012
招聘に与り、首都イズラフィンドの王宮に参上する道中、馬車に揺られる長旅の最中のことだ。
「マリアンナ、お聞きなさい」
と、母上が切り出した。私の他にはニッサッサが侍る。女同士の秘密の話に背筋が伸びた。母上は、神妙に語り始めた。
「イダリスの王は代々、二人の妃を抱える習わしです。どちらが側室でもなく、法典において優劣もなく、役割の違いがあっても、どちらも正妃として迎えられます。何故かわかりますか」
「婚姻の所以、か……」
婚姻の形は国の事情により多様である。道徳や公平を重んじる余裕があれば順守するに越したことはなく、一夫一妻。殉職者が多く、配偶者の保護の必要に迫られる世情においては多夫多妻まで。国境を跨げば母国のタブーがまかり通っていることなど珍しくもない。
二人の妃はその点、半端な数だ。寡婦の保護にはケチ臭い。王位の特権を誇示するには慎ましい。にもかかわらず、道徳的模範や公平をかなぐり捨ててまで一夫二妻に拘る理由など、実利の外にあるとしか考えられない。
ははん、と独り合点がいった。理由はどうあれ、ミズラフィル殿下は私をからかうために婚約を結んだところで、もう一人だけ本命を選べるのだ。小癪な小僧め。貴様の思い通りになってたまるか。
「見くびるな母上。ずばり、勝った方が正妻だ」胸を張って主張した。
「お里が知れますよ」
「祖国の名が轟くなら、私も鼻が高い」
もっと胸を張って言う。もう張る胸はない。考える頭も。売り切れだ。
母上は頭痛持ちである。いつもいつも憂鬱そうに眉間を摘まんでなさる。優れない体調をおして、母上は教えてくださった。
古来より宗主イダリス教国の王位は二つの顔を持つ。為政者としての顔“教王”と、神職最高権威としての顔“伝導師”である。聖俗を束ねる統一王の象徴や絶大で、今日の発展の元を辿れば、この聖俗統一が原点と言われる。
その威光を示すように、イダリス王宮には特別な婚姻制度があった。
人性・肉体を象徴する冠、教王位は、下賤の者より王妃と。聖性・精神を象徴する錫杖、伝導師位は、貴人より覡妃または巫婿と。それぞれと婚姻を結ぶ。
「私が信仰の象徴? 嗤わせる」
「最後まで聞きなさい」
双妃の違いは色々あるが、その最たるものが後継者の選定であった。
王の世継ぎとなるのは、王妃と儲けた男児である。伝導師の精神と契る覡妃が得るのは名誉のみ。覡妃と子宝を儲けないこともない。が、ごくわずかな事例を除けば、伝導師の子は教王との血縁関係を否定され、文字通り、神からの授かり物として扱われるのが通例だった。
「ミズラフィル様と添い遂げるのはあくまで王妃。別の女です。身分の低い者から見初めるのですから、腕は期待できません。そのため歴代の王妃には、離宮に隠遁する境涯を送られたお方が多いのです。その代わり、その選定には教王の私情が大いに絡みます。当然、ご寵愛も厚いことでしょう。対してあなたは公爵令嬢の立場を買われたに過ぎません。伝導師……まあ、表向きは教王ですが、王と共にイダリス教国の栄光を背負って表舞台に立ち、老獪から新鋭まで、海千山千の諸侯と腹を探り合える能力を問われています。それが覡妃、あなたが成る妃です。華はあっても愛はない。あなたは教国の名誉と添い遂げるのです」
「なるほど」
「……そうか。世継ぎは必要だけど、王位継承問題を内憂に拡大しかねない権威的な外戚を極力排除したい。その点、庶民と契るならそんな派閥の悩みも少なくて済むわ。でもって、有力諸侯との友好を保つ抜け穴をきちんと残してさえおけば不満も最小限で済む。王家に取り入るために、諸侯は互いに切磋琢磨する必要に迫られる。とすると、王家に不満を持つどころじゃなくなって……情勢が崩れさえしなければ、良くできたしきたりじゃない」
私の侍女は、人が変わったように雄弁だった。私も母上も、呆気にとられた。
「ニッサッサ、どうした急に」
「……あ、えっとお」泳ぐ目が天井を向く。「アハハ。ラァ、お願い」
『セミオート構築中の言動に注意してください』
冷たく抑揚のない声に、微かな呆れがあった。
PAUSE PROGRESS.
NOISE DETERCTION......DEVELOPER-DERIVED
THE LAST 1% OF PROGRESS DELETED.
STORAGE ELEMENTS NETWORK MODIFIED.
