35 チッペンデール
「チッペンデールっていうのは、18世紀の有名な家具デザイナーだよ。自分でも工房持ってたけど、デザイン画集を出版してイギリスの工業デザイナーとして有名になった——たぶん世界で最初の量産を前提とした工業デザイナーって言える人だと思う。」
「そうなんだ・・・。」
「鬼乃崎クン、デザイン科だったらそれくらいは知ってなきゃ。」
美柑がちょっとドヤ顔で言う。
「さっきの人・・・、宿泊用の部屋の動画見て、置いてある家具がチッペンデールじゃないかって・・・。」
「あ・・・、確かに——。あの飾り棚、言われてみればそうかも・・・。」
九郎と美柑は、宿泊室にしてある部屋に行ってみた。部屋の壁にくっつけてガラス扉の付いたアンティークな飾り棚が置いてある。もちろん、元々この家にあったものだ。
ガラス扉ではない扉を開けてみると、何冊かの本がまだ入っていた。
「前の持ち主のかなぁ。」
飾り棚の足は優美な猫足で、硬い木を削り出したものだ。今どきの家具とは全然違う。ガラスも昔の製法で作ったガラスのようだった。
「間違いなくチッペンデール?」
九郎が改めて聞くと美柑はさっきのドヤ顔はどこへやら、ちょっと怯んだ様子を見せた。
「わ・・・わたしも、本物は見たことないから・・・。」
「あの人・・・、50万で買いたいようなこと言ってたなぁ。」
「え? そんなに? あ、でもチッペンデールだったらそれくらいするのかも・・・。わたし、よく相場わからないけど・・・。」
その時、急に部屋がひんやりしたような気がして、九郎は後ろを振り向いた。
九郎のすぐ背後にヒロくんが立っていた。ただ、いつものヒロくんと違って睨むような恨めしいような目をしている。
幽霊の目だ。 と、九郎は思った。
「あ・・・、これ・・・・ヒロくんにとって大事なもの・・・?」
こくん。 とヒロくんはうなずいた。その目に少し、哀しみのような怯えのようなものが見える。
翌日、分散登校で課題を提出に行った帰りに、九郎は樹に覚王山まで来てもらった。美柑と美里亜は午前中の提出だったのに、午後まで大学で待っていて一緒にくっついて来た。
久しぶりにスタッフ全員がそろったことになる。
「うん。間違いなくチッペンデールだと思うよ。特徴が全部そろってる。年代も最近のじゃなさそうだし。」
にわか鑑定士になった樹が、鑑定団よろしく腕組みしてうなずいて見せた。
「最近の・・・って、チッペンデールって18世紀の人じゃなかったの?」
樹は指をちっちと振った。
「勘違いしてるようだな、美柑。トーマス・チッペンデールって人は確かに18世紀の人だけど、一般的に『チッペンデール』って言うときは『チッペンデール様式』のことで、彼が残したデザイン画に基づいて作られた家具を指すんだよ。
チッペンデール自身も作ってるけど、それはそれほど多くなくて、むしろそのデザイン画でいろんな工房が作って有名になった人なんだ。そういう意味では、近代的なデザイナーの立場に近いよね。
だから家具が作られた年代はいろいろあって、今でもチッペンデール様式の家具を作ってる工房はあるんだよ。ダイニングにあった椅子も典型的なチッペンデールだよね。最もあれは1900年台に作られたもののようだけどね。」
「すごおーい! 後藤クン、そんなことまでわかるの?」
美里亜が目を輝かせると、樹は少しバツの悪そうな顔をした。
「いや・・・、実は、座面の裏に年号が刻んであったんだ・・・。」/(^ ^;)
「なあんだ・・・。」
「それにしても・・・」
と樹は、納得がいかないような顔をした。
「50万ってのは、妙だ。」
「妙、って?」
「ネットで検索してみたんだけど、けっこう20〜30万くらいでも出てるんだよ。もちろん年代にも状態にもよるし、80万とかしてるものもあるようだけど・・・」
そう言って、樹はあごに手を当てて考え込むようなそぶりを見せた。
「それって、売り値なんだよな——。その人、古物商なんでしょ? 買い取り価格で50万以上って言ったんだよね?」
「うん。」
「あり得ないよ。通常はそういう人たちって、最初はうんと安めに価格提示するはずだもん。しかもまだ実物見てないんでしょ?」
「うん。『本物だったら』って言ってた。」
樹はしばらく考えていてから、黙って部屋にセットしてある定点カメラの向きを変えた。家具を画面から外したのだ。
それから皆を促してダイニングに戻ってくると、例のチッペンデールの椅子の背もたれに肘を預けて、また話し始めた。
「まあ、あのカメラは音声は拾ってないんだけど・・・、一応、念のためにね。」
と前置きして
「たぶん、画像でも分かるような何か特徴的なものがあったんだろう。オレたちには分かんないけど、そのスジの人が見たら、いてもたってもいられないようなプレミアがつくような何かが・・・。」
「何だと思う、それ? 一攫千金狙えるようなもの?」
「美里亜のものじゃないだろ?」
また目を輝かせた美里亜に樹は冷ややかに言い放った。その通りだ。仮にすごいお宝であったとしても、それは鬼乃崎九郎の所有物なんである。
他のスタッフには眼福以外、何のご利益もない。
樹は椅子の背に肘をもたせかけたまま、もう一方の手の親指をあごの先に当てて考え込んでいる。
なんだか『名探偵 後藤樹』って感じだな——。と九郎は内心ちょっと可笑しがった。
「これはあくまでも仮説だけど・・・。これがもし、チッペンデール自身の工房で作られたものだとしたら? さらに、もし、どこかに納めたものとかじゃなくて『試作品』だったものが何らかの経緯でここの前の持ち主の手に渡った・・・とかだったら——?」
樹は推理小説の中の探偵みたいな口調になっている。樹もどうやら『探偵』気分になっているらしい。
「天井知らずの値がつくと思わないか? チッペンデール自身の手による、世界で1つしかない・・・。」
そこまで聞いてから九郎も、これは可笑しがってる場合じゃない話かもしれない、と思い始めた。
「知る人ぞ知るようなそういう特徴が動画の画像で見えたんだとしたら、そのオッサンの挙動不審な態度も説明がつくような気がしないか?」
資産家の困窮は、一気に解決するのか。
次回に続きます。




