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キャトルミューティ令嬢の復活  作者: ゴッカー
6/14

006

 その後、殿下が公国に滞在されている間は、「ぼけ~」と熱病に浮かれた心地のままだった。

 朝、兄と相対しても修練にならない。早めに切り上げる。ただ、木剣だけはお守りのように肌身離さず持ち歩く。侍女の良いように身を清め、今まで突っぱねていた花畑のようなドレスを着せられた。ペチコートを飽きるほど重ねて、スカートが重い。

「お花、もっとお花を! おひい様が素直になられた今こそ千載一遇の好機! ……そうだわ。ボンネットもお召しください! リボンをお花に結びましょう! きっとお似合いですわ!」

 この後、タカ狩りの訓練があることを、侍女は失念していた。殿下の御前でその風景を披露したのだが、ボンネットはいただけなかった。肝心のタカが私の指示を離れて、この頭に営巣を始めたのだ。急遽、大公様の実演に変更された。

 乗馬訓練は私の得意とするところ。だが、生憎と「ぼけ~」なもので、加えてドレスである。横乗りは初めてだった。だらんとした私は、鞍の上の敷物のように仰け反った。騎手の意識を映すように、馬はあらぬ方へ行く。馬方が止めてくれなければ、放馬していたかもしれない。

 薬学の実験では、当然の如く私は外された。母上が手慣らしに嗅ぎ塩を作り、小瓶を私の鼻の前でくゆらせた。全く効かない嗅ぎ塩に、侍女で試す。侍女は盛大にむせて、男なら放っておけないような泣き顔をこしらえた。

 殿下と大公様の晩餐に同席したが、どのご馳走も口の手前で止まってしまった。不意に、横からフォークに刺した肉が、唇に当たる。芳しい香草に誘われて、夢うつつを口に含む。肉は良い。私に活力をくれる。肉を呑み、小康を取り戻して、食べさせてくれた御仁への感謝が喉を出かかる。

 ミズラフィル殿下だ。

「ひょわっちょ」は疑いようなく私の声だった。

 私にあるまじき食欲不振に見舞われる。熱病は決定的となった。

 侍女の趣味の寝間着を着せられる。床に就くも、アメジストに目がチカチカしたまま、翌朝まで天蓋を眺める。侍女の趣味のドレスを着せられる。

 あれよあれよと殿下がお帰りになる日。家臣総出、一家で殿下のお帰りを見届ける。

 獅子公とも呼ばれた大公様を前にして、臆せず殿下は滞在中のお礼を述べられた。言葉を交わすことそこそこ。殿下は例のゆったりした足で、私の前に立たれた。細い腕を広げられて、花束を受け取るように、正面から、ふわりと。

 頬と頬が触れ合う。

「マリアンナ嬢、もし――」

 ひそひそ声が耳をくすぐり、私にトドメを刺す。殿下のお言葉は、私の絶叫が掻き消した。

「殿下、後生にございます」母上がおろおろしている。「どうか、うちの愚女に手心を、何卒」

 殿下は不思議そうに逡巡し、素っ気なく「そうか」とお離れになる。絶叫をモロに受けた耳をポンポンと叩きながら、別れのご挨拶をなさった。

 大公様の騎馬が先導し、殿下の馬車が見えなくなった後、遅れて、「このおバカ」と、母上の平手が私の尻を鳴らした。熱病にかかってから今日、やっと木剣を手放した。

 尻が燃えて、顔の熱を吸ってくれた。

「は、ははは母上! 辱しめられた!」

「ええ、ええ、そうでしょうとも。我が家の名が、あなたにね。この子ったら、公国の名に泥を塗って……よりにもよってミズラフィル殿下の御前……連邦中に醜聞が……ああ……」

 母上はこの数日、ハラハラしていたそうな。冷えた頭で数日間を思い返す。さもありなん。と、どこ吹く風をうそぶけば、痛い追撃を尻に食らった。今度のお冠には肝まで冷やした。腹いせに「師匠にもバカめと言われた」と告げ口してみたが、「当たり前です」と怒鳴られる。

 あまりの剣幕に首をすくめて、初めて自分の格好に気づいた。バカみたいにフリフリで、これでは尚のことバカに見えてしまう。まさか頭の先まで着せ替えられようとは夢にも思わなかった。この歳でボンネットを被る? マセガキではないか。

「あなたもですよ、ニッサッサ」溜め息をつく侍女に、母上の説教が飛び火する。「あなたが傍に仕えていながら」

「た、大ッ変申し訳ございません! 大公妃様!」

「そうだぞニッサッサ。私は師匠と母上のお墨付きを得たバカなのだぞ。君がしっかりしなくてどうする」

 大人の女二人の息は、こうもピッタリ合うのかという一撃が、尻を見舞った。

 女たちの気迫に、兄は委縮に終始していた。


 就寝前、自分の尻に……もとい、腰に寿命を尋ねる。母上の折檻は腰に響く。下手を打てば、花盛りを飛ばして腰の曲がった老婆になりかねない。姿見で丹念に腰の柔軟を確かめて、納得いったときのこと。額の傷が痕も残さず塞がっているのに気がついた。

 不思議な思いを一晩寝かせる。翌日、稽古再開を伺い立てるついでに、師匠に尋ねた。曰く、イダリス王家の者は神代の落胤で、地上で唯一、奇跡をお使いになる血族のお生まれだという。治癒はその奇跡の一端なのだそうだ。

「羨ましいって顔だな。可愛いねえ」

 ニヤニヤと嫌らしい師匠からプイと顔を背け「どうも思っとらん」と話は終わったことを告げる。

「可愛くないねえ……。でも、嬢ちゃんも奇跡を使ってるぞ」

「……本当か?」それはそれで面白い。

「本当だとも。公女でそのバカさ加減は奇跡だよ」

 返す言葉の代わりに木剣を振る。あくびついでに師匠は素手で受け止めたので、ブーツで股間を蹴り上げてやった。固い。こやつ、プロテクターを仕込んでいる。師匠のしたり顔が憎たらしい。

 募る鬱憤の先に、大公様の金言が聞こえた。「限界は決めるな。当たるまでやれ。然る後にこそ限界を知れ」蹴り上げた足はまだ金に当たらない。ならば力一杯押し上げるのみ。

「じ、嬢ちゃん、おい冗談」

 苦笑いのズボンの中でプロテクターが滑り、ゴリ、とした汚い感触が足を伝う。去勢されたボーイソプラノのごとき悲鳴が響き渡り、稽古は師匠側の都合で中止となった。

 師匠は野暮だ。野暮が高じて所帯を持てない。野暮ったい話の世界からひょいと跨いで生まれたような男が、夢のようなことを口走ったのだ。殿下は侮れないお方なのだ。私は努々忘れまいと胸に刻んだ。

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