RESTART PROGRESS.■
「なるほど……」と言って、ふと、私はニッサッサの方を見た。侍女に期待している。何を、かは説明できない。そもそも話の蚊帳の外だったニッサッサも対応に苦慮し、苦笑いを返すばかりだった。
これでは母上に気が利かないような気がした。
「王位継承に口出し無用、私と殿下は睦まじいのだな!」
「なるほど、じゃありません。全然違います」
馬車は進み、車輪はグルグル目まぐるしく回る。おかしい。確か、そういう話だったような気がするのだが。それよりも、私と殿下が睦まじい? 何故、私がそのようなことを口走らねばならん。兄に頭を打たれてから、時々おかしいぞ。
「全く、母上の前で惚気るほど殿下をお慕いしておいて。もう誤魔化せませんよ」
「ごっ」一際大きく揺れて舌を噛みそうになる。「誤魔化してなどない。慕っておらん。あの陰険なぞ……」
我が母上ながら、憎たらしい訳知り顔をする。揺れる馬車でこうもご機嫌になる婦人は、史上稀なる数寄者だろう。
咳払いを一つ。改めて私の意思を表明せねば取り返しがつかない。
「母上のお話はよくわかった。やはり片割れの妃に勝てば良い」
「あなたったら、また」
「しきたりには従おう」母上の声を遮り、伝える。「役を演じ、期待に応え、価値を示す。公爵家に生まれてから今日、政略の道具になる日が来るやもとは思っていた」
だが、しきたりなど所詮は先人の願い。私たちの心と別物だろう? そう言い放ったとき、母上は目を見張った。
「ご照覧あれ、母上。手始めに殿下のお心を射抜いてご覧に入れよう」
「自惚れるんじゃありません」母上は冷ややかに突き放す。「色事に疎いでしょうに、粗忽を晒す姿が目に浮かびます。一体どこからその自信が湧くのです」
「母上よ、私は殿下に一泡吹かせたいのだ」
ほとんど溜め息のような「はあ?」が漏れた。母上は怪訝さに酔った顔で首を傾げる。
「殿下の妖しげな気配が私を惑わせるのだ……あれはきっと奇跡とやらに違いない」頓狂の度を増した「はあ?」が聞こえる。「おまけに文の一つで私から剣を取り上げよった。婚約話まで持ち出してだぞ」
「そ……れは、順序が逆、じゃないかしら……? ご婚約をお申し出くださったから、結果的に剣のお稽古の暇がなくなるのだから」
「いいや、意地悪な殿下のことだ。私をからかうのが先に決まっている。どうせ……飼い殺しか、あるいは婚約なぞ破棄する腹積もりだろう」最後の一言が、妙に喉にねばついた。
「口を慎みなさい! 仮にも殿下直々にあなたをお選びになったのです! 不敬ですよ!」
「だが母上よ、婚約だぞ。それもイダリス王太子殿下と。この私が」
「それは……う、うぅ……ん」
母上よ、申し出た手前、私も同意することではある。が、言葉に窮するほどか。傷つくぞ。
「こんな大人げない搦め手で、我が家のモットーを虚仮にされて黙っていられるか。母上よ、両国の友好などとんでもない。事は両国の威信を競う局面をずっと辿っている」
「それは、どうなのかしら」
「どうもこうも、そうなのだ」
母上はなおも、難しい顔で首を傾げている。母上は他国から嫁入りしたのだったか。大公様のお傍にいても、バルバロスの勘は度し難いのかもしれない。
ならば、わかりやすく指南するまで。
「母上よ、つまりは報復だ」言葉を高く掲げる。「搦め手の礼にまずは、本気で惚れさせてくれる。殿下には事ある毎に手紙をくれてやろう。妃教育の成果やバルバロスの明媚な情景を載せてみろ。私の美文に誘われて、殿下は私の言いなりになるに違いない」段々、楽しくなってきた。「そうなればこちらのもの。文で殿下一人を、私の独壇場に誘い出したところが百年目よ。この私自らの手で、夜が明けてから日が暮れるまで、嬲って嬲って嬲り尽して、許しを乞うまでボコボコにしてやる……!」タイトなスカートに両拳を何度も叩きつける。「“バルバロスが史筆は血に浸す”のだ!」
モットーを高らかに宣言し、拳を天井の向こうに広がる空に捧げる。ニッサッサが遠慮がちに淀んだ拍手を送る。「やめなさい、ニッサッサ」母上に従う。心ばかりに車内の隅へ身を引いた。
母上のこめかみに、乱れた御髪が一筋、はらりと垂れる。熱く語った私の演説に言葉も出ない。やっと口にしたのは、穏やかさであった。
「……そうですか。そのようなことを考えていたのですね。よく話してくれました、マリアンナ」
「母上よ、では」後ろ盾になってくれるなら心強い。
「これからは私の言うことをよく聞きなさい、マリアンナ。そして、あなたは余計なことをするんじゃありません」
交わした握手をスパッと切り落とされた気分だ。
「母上よ、しかしそれでは」
「絶ッ対にぃ! な、り、ま、せぇーん!!」
馬たちが怯えた。家臣団の馬車も軒並みやられ、なだめ終えるまで旅路は一休みである。




