41 家守り
「ヤモさんはね——。」
と矢田さんは言いかけてから、途中で止めてヤモさんの方を見た。
「ああ、ヤモさん。私が話しちゃってもいいですか?」
「ああ、頼むぎゃ。わしゃあ、矢田さんみたいにうみゃーこと説明できんでなも。記憶も一部飛んどるし・・・。」
「や・・・ヤモさんって・・・、女性だったんですか?」
九郎は目がまん丸になったままだ。
「ああ、九郎さん。そこで止まってますか。」
と、矢田さんが笑い出した。
「だって・・・、『わし』とか言うし・・・、てっきりオジサンだとばかり・・・。」
見かけも——、と言おうとして、それは止めておいた。女性なら、それ言っちゃマズいだろ・・・。
「大正から昭和初期にかけての女の人は、この辺りではよほど生まれの良いところの子女でなければ、自分のことを『わし』とか『おれ』とか言うのは普通でしたよ。」
そうなんだ・・・・。
「おトキさんは・・・」
と矢田さんは話し始めた。
「ああ、おトキさんというのは人間だった頃のヤモさんの名前ですよ。三河の山里の出身でね、なかなかの器量良しでしたよ。今は見る影もありませんがね。」
え? それ、言っちゃっていいの?
「うほほほほ。」とヤモさんが笑ったので、九郎は、(あ、気にしてないのか——)と思った。
「当時の古川家の跡継ぎ、つまりボンのお父さんに当たる人ですが、別荘に来ていたその人に見染められて、おトキさんは古川家に入ったんです。ただし、当時の当主、ボンのお祖父さんに当たる人が、家柄が悪すぎる、と反対してね。結局、正妻は別の家からもらう、おトキは妾、ということで許しが出たんです。」
「ところが、正妻の方に子ができない。一方おトキさんは男の子を産んで・・・。家族会議の結果、外向きには『正妻の子』ということにして、ボンは『古川家の長男』になったのです。」
宿泊室の方からは、幸子がヒロくんに本を読み聞かせている声が小さく聞こえてくる。
「ところがボンが5つの時、正妻にも男の子が生まれたんですね。さあ、正妻の気持ちは穏やかではありません。血を引いた自分の息子を古川家の跡取りにしたい、と思ったわけですね。ボンは急に冷たくあしらわれるようになり、正妻は旦那に自分の血を引いた息子を跡取りの位置に据えるよう迫るようになりました。
一度決めたこと、として旦那が取り合わないでいると、正妻はヒステリーがひどくなって、そのうちボンを叩いたりするようになったんです。ボンの食事に毒が入っていた、というようなウワサまで使用人たちの間で囁かれました。
それで旦那はボンを正妻から引き離すことも兼ねて、こちらの別荘におトキさんと一緒に住まわせたんです。」
「ところで、大事な長男であるボンは『魔除けのため』として、7つになるまで女の子の格好をさせられて育てられていました。7つの誕生日に『斎み明け』になって、ボンは男の子の格好に戻されました。紋付袴のボンは、なかなか凛々しかったと聞いています。」
「ところが、ボンは体は男の子でしたが、魂は女の子だったんですね。
ずっと女の子の格好で育てられたことが影響したのか、それとも生まれつき魂と体が一致していなかったのか・・・。
斎み明けの儀式が済んでからも、旦那様やお祖父様がここへ来る時以外は家の中では女の子の服を着て過ごすことが多かったのです。
それが・・・、当主であるお祖父様に知られることとなったのです。厳格なお祖父様は烈火の如く怒り、ボンを『長男』の位置から外し、さらに『世間から隠せ』と言ったというウワサもあります。
そうして、おトキさんが本家に呼び出されている間に———。 ボンの姿は消えてしまいました。
おトキさんは必死にボンを探しました。家の中のあらゆるところ、庭の隅々まで。そして、見つけてしまったのです。居間に敷かれた絨毯の下の床に、夥しい血の跡のようなシミを——。
何があったのかは想像できましたが、おトキさんは認めたくありませんでした。半狂乱になって付近の山の中を探して歩き、夜になって精も根も尽き果てて帰ってきたおトキさんが見たのは、暗い居間の中に哀しげな目をして立っているボンの幽霊でした。」
なんというひどいことを・・・。九郎が思わずヤモさんの方に目をやると、普段陽気なヤモさんが泣きそうな顔をしていた。
「その後、幽霊が出るというので使用人たちは出てこなくなり、建物には厳重に鍵がかけられ、出入り禁止になりました。おトキさんは古川家当主の大旦那から離縁を申し付けられ、三河の実家に帰るよう言われました。使用人たちのウワサで、殺されたボンはこの家のどこかに埋められているらしいことも耳に入ってきました。おトキさんは実家には帰らず、この家の庭にあった松の木の枝で首を吊ったんです。」
ヤモさんはじっと目を閉じて聞いていたが、ぽつりと呟いた。
「そこから先は、よう覚えとらんのだぎゃ。気がついたらこの姿になっとったでなも。」
「その部分も私はいろんなところから聞いています。」
と矢田さんは言った。
「おトキさんの遺体は故郷の三河に返され、そこで荼毘にふされました。・・・が、おトキさんの魂はここに残りました。結局、家の中と庭の両方に幽霊の出るこの屋敷は誰も寄り付かなくなり、荒れていったんです。
おトキさんは家の中に閉じ込められてしまったボンを救い出したかったのでしょう。せめて埋められた場所から掘り出して、供養してやりたかったのかもしれませんね。夜な夜な、鍵のかかった家の周りを彷徨くおトキさんの幽霊を見た、という人が何人もいたといいます。」
「しかし、中に入るには出入りのできる『体』が必要です。鍵は結界の役割を果たし、ボンを家の中に閉じ込め、おトキさんをその外に締め出してしまっていましたから。出入りのできる生きた体が必要でした。
そうして、おトキさんはこの家に棲むヤモリに憑依したんです。」
「それで・・・」
と九郎は初めてこの話に声に出した質問を挟んだ。
「それで、『ヤモさん』って呼んでるんですか?」
「そう呼ぶようになったのは、私らのようなものが集うようになってからです。」
「わしは・・・」
と今度はヤモさんが口をきいた。
「初めは日路彦の体を探そうとしとったんだなも。だけど、学のないわしにゃ、どこに埋められとるのか皆目わからんで、この家が取り壊されて何もかも分からんようになっちまわんように守ることにしたんだぎゃ。」
「ヤモリという蟲の名は『家守り』からきているんです。」
矢田さんは、帽子をひょいと上げてそう言った。
「あの小さな生き物は、昔から家を守ると信じられてきたんです。」




