47 薄明の国
「あれは、ヤモさんの結界じゃないと思う。」
翌日、大学のアトリエ棟で美柑が樹に言った。
「あれって・・・、オレと飯島が迷子になった話?」
「うん。なんて言うか、少しズレてるんだ。あの家自体が——、こっちの世界から。」
「ズレてる・・・って、どういうこと?」
「えーっと、つまり・・・、もののけ路みたいに。あれほど完全に別世界じゃないんだけど、少しだけズレてるから、気を抜くと門を見落としちゃうんだよ。普通の人は——。」
「なんか、塩津は普通じゃないみたいな言い方だな——。」
「わたしはほら、霊感があるから。入り口はちゃんと感じるんだよ。もののけ路の入り口でもね。だから意識を逸らされない。」
「つまり、ズレるってのは、意識を逸らされる、ってこと?」
「そ。空間が歪むみたいにして——。わたしたちの住んでる世界には、そんなふうにしてわたしたちが普段意識している世界とは違う世界が隣り合わせにいくつか存在してるんだよ。」
樹は少し考えてから言った。
「そのズレ、まずくねぇ? お客さん、来ることできなくならないか?」
「うん・・・。」
「やべーよ、それ。今日、もう1回鬼乃崎ンち行こう! だって、お客さんが来れなくなったら・・・。幸子さん、せっかく頑張って調理師免許まで取ったのに・・・!」
美柑はそんなふうに言う樹の袖を引っ張った。
「ズレの原因は、・・・たぶん、ヒロちゃんなんだ。」
「え? ヒロちゃんが? なんで? 晴れて女の子になれたから・・・ってこと?」
「うん。たぶん——。ヒロちゃんの気持ちが変わったことで、あの家の空間が少し、こちらの世界とズレちゃったんだと思う。」
美柑は口元にだけ微笑を浮かべて、ちょっと複雑な表情をしている。
「だけど・・・、あの場でそんなこと言えると思う? あの子、あんなに幸せそうにしてるのに・・・。」
美柑は泣きそうな目で樹の顔を見た。
「やっと、本当の自分になれたっていうのに! わたし、ヒロちゃんには幸せなままでいてほしい! この先も、ずっと幸せでいてほしい! たとえそれで、ズレが大きくなっていくとしても——!
わたしたちが出入りできるような仕掛けをヤモさんと考えてみるし、符を錨みたいにして使うとか——。お客さん減るんなら、わたしが他で稼いで助けたっていいし! 九郎クンが明日大学に出てきたら、話してみる。」
それから、本当に、ぽろっと涙をこぼした。
「ヒロちゃんには、知られたくない・・・。」
翌日、アトリエ棟前の芝生に『ペンション幸』のスタッフ4人が並んで腰を下ろしていた。
「うん。オレも美柑の意見に賛成だな。ヒロちゃんがせっかく本来の自分を取り戻したのに、ズレの原因がそれかもしれない、なんて口が裂けたって言えないよ。」
九郎が、別に困ったふうでもなく言う。
「お客さん・・・減ったら、どうすんの?」
美里亜が芝生を見つめたまま、九郎に聞く。大学の学費は、それだけが頼りなのに——。
「来季の授業料くらいは、なんとかなるよ。お鈴さんとヒロちゃんの動画がけっこう稼いでるしな——。固定資産税の問題はあるけど、まあ、それはお鈴さんのお金でも・・・。」
「葉っぱになるやつ?」
「ATMから葉っぱ出てきたら、銀行の人びっくりするだろうなあ——。」
と、九郎が笑う。
「なんとなれば、オレ大学やめて働いてもいいし——。」
「わたしも働いて支える!」
美柑が意を決したように言った。
「美柑までやめる気?」
ちょっと悲痛な声を出した美里亜に、美柑が笑顔を見せて言った。
「違うよ。バイトだよ。デザインの仕事、請け負ってみる。自分の勉強にもなるしさ。」
樹が自分の膝を、ぱん! と叩いた。
「よし! 起業しよう! 学生のままで。」
皆、一斉に樹の方を見た。
「デザインの会社を立ち上げるんだ。オレたちで——。鬼乃崎をやめさせたりするもんか! たとえ上手くいかなくたって、オレたちはまだ学生なんだ。就職するにしたって、その経験はプラスに働く!」
樹が、無謀とも見える「夢」を、みんなの前の芝生の上に、どーん、と置いた。
やっぱりこいつは、プロデューサー向きだよ——。
「起業・・・かあ・・・。」
美里亜がつぶやいて、その夢をそのまま持ち上げるような目で空を見上げると、他のみんなも同じように空を見た。
真っ青な秋の空に、白い筋雲がいくつか見えた。
* * * * *
「やあ、久しぶり。」
ラフなジーンズ姿の樹が手を上げた。そういう服装でも、身ごなしはすっかり社会人になっている。
「忙しそうだね——。ってか、なんじゃそのヒゲは。(笑)」
フワッとしたパンツファッションの美里亜が樹の顔を見て笑う。
「いいだろ別に——。めっちゃ忙しいよ。ようやく休みが取れた。」
「あそこに行くのも久しぶりだよね。まだ入れるかしら、わたしたち? だって、少しずつズレが大きくなってるんでしょ?」
「大丈夫だよ。だってオレたち、ヒロちゃんの仲間だもん。」
2人が手に持っているのは、それぞれが選び抜いてきた「ヒロちゃんへのお土産」だ。
2人は坂の上で一度立ち止まる。
「見える? 門。」
「大丈夫、見える。」
「見失わないように行こう。」
樹が手で押すと、門は、ぎいいぃぃぃ・・・、と開いた。
「懐かしいな、この音も。」
門の脇の目立たない看板も、あの時のまま変わっていない。
「美柑たち、元気にしてるかな——。」
あれから『ペンション幸』は、次第に常連さんたちだけの特別な場所になっていった。
もちろん、樹たち元スタッフは出入りできるし、小松涼太も敷島英司も特別なお客さんだ。
だから———
今はもう、あなたがふらりと覚王山に行ってみても『ペンション幸』は見つからないかもしれない。どの坂を下りても登っても、たぶんその門は見つけられないだろう。
でも・・・・。もしあなたがハンパないほどの廃墟×幽霊オタクだったり、「ヒロちゃんに会いたい!」という強い思いを持っていたりしたら・・・・
完
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
「幽霊屋敷へようこそ」は、これでおしまいです。
また気が向いたら、続きとか外伝とか書いたりするかもしれませんが・・・。
それではみなさん、良いお年を。。
なんなら日泰寺の除夜の鐘など聞きながら・・・・。
あ・・・、ひょっとして鐘が鳴っている間だったら、見つかるかも・・・




