21 大晦日の午後
今年の鬼乃崎家の師走は、文字通り大忙しになった。
冬休みに入ると学生さんたちの予約で毎日が埋まるような状況で、しかもカウントダウンイベントの準備も同時に進めなくてはならないのだ。
学生の宿泊客の中にはマナーの悪いのもいて、ゴミを散らかしたままにして帰ったり、ベッドや床に何かこぼして盛大なシミをつけていったりする不心得者もいたから、その後始末も大変だった。
「オタクの風上にも置けないヤツだ! ブラックリストに載せて、次の予約は断りましょう。」
樹が床を拭き掃除しながら憤慨していると、その背後に、すうーっとヤモさんが現れた。
「泊めてもええでよ。わしらが祟ってやるで——。」
祟る‥‥‥?
すると、どこから入ってきたのか、その傍らに矢田さんもいつの間にか立っていた。
「一応、私たちで復元術がかけてありますから。」
そう言って何やら片手で印のようなものを結ぶと、床の汚れがふうっと消えて、元の年代がかった風情のある床に戻った。
「ペンションやるとなれば、こういうこともあるかと思いましてね。」
そう言って矢田さんは、いつもの癖で帽子をひょいと持ち上げてみせた。
「はあ‥‥、便利ですね。そういう術があるんなら、初めからそう言ってくれればいいのに‥‥。」
樹が、何事もなかったように元に戻った床と矢田さんを交互に見ながら言った。
こういう古い建物は普段の掃除程度ならいいのだが、部分的に雑巾でごしごしこするとどうしてもその部分だけがきれいになりすぎて調和しなくなってしまう。
廃墟オタクとしては許せないことであるが、かといって現代の飲み物のシミがついたままじゃこの建物のオタク的「商品価値」が下がってしまう。
樹が「オタクの風上にも置けない」と怒っていたのは、そういうことなのだ。
「これなら、掃除の手間省けますね。その分の人件費を別のことに回せる。」
「後藤くん、経営者みたいなことを言うなぁ。」と美柑。
矢田さんが指を横にチッチと振る。
「日々掃除を重ねて愛着を摺り込んでゆくことが、こういう家には大事なんです」
ヤモさんも、うんうん、と得心したようにうなずいた。
「そういう人の心と働きが、ある意味私たちのエネルギーでもあるんですよ。」
矢田さんがまた帽子をひょいと上げた。
大晦日。
『妖怪と新年カウントダウン』のイベント当日。
樹は朝からやってきて、張り切ってヤモさんたちと打ち合わせをしていた。九郎と幸子は片付けやら掃除やら食器の準備やらで忙しい。
お鈴さんが午前中から現れて、手伝ってくれている。
午後からは美柑と美里亜もスタッフとしてやってくるはずだ。美柑はどうやら美里亜に両親の説得を手伝ってもらったらしい。「一緒について行ってもいいか」と言う父親を押しとどめるのも——。
正真正銘の神主である父親が、祓いの護符など持って来たりしたら、みんなが危険にさらされる。それだけは避けなければ——と美柑は言っていた。
美里亜の「説得」の交換条件は、このイベントから先「スタッフ」として認めてほしいということだった。狙いはもちろん「分け前」である。
九郎は美柑に頼み込まれて、スタッフをもう1人増やすことに同意した。美柑にはひとかたならぬ世話になっているし、イベントには人手も欲しい。
もっとも、頼み込まれたら嫌とは言えない九郎の性格もある。
ギ、ギイイィィ‥‥‥
「こんにちはぁ! 遅くなりましたぁ!」
玄関で美柑の声が聞こえた。
「よろしくお願いしまぁっす!」
と言ったのは、美里亜の声だ。
「上がって、上がって。鬼乃崎クンたち忙しいから。」
美柑の急かす声が聞こえてしばらくすると、居間に食料品を手に下げて3人が姿を現した。
3人?
