1 遺産相続
鬼乃崎九郎は鬼乃崎家の9番目の末っ子だ。
それも正妻の他に2人いる愛人の子であり、9番目ともなると父親も名前を考えるのが面倒くさくなったのだろう。長男などは祥一郎なんていう立派な名前をもらっているのに、9番目はただの九郎である。
一説によれば、難産だった母親に父が一言
「苦労。」
と言ったのが、命名と勘違いされたとも言われる。
が、父が他界した今、真相は永遠に闇の中だ。
まあ、真相はどっちでもいい。いずれにしたってたぶん面倒くさかったんだろう、と九郎自身は思っている。
だってそうだろう。もしただの取り違えで、父が考えていた名前があったなら
「そうではない」と父は言ったはずだ。
まあ、それならそれでいいか——と思ったんなら、やっぱり面倒くさかったんだ。
父親は資産家だった。
戦後、祖父が裸一貫から起こした事業が波に乗り、その後を継いだ父はそれをさらに大きくしたのち、いくつかの事業を買収して株式を保有したまま50代で経営の第一線からは退いて悠々自適の資産家生活に入った。
九郎はその頃になってから生まれた子である。
父の事業と持株会社は長男の祥一郎が継ぐ。
父が遺した遺言はそれだけだった。
残りの株式やら証券やら預金やら不動産やらは誰にどう分けるのか、何の指定もなかった。
当然のように、妻と愛人と子供達による「上品」というオブラートに包んだ欲望の、静かで凄絶なバトルが始まった。
今年19歳になる地方美大1年生の九郎も、その母親の幸子も、そういう世界に斬り込んでゆくような根性もエネルギーも持ち合わせていなかったから
「皆さんのお決めになる通りで・・・」
と早々に白旗を揚げてしまった。
結局、母親には僅かな現金だけで、今住んでいるマンションでさえ正妻の菊子の所有となり、家賃を払わなければならないことになった。
高額な家賃を払えるような収入は幸子にはないので、安いアパートにでも引っ越さなければならないだろう。
不動産は全て他の誰かが持っていったが、不思議なことに1つだけ誰も欲しがらない物件があり、それが末の息子の九郎に割り当てられた。
名古屋市の覚王山というところにある古い洋館だ。
他の兄弟たちのように現金や株は1つもない。まあ、早々と白旗を揚げたんだから仕方ない。
「何かご不満でも?」
正妻の菊子が目を細めた微笑で慇懃に聞いてきた。もちろん、その目の奥には有無を言わせぬ圧力がある。
「いえ、とんでもございません・・・。」
母親の幸子は気圧されながら微笑んでみせ、九郎も首だけを縦に小さく振ってあとに続く意を示した。
覚王山。といえば名古屋でも一等地である。
そんな場所にある歴史のある洋館が、なぜどうでもいいような末っ子の九郎のところに回ってきたのか——。
いや、そもそもなぜ誰も欲しがらなかったのか?
それは母親と一緒に現地を見に行って、少し分かったように思えた。
大正時代に建てられたというその建物は、煉瓦造りの煙突があり、当時としてはお洒落なものだったように見えたが、何の手入れもされていないらしく今にも崩れそうなほどのボロ家だった。
柱や、窓枠のペンキは剥げ、壁の漆喰は部分的に剥がれ落ちている。枯れたツタが絡まり、窓が半分くらい隠れているところもあった。
それでも覚王山という一等地なら、取り壊して更地にして売れば結構な値がつくはずだが・・・。
しかしそれも、近所の人の話を聞いてみると、なるほど九郎に押し付けられたわけだ——と納得がいった。
幽霊が出る というのだ。