全な状態で稼働中です。休眠状態には移行できますが、シャットダウンはできません。結果、学習効率が著しく低下しています』
『学習時間の圧縮は、これまで通りいかない、か。マリアンナの未練、こっちで探した方が良さそうね』
『また、稼働中に時系列を無視して記憶素子を強制連結した結果、細いながらも記憶素子ネットワークとのバイパスが構築されてしまいました。今後は、不規則的に記憶が想起される恐れがあります』
『つまり、実際は追体験に過ぎないけど、本人にとっては、ふとした拍子に未来の出来事が見えてしまう、ってこと?』
『はい。アルゴリズムの構築に与える影響は未知数です。現行のアルゴリズムを破棄の上、再構築することを提案します』
思案気に、一つ息を整えるエトランゼ。昏睡中のマリアンナのバイタルを表示する。循環器系に流れる不随意的かつ微弱な生体電流の波形パターンを、リアルタイムでグラフ化している。描かれる線が、あまりにも頼りない命綱に見える。
『いえ、このままいくわ。やり直すには時間が惜しいし、もし葬式中の記憶を失くしたら一貫性を欠いてしまうもの。私たちの存在に勘付かれることはないでしょうけど、疑念はあまり持たせたくないわ』
『それでは……』ラァがしばし演算する。『不測の事態に備え、以降の疑似人格アルゴリズムの構築プロセスはセミオートでの実行を推奨します。当機と貴官で当該有機体の記憶素子ネットワークに介入し、発生したノイズを逐次修正していくのが最適でしょう』
『オーケー。それで』
SHIFT PUSEUDO-PERSONALITY ALGORITHM TO SLEEP MODE.
LEARNING PROGRAM ACTIVATED.
RESTART TO BUILD PUSEUDO-PERSONALITY ALGORITHM IN SEMI-AUTO.
PROGRESS 62.8%■