「あ、こちら、母です。ついて来ちゃった。(^_^;) こちら、鬼乃崎クン。と、そのお母さん。‥‥と、お鈴さん?」
「お手伝いしてますの。おつまみでも作ろうかと思いまして。」
「あ、どうも。美柑がいつもお世話になってます。これ、つまらないものですが。」
美柑の母親が菓子折りを取り出したところへ、幸子も手を拭きながらキッチンから出てきた。
「まあまあ、そんなお気遣いなさらないで——。お世話になっているのはこちらの方ですのに。」
そんなやりとりの中で、九郎が見せたちょっと不安げな表情を美柑は見逃さなかった。
「大丈夫。お母さんには来る途中で、だいたいのことは話してあるから——。お父さんが来なけりゃ安全だよ。」
「まあ、少し驚きましたけど。でもヘンなものに取り込まれたり憑かれたりしていたら、主人が必ず気がつきますからね——。」
「お母さんがついて行くから——ってことで、お父さんを止めたんだ。お父さんマジで霊力強いから、ヤバいからね。」
「お父さんも、そこまで分からず屋じゃないわよ。ちょっと過保護なだけで——。」
「どうだか。ここにいるのは、みんな大切な仲間なんだから。」
「はいはい。分かってますよ。ほら、仕事してらっしゃい。わたしは今日はイベント参加のお客さんなんだから——。参加費は1人5千円でしたね?」
「そんな、いいですよ。塩津さんのお母さんなんですから。」
財布を取り出した美柑の母親を慌てて止めようとした九郎に、美柑がぴしりと言った。
「鬼乃崎クン。ビジネスはビジネス! きっちりやんないと、来年の授業料払えなくなるぞ。」
‥‥‥シビアだ。
美柑と美里亜が『幸』のエプロンを着けたり、買い出した食品を冷蔵庫に入れたりしているところへ、がやがやと妖怪たちと樹が廊下を通って居間にやってきた。
近頃はナナシもこの家の中だけなら、昼間でも堂々と姿を見せている。ヒロくんが入り口のところでさっとドアの陰に隠れてしまったのを見て、他の皆もそこに見かけない女性がいることに気がついた。
「あ、大丈夫だから、ヒロくん。この人わたしのお母さん。保護者同伴。(^_^;)」
「塩津菜摘と申します。娘がお世話になっています。」
「これはまた。お美しいご婦人で——。」
黒い帽子をひょいと持ち上げ、胸の前に持ってきてもう一方の手で菜摘さんの手を取ろうとした矢田さんのスーツの肘を、美柑がぐい、と引っ張った。
「わたしの母だと言っておろうが——。破邪符出すよ。」
「や‥‥、やめてくださいよ。冗談でも、そんなこと言うの——。」
「なんだか、すっかりいい仲間になってるのね。」
菜摘さんが安心したように言うと、美柑はにこっと笑って親指を立ててみせた。
「お母さんはお客さんなんだから、その辺に座って時間まで雑談でもしてて。」
ナナシがトコトコと菜摘さんの座ったソファに近づいていった。手に山盛りのクッキーの皿を持って嬉しそうな顔をしている。
「クッキー、美味しいよ。食べる?」
菜摘さんは、さすがにこの異形を見て少しのけぞるような仕草を見せたが、すぐに
「ありがと。優しいのね。」と言ってクッキーに手を伸ばした。
それを見ていたヒロくんが、ドアの陰から出てナナシの傍にすっと寄ってきた。
「僕ももらっていい?」
「もちろん!」
ナナシが嬉しそうな顔で言う。そうして2人がクッキーを口に入れるのを見届けると、自分もクッキーを摘んではむしゃむしゃと食べ始めた。
「幸子さんの作るクッキー、美味しいでしょ。」
ナナシはまるで自分のことのように自慢げに言う。
こうやって見ると、このナナシちゃんっていう子もかわいいなぁ——と菜摘は電車の中で聞いた美柑の話を思い出しながら、このどこから見ても化け物でしかない異形をそんなふうに思っている自分を少し面白く感じた。
「あなたがこの家でただ一人の幽霊という子ね?」
菜摘がヒロくんに声をかけると、少年の幽霊はさっとナナシの陰に隠れてしまった。
「ヒロくんはけっこう人見知りで、恥ずかしがり屋さんなんだ。」
いつの間にか美柑がナナシの後ろに立っている。
「ほら、大丈夫だよ。わたしのお母さんだから。」
ヒロくんが、そうーっとナナシの後ろから顔だけを見せて、それからちょっと頬を赤らめた。
「まあ、かわいい。おばさんのところにおいでよ。そのアザはどうしたの? 痛くないの?」
菜摘がそう聞いた途端、それまではにかんでいただけの少年の表情が、ふっと曇った。
「お母さん。ここに居るモノたちは皆、訳ありなんだよ。」
「それは本人が話すまで聞かないのがルール。ここの唯一のルールみたいなものなんだ——。」




