34 その家具
門を通れない人がやって来た。
梅雨。
と言うには雨が降らない。
いや、雨は降るのだが、梅雨の降り方ではない。
「まるでスコールだなぁ。晴れてたかと思ったら、突然ものすごいのが来るんだもんなぁ。」
九郎は美柑にそんなふうに言った。今日は美柑だけがスタッフとして来ている。例のアマビエの護符を持ってきているのだ。
もちろん、真性のものではない。それらしく装っただけの、ただの美柑のイラストである。
別にわざわざ持ってこなくても郵送すれば済みそうなものだが、美柑はそれを口実にヒロくんたちに会いに来たいらしいのだ。
「若旦那にも会いに来てるんじゃありませんかね?」
と矢田さんが言ったことがあるが、「それはないでしょ。」と九郎はあっさり否定した。
美柑が九郎にそんなそぶりを見せたことは、一度もない。
「ここに入るまで降られなかったのは、護符の御加護かも——。」
と美柑が、どしゃ降りの窓の外を見た。
「あれ?」
このどしゃ降りの中、傘をさして門のところでうろうろしている人がいる。
「お客さんかな? こんな雨の中・・・」
門に手をかけてみたかと思うと、また離して逡巡しているような感じがある。
「何してるんだろう?」
「入れないんじゃないの?」
と美柑が眉をひそめて言う。
「感染してるのかも・・・。妖怪じゃなさそうだから。」
九郎は傘を差して、玄関から雨の中に出た。ヤモさんの結界を通れないということは、邪悪な何かか感染した人である可能性が高いということになる。
そのまま放っておくわけにもいくまい。
家の中からは雨のカーテンで細部が見えなかったが、近付いてみると普通にスーツを着た40代くらいの男性だった。九郎を見て、ちょっと救われたような表情を見せる。
「どうかされましたか?」
九郎は慎重に声をかけた。ヤモさんや矢田さんの忠告によると、門を入れないでいるモノ(人でもそれ以外でも)に対しては「どうぞ」と言ってはいけないらしい。
それが結界の穴となって、悪いモノが入ってしまうことがあるのだという。
「あ、も・・・門が、開かなかったもので・・・。」
九郎は無言で近寄って、門を内側に開ける。雨で濡れているので、今日はいつもみたいに音がしない。
「開きますよ?」
そう言って九郎は、2〜3歩下がって待った。もし結界が通れるなら、そのまま入って来られるはずだ。
「み・・・水溜りが・・・。」
確かに門の下あたりにはこの雨で水溜りができてはいるが、入って来られないようなものではない。だいたい男の足元も同じくらいの水かさで、坂のために流れになって男の靴を濡らしている。
「あなた・・・」
と、九郎は言った。
「この門が入れないんじゃありませんか?」
「え?」
「あなた、人間ですか?」
九郎は直球で尋ねてみた。
「に・・・人間ですが・・・?」
男は怪訝な顔をしただけで、動揺する様子はない。妖怪ではないとすると・・・
「あ、私はこういう者です。」
男はスーツの胸ポケットから名刺を取り出して九郎の方に差し出そうとしたが、手を伸ばせば名刺が雨でずぶ濡れになってしまう。
やはり入って来れないらしい。
九郎が門の外へ出て、傘を重ね合わせるようにして名刺を受け取った。「古物商 霜山蘭方」とある。
本名ではなさそうだな、と九郎がそれを眺めていると、男は一旦マスクを下げて顔全体を見せ、それから喋り出した。どうやら、この雨の中でやって来たことで怪しまれている、と思ったらしい。弁解がましい口調だった。
「いや、例の宿泊のお部屋を見せてもらいたいと思っただけなんです。出る時は晴れてたのに、急にこんな土砂降りになっちゃって・・・。」
別に雨だから問題なのではないのだ。門が通れないことが問題なのだ。
九郎がそのことを説明しようと口を開きかけたところで、男がまた喋り始めた。
「動画に写ってたあの家具——。あれ、ひょっとしてチッペンデールではありませんか?」
そう言った男の目に、明らかに欲望の光が見えた。
「チッペン・・・?」
「チッペンデールです。アンティークマニアにとっては垂涎の品物でして——。見せていただけないですか? もし本物なら、最低でも50万は保証します!」
男の目には、いやらしいほどの欲望が表れて隠せていない。この邪気が、門を通させないのかな? と九郎は思った。
「見るのは構いませんが、それにはこの門を通らなければ・・・。」
そう言って、また2〜3歩後ろに下がる。・・・が、男はやはり門のすぐ外でもじもじしていた。
「み・・・水溜りが・・・」
「あなたの足元だって、十分濡れてるじゃありませんか。」
九郎は、門をすっと閉めた。
「この結界が通れないとすると、あなた、ひょっとすると感染してますよ。帰って受けられるところでちゃんとPCR検査を受けられることをお勧めします。」
「わ・・・私は、そ・・・・」
「その門、別に鍵かかってませんから。」
そのまま九郎は、玄関の方へと雨の中を歩いていった。
九郎の姿が雨の簾に霞んでしまっても、男は門の前でもじもじするばかりだった。しばらく男は雨の中で、家の中を覗き込もうとするように背伸びしたりしていたが、やがて諦めたのか、いつの間にか雨の中を駅の方に歩いて行った。
「チッペンデールって知ってる?」
居間に戻ってから九郎が尋ねると、美柑は露骨にバカにした目を見せた。
「鬼乃崎クン、それでもデザイン科?」




